後編
大通りから少し外れたところに目的地のスーパーはあって、僕たちは一片の言葉も交わすことなく、距離をとって歩いた。
小さい頃はよく一緒に歩いていた、というよりは、あの雨の日の一件があって以来、僕は優希のことが心配でたまらなくてついていっていた。
世間ではそれをシスコンと呼ぶのかもしれないけれど、妹のことを気にするのは兄として当たり前だと思っていた。
僕にとって優希は、目に入れても痛くないかわいい妹になっていた。
一挙手一投足を見守りたいくらいだったのだけど、その思いは途中で打ち切られた。
優希は大きくなると家族とのやり取りを避け始めた。そのつながりを、うとましく思うようになったみたいなのだ。
当然、僕との関わりも遠ざかり出して、今はだいぶ距離も開いてしまった。
こんなふうに、一緒に買い物に行くことなど、ありえない未来だった。
それゆえに僕は内心すごく緊張していた。
スーパーに着いて、僕はかごを持つとポケットからメモ紙を取り出して買うものをチェックし始めた。
入店までは傍にいたので確認していたけれど、それからの優希の行動はわからなかった。僕の背中を遠巻きにして見ているのか、一人で店内を見て回り始めたのか、それとも飽きて先に帰ってしまったことも考えられる。
まあとりたてて常に同行する意味もないし、なんならここで暗黙の解散となってもいいのだ。
親から頼まれていたのはお菓子類と、あとは併設されているケーキ屋で予約していたケーキの受け取りだった。
なので僕はお菓子コーナーへと向かった。
そこには優希がいた。
チョコレート菓子の箱を取って眺めては棚に戻し、スナック菓子の袋に目を向けては思案げな様子で、わかりやすくいうと物色していた。
示し合わせたわけでもないのに合流してしまったようだ。
僕が買いたいのは細い棒にチョコがコーティングされた菓子の箱で、不運にも棚は優希の正面にある。
せめて優希が気づくか去るかしてくれたらと思いつつも、そこまでむやみに気を使う必要もないのだ。
だから僕は、
「ちょっと失礼」
と脇から手を伸ばした。
「あっすみませ……」と優希は慌ててこちらを見て、「え、あ……はぁ、おにいか」とほっとしたような顔を見せた。
自然な流れで久しぶりに『おにい』と呼ばれたことが、僕はすごく嬉しかったのだけど、当然指摘はしない。何が逆鱗に触れるかわかったものじゃないのだ。
素知らぬ顔をして僕は目的のお菓子を二箱ほどかごに入れた。
ふと見ると、隣で優希はまごまごしている。
「優希も、今年のクリスマスイブは誰かと一緒に過ごすのか?」
すると優希は、ぱっとこちらを見る。少し睨むような、警戒するようなまなざしだ。
「……だとしたら? そうだったらなんだって言うの?」
「仲のいい人がいるのはいいことだなーって」
「ケンカ売ってる?」
「楽しいクリスマスになるのは、普通に良いことだろ」
「……ふ」
優希がうつむいて、体を震わせている。
それがどうしてなのか、思い当たったときにはすでに遅かった。
「ふざけないでっ! なんでおにいは、そうやってわたしをイライラさせるのよ!!」
そんなつもりはなかった、と僕は言いたかった。
でも、それを言ってどうなるのだろうとも、同時に思った。
夕方のスーパーの一角で響いた大きな声は、買い物客の人目を集めてしまった。
優希は、まなじりを上げて僕に一歩近づいてきた。
そして、その勢いを鋭い言葉の矢じりに変えて、丸腰のまま立つ僕を襲撃した。
「おにいは、どうしてそんな感じになったの!? いつから、わたしに対して諦めみたいな態度をとるようになったの……? わたし、嫌なんだけど、納得もできてないんだけど、ふざけんなって気持ちなんだけど! わたしが怒ってるとき、思わず舌打ちちゃったとき、上手くいっていなくて苦しんでるとき、頭がぐるぐるしてるとき、なんで、なんで昔みたいにしてくれなくなったのよっ!」
「優希、少し落ち着いて……」
「わたしのこと、最近いつもむしゃくしゃしてばかりの面倒くさい妹だって、呆れて見限ったってことなの……!?」
ここで僕は、荒ぶる優希に何と言えばいいんだろう。
この場を収めるには。
公共の場で騒ぎを起こさないためには。
僕ができることは。
優希は。
――泣いていた。
「……わたしのこと、嫌いにならないで」
中学生の女の子が、年上の男の前でしゃくり上げて泣くのは、どうしたって注目される。
