第9話 休息の日


 猛烈な腹痛に襲われ、その夜私は何度もトイレに立った。ほとんどトイレで夜を明かしたと言っても良いくらいだ。


 いつの間にか気を失い、部屋へ運んでもらっていたらしい。アイリスが同室なのに今夜の私はひとりだった。毒を摂った女とミリーの後継を同室にしておくことはできなかったのだろう。


 ひとりなのを良いことに私はうんうん唸る。痛みと冷や汗が止まらない。呻き、苦しみ、こっそり泣いた。体中の水分という水分を失うのではと心配するほど吐いた胃腸炎より苦しかった。


 毒が何故毒なのか身を持って体験したけれど、これを何度も何度もひとりで耐えた推しを思うとまた違う涙が出た。それも幼いうちから。どれだけ辛かっただろう。どれだけ苦しかっただろう。……どれだけ、恨んだだろう。


 選択肢のない中、それでも生き抜くことを選んだ推しは自らが毒となることを受け入れた。


 何も支えてくれるものがない中でひとり立ち続けた推しが救われることを強く願う。毒で邪魔者を排除してきたこともあるだろうから、褒められた人生ではないかもしれない。でも、この世界で綺麗に生きることができる人は限られるだろう。無常に処刑されて当然だなんて、私には思えない。彼だけが責められるなんて、そんなのはおかしい。


 お腹の痛みを耐えながら私は胸の内に闘志を燃やした。絶対に理想の世界線に変えてやる。


「……エマ、調子はどうですか?」


 扉の向こうから控えめなノックがされて私は思考を現実に戻す。ミリーの声だ。トイレに籠る私を心配して来てくれたのだろう。


 そういえば朝を迎えたのだから仕事に出ないとならないはずだ。私は慌ててすみませんと謝った。


「仕事……っ」


「今日は良いです。休みなさい。昨夜のあれの後に働けなどと言うつもりもありません。


 部屋に水差しを持って来ましたから、水はお飲みなさいね。昼頃にまた来ますから、何か食べられそうであれば料理長に作ってもらいましょう」


「すみません……半日もあれば解毒できるはずです……」


「無理は禁物です。一日お休みなさい」


 強い声で言われて私は素直にはいと頷いた。特殊設定を信用はしているし実際に死んでもいないから、こうして体の外に出してさえしまえばきっとまた動けるようになるはずだ。


 ミリーは昼に、と言い残すといなくなった。私は少ししてからよろよろと部屋に戻る。水差しからグラスに水を注いでこくりと飲んだ。清涼感が喉を通り過ぎていって、少し気分が楽になった気がした。


 ベッドに寝転んで天井を眺める。体は解毒を頑張っていて、私はこの体に課した過去を振り返る。自然が多いペインフォードの奥地、名前もないような小さな村でこの分身は、毒を一手に引き受けていた。


 初めての食材、間違いやすいキノコ。主に食の安全を証明する、いわば毒見役だ。我ながら重たい歴史を背負わせたものだ、と小さく笑った。


 昼になってミリーが約束通り訪ねて来た頃、私の体はすっかり良くなっていた。とうに半日を過ぎて解毒を終えた私の体はいつも通りだ。すっかり空っぽなお腹は今にもぐうぐう鳴りそうで、元気いっぱいだった。


 顔色の戻った私を見てミリーも安心したのかあからさまにホッとした表情を浮かべている。


「心配かけてごめんなさい。でももうすっかり良いです。お腹も空きました」


 私がそう言うとミリーは厨房へ連れて行ってくれた。途中、推しの黒を見かけた気がして思わず足が竦んだ。でもミリーが立ち止まらないから気のせいだったのだと思う。彼女なら何だか、今日は私と彼との遭遇を避けてくれる気がしたから。


 厨房では料理長も心配してくれて、私はぺこぺこと頭を下げる。嘔吐した後には軽いものの方が良いと、ほろほろに崩れたお芋のスープを料理長は出してくれた。鶏がらと野菜から出た旨味が凝縮された美味しいスープだった。


「エマ、お前、今後もあんなこと続けるのか?」


 スープを味わう私をいつも通りだと安心して見ていた料理長が、心配するような目で見つめて尋ねた。私は手を止めて微笑む。


「エリオット様が求めるなら。どのくらいの量を摂取したらどういう症状が現れるかってきっと、お役に立てることだと思うんです。エリオット様なら毒だけじゃなくて薬の効果も見つけてくれるって信じてますし。それで誰かがエリオット様のことを褒めたり感謝したりしてくれたら、私、嬉しいです」


 そうして推しも認められている感覚を持ってもらえれば。誰かが近づいても邪険にはしないかもしれないし、あの日が来ないように止める言葉も聞き入れてくれるかもしれない。それにあんな苦しい思い、私が代われるならそれに越したことはないだろう。


「お前……まぁお前が良いなら良いけどよ」


「良くありません。あなたは見ていないからそんなことが言えるんです。可哀想で見ていられませんでした」


 ミリーがぴしゃりと料理長を叱る。ぇえ、と料理長も私も驚いて声をあげた。


「私、可哀想でしたか」


「可哀想でしたよ。あんなに苦しそうで」


「でもそれ、エリオット様も同じなんですよね? あんな無茶はしないとは思いますけど、あの方も毒を摂るって」


 私が思わず口に出したことにミリーはぐっと言葉を詰まらせた。困らせるつもりはなかったのだけど、ミリーにも思うところはあるのだと私はその反応で知る。


「……話したのか、ミリー」


 料理長が静かに尋ねる。責めるのでもない、何処か労うような声音だ。いいえ、とミリーは首を振る。風の噂で聞いたんです、と私は料理長に説明した。何か口にしてはいけないタブーだったのかもしれない。


「まぁ、なんだ、研究のためだけじゃないが――」


 料理長は目を伏せた。誰に向けたのかも判らない、届けたかったのかも判らない言葉はすぐ其処に落ちる。


「――エマ、今度飲みに行くか。お気に入りのパブ、教えてやるよ」


 言葉が次には私を向いたから、ちょっと飛び上がった。


「え、ホントですか!」


「あぁ、だから早く良くなれよ」


「もう元気ですよー! でも私は今日お仕事のお休みを頂いた身、またの機会ということで楽しみにしてますね!」


 あからさまに話題を変えられたことには触れず、私は軽いノリで返す。ミリーを気遣ったのだろうと簡単に感じられたから。


 スープを飲み干すとお礼を言って、自分の部屋へ戻ることにした。使用人歴が長いミリーと料理長なら二人で話したいことがあるかもしれない。


 ミリーは私を部屋まで送ると言ったけれど、もう足取りのしっかりとしている私は大丈夫ですとその申し出を辞退する。


「また明日、お仕事に復帰します。元気になったこと、証明してみせます! その方が説得力あると思いますから。よろしくお願いしますね」


 そう言い置いて私は厨房を後にする。休ませてもらっていた部屋を綺麗にしてアイリスと同室に戻れば、仕事から戻ったアイリスにもみくちゃにされる勢いでおかえりと歓迎されたのだった。

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2026年1月2日 21:00
2026年1月3日 21:00
2026年1月4日 21:00

推しが死んだので、その世界に乗り込みます 江藤 樹里 @Juli_Eto-

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