【短編】「はじめまして」と君は笑う。僕の愛が死んだことも知らずに。~記憶リセット系彼女との、終わらない徒労と情熱~

月下花音

第1話:18回目の初恋

 放課後の屋上で、九条紗季(くじょう・さき)が泣いていた。

 錆びついたフェンスの向こう、赤く染まった夕日が、彼女の頬を伝う涙を宝石のように輝かせている。

 風が吹き抜け、彼女の亜麻色の髪を少し乱す。

 その乱れ方さえも、まるで計算された映画のワンシーンのように美しかった。


「ずっと……篠崎くんのこと、見てました」


 震える声で紡がれた言葉。

 それは世界で一番純粋で、美しく、そして世界で一番空虚な音色だった。

 俺は知っている。

 彼女が次に何と言うかを。

 「初めて話した時から、好きでした」

 そう言うはずだ。一言一句、昨日と同じタイミングで。


「初めて話した時から、好きでした」


 ほらな。

 俺は心の中で乾いた笑いを漏らす。

 目の前の光景は、俺にとって18回目の「再生(リプレイ)」に過ぎない。


 この瞬間、俺の脳内では冷酷な分析が走る。

 彼女の瞳孔の拡張率、声の震え方、手の震えの周波数。

 すべてが前回と誤差0.1%以内で一致している。

 まるで高精度なAIが生成した、完璧すぎるシミュレーション。

 だが、その完璧さこそが、この現実の異常性を際立たせていた。


「……俺もだ。付き合ってくれ、九条」


 俺がそう答えた瞬間、彼女の顔が花が咲くように明るくなった。

 堪えきれない喜びが溢れ出し、彼女は俺の胸に飛び込んでくる。

 ドサッという重み。

 抱きついてくる体温。

 制服から漂う柔軟剤の清潔な匂い。

 「夢みたい」と呟く震える唇。

 

 その全てがリアルで、生々しい。

 だが、その生々しさこそが、今の俺には残酷な現実を突きつける刃物だった。


 俺は彼女の華奢な背中を撫でながら、左腕の腕時計を見た。

 秒針が無機質に時を刻んでいる。

 午後5時30分。

 あと12時間と30分で、この感動的なシーンは「なかったこと」になる。


 彼女は、俺を忘れる。

 正確には、俺への好感度が「恋愛」の閾値を超えた瞬間に、システムが作動するのだ。

 原因はわからない。病気なのか、呪いなのか、あるいは何かの実験なのか。

 確かなのは、翌朝の午前6時のアラームと共に、彼女の世界から「恋人の篠崎くん」というデータだけが綺麗に削除されるという事実だ。

 

 今日流した涙も、高鳴った鼓動も、交わしたキスの感触も、すべて初期化(リセット)される。

 明日になれば、彼女は俺を「ただのクラスメイト」として認識し、「おはよう、篠崎くん」と他人行儀な笑顔を向けてくるだろう。


 これは、神様が作ったのか悪魔が書いたのか知らないが、出来の悪い恋愛ゲームだ。

 そして俺は、セーブデータのロードに失敗し続ける、バグったプレイヤーだ。


 俺の中で、感情という名のプログラムが異常終了を繰り返している。

 愛情.exe は応答を停止しました。

 希望.dll が見つかりません。

 絶望.sys が不正な処理を実行しました。

 

 それでも、俺の身体は自動的に「恋人らしい反応」を実行し続ける。

 まるで、壊れたボットのように。


「……ねえ、篠崎くん」

「ん?」

「明日も、明後日も、ずっと一緒にいてね」


 彼女は、自分が明日俺を忘れることなんて知らずに、無邪気に未来を語る。

 その純粋さが、俺には時々、吐き気を催すほどの残酷さに見える。

 無知は罪じゃない。でも、無知な善意は凶器だ。

 彼女が「永遠」と言うたびに、俺の心臓はナイフで傷つけられ、血を流す。

 もう血が出すぎて、何も感じなくなってきているけれど。


 俺はこれで18回目だ。

 彼女に告白され、受け入れ、そして忘れられるのが。

 

 最初の頃は泣き叫んだ。

 彼女の肩を掴んで、「俺だよ! 昨日のこと覚えてないのか!?」と詰め寄ったこともある。

 彼女は怯え、「何言ってるの……? 怖いよ」と後ずさりした。

 