まして今日はクリスマスイブだ。
僕は目立ちたがりとは対極の人間で、不安定になっている優希に、この場でできることなどないと思った。
いや、一つだけ、あるにはあるのだ。でもそれを実行に移すのは躊躇いもかなりあって、僕はあの頃から変わってしまったのかもしれないと思った。
そう、泣きじゃくる優希が今も求めている、昔の僕とは。
頭を掻くしかなくて、戸惑って、迷って――でも、僕は目指していたのだった。
真面目に、ひたむきに、なろうと決めていたのだ。
妹のことを守る、いいお兄ちゃんになるのだと。
それで、僕は買い物かごを床に下ろした。
優希は手の甲で涙を拭っていて、こちらを見ていない。
固唾を飲んで見守る衆目に、羞恥心を跳ね上げさせながら――
僕は優希を抱きしめた。
強く抱いた。もう離さないようにと、その意思が届くようにと。
優希の熱い体温が、僕の体に伝わってる。
いつの間にか優希は、しくしく泣くことしかできない小さな少女ではなくなっていた。
でも、彼女はまぎれもなく、そして永遠に、僕の妹なのだ。
いつだって、危機があろうとなかろうと、呼ばれても呼ばれずとも、すぐ駆けつけるのが当たり前の存在なのだと、あの日の僕に、あの夕立の記憶に、叱責された気分だった。
僕たちは静かに抱き合っていた。
周りの興味の視線は次第に消えていって、僕たちが体を離したときには、お菓子コーナーに二人だけになっていた。
「まるで……」と僕はどうでもいいことを言いそうになって、やめた。
すると優希はあとを継いで、
「この世界に……?」
なぜ言いかけたことが伝わっているのか、怖いくらいだ。でも、つまりはそういうことだったのだ。
僕は買い物かごを再び持つと、無言でレジに向かった。
優希も一歩あとを着いてきていた。
まるで、何もなかったみたいに。
『二人だけしかいないみたい』と、優希は言ってほしかったのだろうかと考えながら。
この日はもうこれ以上特別なことはなかった。
ケーキ屋で予約したケーキを受け取ったとき、店員さんから「恋人いいですね!」と言われたのが予想外だったことと、それを優希がにこにこして見守っていたのが僕には怖かったことくらいだ。
いわく、優希はどうにも感情が高ぶってしまうらしい。今まで気にならなかったことにイラッとしてしまったりと、自制が難しいと話していた。
思春期あるあるなのは、目下進行中の僕には容易く理解できることで、それはまあある程度は仕方ないことなのだろう。
このクリスマスイブを、優希は部屋に閉じこもって過ごそうとしていた。
一緒に過ごす相手がいなかったことは、兄としては胸を撫で下ろせばいいのか難しいところだ。
そうして、僕と優希は家に向けて歩いていた。
「優希も、気がつけば大きくなったな」
「セクハラ」
「どこが……?」
「抱きしめてたあとに、そういうこと言わないの」
「ノンデリだったか」
「おにいはもっと言葉の扱いを上手くなったほうがいい」
「まあ、うん」
そして、優希は数歩分前に出ると、くるりとこちらを向いた。
「次にわたしが癇癪を起こしたときも、おにいはなんとかしてくれるって、わたし、信じたい」
「うーん」
「……ダメ?」
夕暮れどきは終わり、夜闇が広がりを見せていて、路上も暗くなっている。
僕は空いている方の手を前へと伸ばし、優希の手をそっと握った。
言葉が下手なら、行動で示せばいいのだと、不意に思ってのことだ。
優希は何も言わない。
たぶんそこそこは伝わっているし、伝わっていないなら優希はそう言ってくれると、僕も信じている。
あの雨の日に、涙を流して僕に助けを求めたときのように。
「あ!」
スマホの音とともに、優希はすぐ確認して声を上げた。
「どうした?」
「さっきコンビニのところで一緒にいた友だちからなんだけど……」
困惑の顔を浮かべて優希がスマホ画面を見せてきた。
優希にはおもしろい友だちがいるんだなと、いわばそういう内容だった。
さすがの僕も苦笑いするしかなかったけれど、上手い具合に肩の力が抜けてほっとしたのだった。
――こんなことが書いてあった。
『もうすぐある冬コミで兄妹もの漁ってくるから楽しみにしててね!』
放課後いもうとクリスマスイブ☆ さなこばと @kobato37
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