月影コーリング
義為
(前段)弓張月
「じゃあ、おやすみなさい。来月は雪も融けてるかな」
「ですね。帰り道お気を付けて」
僕らの言葉は、白い煙になって、互いの顔を隠す。『付き合って』半年。彼女と過ごした時間は、それほど多くない。彼女のことは、好きだ。やや偏食なところは、好きなモノがあるということ。なんでも食べられる僕には理解出来ないこと。それがとてつもない、どうしようもない断絶で。だから彼女が愛おしい。知らないこと、分からないことが沢山あることが。それが少しずつ分かることが。彼女と過ごす楽しみだ。だとしたら。僕は彼女に何を。彼女は僕の何を。白い煙すら見えない宵闇は、冷たく頬を撫でる。
30分。僕らの距離。脚に伝わるエンジンの振動。時折すれ違う大型トラック。高い満月。こんなに独りが楽しい帰り道はない。あっという間、ではない。でも、ドアからドアへと歩く間に見えるオリオン座は、期間限定。長い冬は、直に終わる。
『このゼリー寄せが目にも美味しくって!』
『季節の、なんていうからには、春にもまた行きましょ!』
『おやすみなさい、よい週末を』
金曜夜、彼女には休日。僕には翌朝が仕事本番だ。
過ぎる。
短い日が。
長い夜が。
繰り返す、繰り返す。
痩せていく月灯り。
「今、月は見えますか」
『こっちは曇りで、ちょっと』
「ここからは、薄い雲がかかって見えたり隠れたり」
『そうですか、そんなに離れていないですけど、違いますね』
「まだ高くないから、そっちだと山に隠れてるのかも」
『そうなんですか。それなら』
跳ねる声。階段を、トントン、と駆ける音。きっと、そういう音だ。
『見えました。半分の月』
「下弦の月って、弓張月って呼び方があるらしくって。ちなみに、今調べたんですけど」
『弓を張る、月。昔の人って喩えが素敵ですね』
「力いっぱいで弓を曲げて、なんて、今だと想像しか出来ないけれど。でも、変わらないことが一つあって」
『え、なんだろ』
「下弦の月は、朝まで見えるってこと」
肺に満ちる、弱々しい月光。
「優しい月だから、この月が好きなんだ」
沈むまでは起きていられないけど。
「君にこの月を見てもらえてよかった。ん、そろそろ冷えるでしょ、おやすみなさい」
僕の『好き』は夜空の半円に。
『半月もなんというか、オツですね。ありがとうございます。おやすみなさい』
きっと届かない。お互いに、分かり合えることはない。それが心地よい。
「そうだ、電話で申し訳ないけど、最後に」
『どうぞ』
「君が好きなモノを知りたい。僕の好きなモノを知って欲しい。僕は、君と一緒にいたいと思う。僕にとって、君のことが好きって、そういうこと」
『……ありがとう、ございます。おやすみなさい』
無音の闇空には、厚い雲が流れている。
湿った風は、温かった。
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