#1 環境調整実施済

存在管理局の朝は、始まる前から始まっている。


誰かが始めたわけではない。

ただ、始まっている状態が維持されている。


照明は点いているが、

スイッチは昨日から触られていない。

点いていることが正しいかどうかを

確認する部署は、もうない。


窓口の前には列ができている。

列というより、並んでいるという概念が寄り集まったものだ。


一番前にいるのは、箱だった。


段ボール製で、

どこかの角が一度、強く潰されている。

元の形を思い出そうとして、

途中で諦めたような歪み方をしている。


箱は、無言で存在申請書を差し出す。


申請書は、

箱の内側からにゅっと出てきた。

中身は空のはずなのに、

紙は妙に温かい。


職員は、それを受け取る。


「存在申請ですね」


声は明るく、

昨日とも明日とも区別がつかない。


「理由欄が空欄です」


箱は、わずかに傾く。

返事なのか、

重力によるものなのかは分からない。


「空欄でも申請は可能です」


職員はそう言って、判子を持ち上げる。


その瞬間、

机が嫌そうな顔をした。


木目がぎゅっと寄り、

表面がわずかに反り返る。


「……またそこですか」


机が、小さく言う。


判子は落ちてくる。


ドン。


押された位置は、

申請書の中央でも、

枠内でもない。


紙と机の境目。

半分は書類、

半分は机。


インクがにじみ、

机は露骨にため息をついた。


「机、苦情出してますよ」


隣の窓口の職員が言う。


「昨日も来てましたね」


別の職員が端末を操作する。


《備品苦情申請書》

提出者:机(窓口3番)

内容:

・押印位置が雑

・インクがしみる

・尊厳を損なわれた気がする


「確認します」


確認しただけで、

何も変えない。


箱は存在を許可されたらしい。

何も言わず、列を離れていく。


机は、

諦めた顔で次の書類を待つ。


次に来たのは、椅子だった。


脚は四本あるが、

一本だけ少し長い。

そのため、

揺れているのか、

頷いているのか分からない。


椅子は自分で歩いてきたようにも、

誰かに押されてきたようにも見える。


座面の上に、存在申請書が置かれている。


「用途欄が削除されていますね」


職員が言う。


椅子は、ぎし、と鳴る。


「……使われなくなった、という理解でよろしいですね」


椅子はまた鳴る。


肯定かどうかは確認されない。


判子が振り下ろされる。


机は、今度は何も言わない。

言っても無駄だと、

もう分かっている。


列の途中には、

形の定まらない存在もいる。


感情だけが残っているようなものだ。

色は一定せず、

輪郭も曖昧だ。


「申請理由をお願いします」


感情は答えない。


答えられないのか、

答える必要がないのか、

区別はされない。


「では、保留で」


保留の判子が押される。

申請書の裏側に。


理由は書かれない。

理由を書く欄も、いつの間にか消えている。


記録課の奥で、

端末が一斉に音を立てる。


赤い表示。


《意味過多》

《単独》

《観測値:上昇》


画面には、

一つの存在が映っている。


人型だ。

ただし、人型だけがある。


中身が多すぎて、

輪郭が耐えきれていない。


言葉のログが流れている。


「私は必要で」

「役割があって」

「期待されて」

「まだ使えるはずで」

「意味があって」


職員の一人が、

ほんの少しだけ眉を動かす。


「……一人ですね」


「集団化は?」


「未実施です」


「実施すると?」


「別の意味が発生します」


短い沈黙。


沈黙は、

決定を意味する。


「外注で」


誰も反対しない。

反対という項目は、

申請書に存在しない。


壁際に、ドナテロがいる。


配置図には載っていない場所だ。

壁でもなく、通路でもない。


ただ、

そこにいる。


煙草を吸っている。

箱は黒く、

文字が多すぎて読めない。


煙は、

まっすぐ上がらない。

途中で折れ、

一瞬戻り、

また折れる。


記録課の職員が声をかける。


「対応要請です」


端末が鳴る。


《対象:意味過多》

《単独》

《標準是正:不可》


ドナテロは画面を一瞬だけ見る。


「……一人か」


それだけ言う。


「場所は市街区画Cです」


「注目度が上がっています」


ドナテロは頷かない。

了承もしない。


灰を落とす。


床は、

それを受け入れる。


ドナテロが歩き出すと、

誰も見送らない。



市街区画Cは、立ち止まる人が多い。

立ち止まった理由を説明できる人はいないが、

説明しようとする人は多い。


ドナテロはその様子を一歩引いたところから見ていた。

煙草をくわえ、煙を吐く。

煙は途中で引き返して、彼のほうへ戻ってくる。


「……寄ってきてるな」


歩道の中央に、人型の存在がいる。

特別大きいわけでも、奇抜な形でもない。

ただ、一人で立っている。


それだけで、視線が集まっている。


「私は必要で」

「私は期待で」

「私は役割で」

「私は――」


声は普通だ。

だが言葉が増えすぎて、

どれが本体なのか分からなくなっている。


ドナテロは近づかない。

近づくと、もっと見られる。


端末を取り出す。

画面が点いた瞬間、端末が露骨に嫌そうな顔をした。

角が歪み、解像度が一段下がる。


「……分かってる」


端末は渋々、周辺情報を表示する。


《周辺意味量・簡易検索》

・期待(未回収)

・役割(所在不明)

・予定(キャンセル済)

・後悔(再配置待ち)

・拍手(行き場なし)


スクロールしようとすると、

端末が一瞬フリーズする。


「重いな」


画面の下のほうに、

小さく文句が出る。


《意味が多いです》


「そっちのせいだろ」


ドナテロは画面をざっと眺めて、

少し考える。


考える、というより、

眺めた結果、思いつく。


「……均せばいいか」


誰に言ったわけでもない。

自分に向けた言葉でもない。


もう一度、存在を見る。

相変わらず一人で、

相変わらず言葉を増やしている。


「私は――」


「喋らなくていい」


言葉は止まらないが、

少しだけ、詰まる。


その隙に、ドナテロは周囲を見る。

意味は、意外と落ちている。


拾われなかった予定。

使われなかった拍手。

片付けられなかった後悔。


「……あるな」


古い劇場が、

道路の向こうに口を開けている。


ドナテロは歩き出す。

存在は置いていかれまいとして、

一歩遅れてついてくる。


劇場の入口は、

人が来ると思っていなかった顔をしている。


「すぐ終わる」


扉は納得していないが、

開くこと自体は拒否しない。


中は暗い。

椅子が揺れ、

照明が勝手に明るさを変えている。


天井のほうで、

糸が軋む音がした。蜘蛛人間(幼女)スパークルだ。


「来てたか」


「(・_・)」


「ちょっと集める」


「(`・ω・´)」


糸が伸びる。

特別な方向性はない。

ただ、近くにあったものが引っかかる。


予定が引きずられ、

拍手が転がり、

後悔が床の下から湧いてくる。


どれも主張は弱い。

弱いから、残っている。


ドナテロは舞台袖に立ち、

煙草を吸う。


意味過多存在が、入口で立ち止まる。

客席を見る。

舞台を見る。

主役はいない。


「私は――」


「そのへんでいい」


言葉は、途中でほどける。


存在は、

空いている席に腰を下ろす。


拍手が隣で鳴る。

予定が足元に転がる。

後悔が、背もたれの影に沈む。


突出は消えない。

ただ、目立たなくなる。


ドナテロは照明を一つ落とす。

非常ベルを一回だけ鳴らす。


ベルは途中から音程を外す。

誰も気にしない。


「……スパークルはどう思う?」


「(・_・;)」


「だよな」


煙を吐く。


「ここだけ見れば」


少し間を置いて、


「普通だな」


「(^_^)」


外に出ると、

市街区画Cは相変わらずだった。


意味は多い。

歪みもある。


でも、一点に集まってはいない。


それでいい。


ドナテロは煙草を踏み消し、

端末をしまう。


端末は、

最後にもう一度だけ嫌そうな顔をした。



存在管理局・内部記録(抜粋)


案件番号:C-17

分類:意味過多(単独)


概要:

当該存在において、単独状態が長期化し、

周囲からの注目が集中した結果、

自己記述の増加が確認された。


対応:

民間協力存在による環境調整を実施。

周辺に存在していた複数の未処理意味を同一空間に集約し、

突出の緩和を確認。


結果:

当該存在は環境内に溶け込み、

異常な単独性は観測されず。

是正および解決の判定は行わない。


備考:

・同手法の再現性は未確認

・偶発的成功の可能性あり

・再利用は推奨しない


[押印]

※位置不定

※机より苦情提出済(別紙)


別紙には、

《備品苦情申請書》が添付されている。


提出者:劇場客席

内容:

・誰も主役にならなかった

・意味が平均的

・後味が薄い


却下。

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ペーパー・カップ・ソサエティ 弘瀬海 @KaiHirose

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