第4話 検死

《波戸絡子の行動記録》 2333年 4月18日 午前9時29分




「2階にはどうやって?」

 そう私が促すと――

「こちらです」

 如才のない刑事は瞬時に意図を察したようで、私たちを『北側』に案内する。

 コツコツと響く靴音は会話の邪魔にはならない音量に絞られ、けれど、耳が詰まっている感じもなく、明瞭。不思議だ。

 もう少しその音を楽しみたかったが、たかだか十数メートルほどの広さである。まもなく北側の壁の前へと到着した。


「いえいえ、もっとです。もっと行って大丈夫です。お二人とも、もっとも~っと……。ええと、そうですね……、手がつくくらい、これくらい大げさに壁に近づいてください」

 と笑う刑事の言葉に従い、20世紀後期制作の恋愛ドラマに出てきた『壁ドン』が出来るほど近づくと、私を囲うように、足元に80センチ四方くらいの切れ目が現れ、断層のように数センチほどせり上がった。

 隣を見ると、井出ちゃんの足元にも出現していた。この角度からそれを見ると、浮かび上がった切れ目は1センチほどの厚さを持っていたから、名称としては『板』が適切かもしれない。

 『板』の使用法は、脳に直接アナウンスされた。

 端的に言えば『上に行くか?』というような主旨のことを、冗長かつ馬鹿丁寧な言葉で問われたので、こちらも脳内で了承すると、板がゆっくり持ち上がり、私はリフトされた。一枚につき、一人しか乗れない仕様らしい。

 上昇中、私の周囲には、先ほどの玄関戸で見たような幕が生じ、板からの滑落、飛び降りを禁じた――ようだ。

 天井を見ると、上がってくる私を呑みこむように、おそらく板のサイズぶんだけ、四角い穴を開ける。

 1階天井と2階床面の境界が見えるかな、と期待したが、上昇するのにしたがって色を濃くしたオーロラのような幕に阻まれ、誤魔化ごまかされてしまった。

 もちろん、私とほぼ同じタイミングで板を起動させたであろう井出ちゃんたちの姿も見えなかった。

 板が止まったのが慣性で分かった。

 同時に、『戸』と違ってこちらは慣性が感じられるのだなと、ささやかな発見をする。

 まもなく幕が消えると、知らぬ間に『板』は半回転していたらしい。目のまえには壁ではなく、空間――1階と同じような風景が広がっていた。いや、同じではない。先ほどまでプリン色だった足元は、壁に見合った濃いコンクリート風の床に変化していた。『板』も、もう名残すら見つけられない。

「A棟2階です」と教えて――いや、保証してくれたのはフラボノだ。繰り返しになるが、彼はウソをつかない。

 昇るとき左側にいた井出ちゃんが右隣りに変わっている。

 その奥に森岡刑事。

 室内の様子は――というと、やはり何もない。

 今度は左手側となった『東側』のカベに『窓』がしつらえてあったが、下とは色――いや、わずかに濃さが違うか。自信はない。照明の強さにも変化はないようだ。

「同じ棟の上下階の行き来には、この板を用いた昇降以外にはすべがありません」校正したくなる日本語で刑事が言った。「2階から3階へは反対側のカベ付近にある板を使います」

「今度はあっちですか?」井出ちゃんは軽く驚いたように声を出し、喉元を見せつけるように一瞬だけ上を見た。「1階から一気に3階には行けないのですか?」

「はい。面倒でも反対側の――南側の板を使うことになります」刑事は私たちをそちらに誘導するつもりのようだ。もう歩き出している。その途中で思い出したように振り返り、「ちなみに、あの『窓』に触れればあちら側の棟――『B棟』の1階に飛べます」と言った。

 けれど、今は試させてくれないようだ。

 私たちはサクサク進む刑事のあとを追うように、南側に行く。

 なんとなく立ち位置が気になるのか、途中で井出ちゃんが私の左隣に移り、刑事もそれに倣った。

 三人で軽く笑いあったが、私には、なぜ自分たちは笑ったのか――その理由を言語化できる能力はなかった。


 さて、こちらもカベに近づくと、先ほどと同様、『板』が人数ぶん現れた。

 私より井出ちゃんのほうがだいぶ壁に近かったが、それくらいは誤差範囲内なのか、問題なく『板』は出現している。

「壁――今回で言えば、南側の壁から50センチ以内の領域にヒトが足を踏み入れると『板』は現れるようです」と、フラボノ。「――ようです、という推測を含んだ表現になるのは、板の出現には明確な基準はなく、壁際に近づいてきたヒトに対し、【TEN】が《あれ、この人、板を使いたいのかな》と空気を読んで、板を出現させるためです」