 次は必死に証拠を残そうとした。

 7回目のループの時、俺はあらゆる手段を使って「事実」を記録した。

 二人の動画を撮り、彼女のスマホにツーショット写真を送り、彼女自身の日記に「篠崎くんと付き合った。大好き」と書かせた。

 「これで大丈夫だ」と、その日は希望を抱いて眠りについた。

 

 だが、翌朝。

 動画のファイルは破損し、送ったはずの写真は黒いノイズに変わり、日記のページは白紙に戻っていた。

 物理的な干渉すらも、この世界は許さないらしい。

 彼女の記憶どころか、因果そのものが修正されているのだ。

 

 唯一残ったのは、俺のスマホに残された動画のサムネイル画像だけ。

 それを見せても、彼女は「え、すごい。合成? 私こんな顔するんだ、ウケる」と他人事のように笑った。

 その笑顔を見た瞬間、俺の中で何かが音を立てて壊れた。

 期待することをやめた。

 この世界に抗うことを諦めた。


 俺は、この異常な現象を「九条紗季メモリーリセット症候群」と名付けた。

 医学的根拠はない。ただの自己満足だ。

 だが、名前をつけることで、少しだけ客観視できるようになった。

 これは病気だ。治療法は不明だが、症状は明確だ。

 

 患者:九条紗季

 症状:恋愛感情の記憶のみを選択的に消去

 発症条件:対象への好感度が恋愛閾値を超過した時点

 リセット周期:24時間(午前6時に実行)

 副作用:周辺の物理的証拠も同時に改変される

 

 俺は、彼女の主治医を自称している。

 治せない医者だけれど。


「ああ、ずっと一緒だ」


 俺は嘘をついた。

 どうせ消える約束だ。

 守れない誓いに、罪悪感なんて感じる必要はない。

 目の前の彼女は、明日の彼女とは別の存在(インスタンス)なのだから。

 これは、ただの会話イベントの消化(タスク)に過ぎない。

 そう自分に言い聞かせないと、気が狂ってしまいそうだった。


 彼女が顔を上げて、瞳を閉じた。

 長いまつ毛が震えている。

 キスの合図だ。

 俺も目を閉じて、唇を重ねる。


 柔らかい感触。

 彼女にとっては、人生で一度きりの、震えるような「初めてのキス」。

 俺にとっては、18回目の、昨日と同じ角度、同じ味のキス。


 感動も興奮もない。

 ただ、彼女の涙の味が唇に滲んで、少しだけ塩辛い。

 その塩辛さだけが、今この瞬間が現実であることを証明していた。


 俺の脳内で、冷酷な統計データが更新される。

 キス継続時間:3.7秒(前回比+0.2秒)

 彼女の心拍数:推定120bpm(興奮状態)

 俺の心拍数:72bpm(平常値)

 

 俺は、もう人間じゃない。

 感情を失った観測装置だ。

 彼女の恋愛を記録し続ける、壊れたレコーダー。


 明日になれば、また「初めまして」が始まる。

 俺だけが傷跡を重ね、彼女だけが無傷でリセットされる地獄の回転木馬(メリーゴーラウンド)。

 降りることすら許されないなら、せめて回転数くらいは俺が数えてやるよ。

 それが、唯一の記憶保持者である俺に課せられた、最後の義務かもしれないから。


「じゃあね、紗季」

 

 俺は別れ際にそう言った。

 「また明日」とは言わなかった。

 明日の君は、俺のことを「篠崎くん」と苗字で呼ぶ他人に戻っているのだから。


 俺は一人で屋上の階段を下りる。

 背後で、彼女がいつまでも手を振っている気配を感じながら。

 また明日、知らない他人(きみ)と恋をするために、俺は今日という日を殺して進む。


 ポケットの中で、スマホが震えた。

 彼女からのメッセージだろう。

 「今日はありがとう♡」とか「おやすみ♡」とか、そんな内容に決まっている。

 

 俺は画面を見ずに、電源を切った。

 どうせ明日の朝には、そのメッセージも消えているのだから。

 この世界は、俺たちの愛を許さない。

 だから俺も、この世界を愛することをやめた。


(つづく)

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