(後段)朔月
「この辺に咲いてる……らしいけど」
「見えないね」
雪割草の花が咲く。文字通り、積もった雪を割るらしい、日本海側固有の春の花。根雪も減り、暖かな陽射しに爽やかな冷気を混ざって心地がよい。植物公園の地図と白い斜面を見比べながら、2人して眉をひそめる。
既に雪を踏み固め始めてから1時間。時計は時計でも、公園の日時計と腹時計が教えてくれている。
「うん、ご飯、行こうか」
こくりと君が頷く。
蕎麦屋の駐車場は随分とペーパードライバーに易しく、どうやら暦の春と世間の春は違うらしい。
「あんまりに有名なお店だけど、これなら予約しなくても良かったかも」
「まだ雪があると冬って感じがするし、危ないから」
座敷の半個室で、茶椀の熱を指に移す君。
天ざる蕎麦が届くまでの少しの間。この店ならば、天ぷらと蕎麦を同時に仕上げてくるだろう。藻塩と天つゆ、どちらも注文した僕は『通な客』として見られたかもしれない。ちなみに、天ぷらの中で原価が高くなるのは海産物よりも野菜だったりする。直径の大きい天ぷら用人参などはかなりの高級品なのだ。使用する揚げ油は白絞油だろうか。そんなことは、帰り道で分析すれば足りることか。
「今日は来てくれてありがとう。誰かと一緒に来たくって、さ」
「ううん、こちらこそ。誘ってもらわなかったら行かない場所だから」
全く違う人生を送ってきた。だから君と一緒に居たい。この理屈は、最早どうでも良い。
「あのさ、何も渡せないんだけどさ。改めて、結婚を前提にお付き合いしてくれませんか」
返事はすぐに返ってきた。
「え、逆にその前提なかったんだ」
天ざる蕎麦は、また食べに来よう。
味がわからなかったから。
今宵、月は昇らない。
太陽に寄り添い、沈むのだから。
月影コーリング 義為 @ghithewriter
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