「空気を読んで、っていうか、完全に思考を読んでるけどな、それ」

 と、現れたセンゾはなぜか嫌そうな顔をしていた。

「ですので」フラボノは続ける。「物思いにふけりつつ壁際をぐるぐる散歩していたら、いつの間にか上階に運ばれていた――などということはありませんので、ご安心を」


 そんなふうにフラボノが説明してくれている間、板はガイダンスの声をミュートし、上昇を待ってくれている。井出ちゃんたちのもだ。フラボノがセンゾを黙殺したことから察せられるように、読んでいるのは思考ではなく空気――と言ったほうが適切な気がする。


 説明終了とばかりにフラボノが消えると、『板』はガイダンスを再開させた。

 『上階に向かいたい』と念じると、やはり幕で囲われる。

 私は首と上体をひねって、幕が360度囲んでいることを確認した。

「着替えが出来そうだな」センゾが眼前をふわふわ漂う。

 たしかに昇降時は幕が邪魔して、隣の井出ちゃんたちが見えない。

「A棟3階。殺害現場でございます」エレベータガールとおぼしきコスプレをしたフラボノが現れ、ネタバレな報告をする。

 幕が開き、姿を現した井出ちゃんの鼻先に――

「服の色が変わった」と私は指を突きつけてやった。

「え? ああ……」井出ちゃんは少し戸惑ったように微笑む。「エヘ体験ってやつですか?」

「アハ体験ね」

 訂正してやると、井出ちゃんは照れたような困った笑顔で、おそらく『間違えちゃった』の「まちがえ……」まで、笑いを含んだ声で言った。

 右の眉毛だけを『ノ』の字のようにセクシィに曲げたまま、こちらに八つ当たりっぽく何度か身体をぶつけながら、やはり、私の左隣に移動する。

「う~ん、なるほど」刑事が唸る。「『服の色が変わった』というのが『アハ体験』に絡めたジョークであることに気づくこと自体が『アハ体験』になっているわけですね?」

 こちらにそんな意図はない。

 いや、これは『あえて拡大解釈するボケ』というやつだろうか。

 お笑い最盛期な21世紀ならいざ知らず、今の時代では高級過ぎる。

 気の利いた返しが思いつかなかった私は「ここが殺害現場ですね?」と話を戻した。

 センゾが「どわ~、分かった!」と転げながら現れる。「案内役と監査員の役割が入れ替わってる! アハ、アハ、アハ~。エヘ~」

「双方にピンポンです」刑事がなだめるように言ったが、その採点は甘すぎると思った。「仰るとおりここが殺害現場です。遺体はあちらの壁に上半身をもたれ、床に足を投げ出すように座っている体勢で発見されました」と左手側――西側の壁を手で示した。

 

 誘導されるように壁の辺りに目を向けたが、素人の私に分かることなどない。

 いたって普通の壁だ。

 その間隙を縫うように刑事は宙に漂う『擬似原子』こと【マシン】をかき集め、手帳をつくった。

 このようにヒトの要求に応じ、平常肉眼では見えないほど小さな【マシン】が集積し、役割を持った『物体』と化したものを一般に【プロペ】と呼ぶ。

 刑事が生成したのは『手帳型の【プロペ】』と表現できる。

 ちなみに、今の時代、衣食住のほとんどが【マシン】で再現されている。この建物も、その中にいる私たちの衣服も、さらに言えばセンゾやフラボノも含め、たいがいのモノが【マシン】製だ。先ほどの刑事の手帳と同様、いつでもどこでも『物体化』できるので、私たちもバッグなどの手荷物は持っていない。基本常時、手ぶらだ。『研究棟』などと名付けられたこの建物内に装置や設備、調度品の類がないのもそれが理由だ。そして殺人事件において、なにより重要なのは、【マシン】でつくった物でヒトを傷つけることはできない、というルールがあること――いわゆる『ロボットそく』の存在。


「被害者は吟見巧久ろらみえ このく氏。61才。死因は、日本刀で左肩から右腹部に掛けて――いわゆる真正面から袈裟切けさぎりにされたことによる出血性のショック死で、斬撃を受けてから、それでも30秒ほどは生きていたようですね……。遺体から確認できた傷はこの一撃のみです。斬られた瞬間、傷口が【マシン】でシールされてしまったため、床から血痕やそのたぐいは採取できませんでした。それと、犯人が消したのか、あるいは被害者自身が消したのか、足跡も取れませんでしたが、多少動いた――歩いたようです」想像したのか、井出ちゃんが周辺の床を見回した。「まあ、歩いたと言っても、『板』を使った形跡はなかったようです」刑事によると、さすがに『板』を使って下階から移動してきた場合、その痕跡が遺体に残る――検死で発見できるとのことだった。「ですが被害者は致命傷を受けてから死に至るまでに歩きました。そのせいでしょう、死亡推定時刻はかなり幅広いものとなっています」


 具体的には一昨日おととい――『4月16日の午後6時28分00秒から同日同時の45分59秒』まで、だそうだ。

 およそ18分間ほど。

 たしかに広い。

 21世紀の刑事ドラマみたいだ。


 フラボノが現れる。「今回人類側が出した吟見氏の検死結果について、『死亡推定時刻の幅が広すぎるが、範疇。他の所見についても、おおむね正しい』と、【TEN】も支持しています」


 『殺人事件は人類の独力によって解決すべきもの』がモットーの【TEN】だが、冤罪えんざい防止のためか、ときたま、このようなヒントをくれたりする。その判断基準は我々人類には不可知な領域だから、『気まぐれ』ぐらいの表現が正鵠せいこくを射ているかもしれない。


 あー、それと、『貴方』にしてみれば、ここは『なんでもありのインチキな未来』だから、ひょっとしたら『実は死者を蘇らせる手段があるのでは?』なんて疑っているかもしれないが、杞憂だ。24世紀でも死が覆ることはない。脳内でフラボノも「死んだ人間は生き返らない、というお話については事実です」と保証してくれた。「少なくとも当該被害者・吟見氏は亡くなっています」と付け加えて。


 現世にアレルギィなど無いから、発声前のただの癖だろうか。刑事が口を開けずに咳払いするように「んっ」と喉を鳴らしたことで、私はそちらに注意を向ける。

「興味深いことに今回被疑者となった4名はいずれも、先ほど示した死亡推定時間帯にこの殺害現場へと一度は足を踏み入れていることが分かっています。なので誰にでも犯行は可能」刑事は表情に喜色を浮かべたが、声には不謹慎に映らない程度の落ち着きがあった。「さらに言うと、被疑者4名は全員20~80代の『青年』の範疇です。釈迦しゃかに説法で恐縮ですが、『ロボット則』によって、殺人行為に【マシン】による筋肉アシストを用いることは禁じられています。ですが『青年』である彼らならば『自力』でも被害者に袈裟切りで致命傷を与えることは可能でした。要するに『機会的』にも『体力的』にも、4名全員に犯行の可能性がある――それら観点からは実行犯を絞れない、というわけです」


 先ほど刑事から提示された『リスト』には、事件関係者の年齢や性別、身長、体重、はたまた出身地、現住所などのデータが詳細に記してあったのだが、もしかすると『貴方』の読んだ文章からは省かれてしまったかもしれない。だとすればそれは『貴方』の読み込み負担をなるべく軽減するため『事件解決に無関係そうなデータは極力削れ』と私がフラボノに命じたせいだろう。もちろん、ヒトである私には完全には保証はできないが、おそらく本案件の解決において、そのような省略はとくに支障はないように思う。

 刑事の言うとおり、『被疑者4名の誰にでも、少なくとも体力的には、犯行が可能だった』と考えてもらって間違いはないし、そのほうが漏れがなく安全だ。


「ええと、遺体を発見し、通報したのは?」井出ちゃんが刑事に尋ねた。

 『誰でしたっけ?』を省いた質問文だが、「逃亡劇に参加しなかった狭池せまいけヒロシさんという方です」森岡刑事には通じたようだ。「発見および通報は翌日になってから。ええと、昨日の午前10時ごろですね。死亡推定時間帯下限のおよそ15時間後です」


 なるほど。

 今の日本には『自殺の場合、誰からも通報がなければ死後1時間後に【TEN】が自発的に担当行政区の警察機関へと通報する』というルールが存在する。

 なので、これが発動していないことから自殺ではないことが濃厚――いや、曖昧な表現はやめよう。自殺ではないことが確定している。

 ちなみに、他殺の場合でも、同じく誰も通報しなければ、死後72~73時間以内に【TEN】が自動通報することになっている。

 なぜこちらは通報に1時間もの幅があるのかというと、もし『【TEN】の通報は、死んでからぴったり72時間後』にしてしまうと、その逆算で正確な死亡推定時刻が丸わかりになってしまうため――という説が有力である。他には『致命傷を受けてから、どんなに頑張ってもヒトは30分以内に死ぬ』という人類側が決めた『致命傷』の定義を【TEN】が踏まえた――という説もある。逆に言えば、今の時代、たとえば『1時間後に対象が死ぬような行為。または、そのダメージ』を『致命傷』とは呼ばない。そのような攻撃が実行されたとしても、【TEN】は『人類が定義したルールに抵触している』と見なし、有無を言わさず被攻撃者の傷を解消させてしまう。


 ちょっと話が逸れたが、要するに何が言いたいかというと、『実行犯』は自分が与えたのが『致命傷か否か』も、あるいは、相手がどれくらいの時間経過後に『死ぬか』も、フラボノのようなペットを介して『分かる』ということだ。なので、今回の殺害実行者は、相手が死ぬまでにあえて30秒ほどの時間を残した――とも言えそうだが、たとえそうであったとしても、現時点でそれを活用したアイディアなどは浮かばない。それこそ単なる気まぐれかもしれないし。



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2333年の軽めなフーダニット @flavono

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