内省的な散歩

酌怪 燻

内省的な散歩

 淡青たんせいの空に薄い雲が浮かんでいる。暖かい風が、首筋を撫でる様に流れ、仄かな緑の香りを運んでくる。


 僕は道を歩いている。目的地はあるが、急いでいる訳では無い。ゆっくりと土と小石の感触を、靴の裏に感じながら、少しずつ変化する景色を楽しんでいる。


 道の少し先に、白い塊が見えてくる。目を凝らすと、小さな赤色がゆっくりと、左右に動いている。

 道の真ん中で、横切るような姿勢で、大きな鶏が、首を小さく揺らしながら、佇んでいた。僕は歩調を変えずに、まっすぐに鶏に近づいていく。

 あと数歩で横切る位置で、鶏が相変わらず首を揺らしながら、僕に声を掛けてきた。

「よお兄ちゃん、こんな良い陽気に何処に行くんだい?」

 大きな鶏冠とさか肉髯にくぜん。所々灰色が混じった、白い躰。本当に立派な鶏だ。

「この道を辿った先に、大きな街があって、そこを目指してるんだよ」

 彼は驚いた様に鶏冠を揺らし、僕の方を見る。

「さっき通って行った奴は、この先には危険な森があるって言ってたぜ。何でもそこにしか無い樹の実を取りに行くんだと」

「同じ道でも、みんな目的地は違うんだね。僕は大きな街で、幸せに暮す為に、歩いてるんだ」

 彼は少し俯き、翼をと動かした。不機嫌な様な、居心地が悪い様な仕草だ。

「君は、この道の真ん中で何をしてるの?」

「オレは疲れたから、休んでんだよ。本当は元来た道を帰りたいんだけどな」

 彼は僕の後ろに、一瞬だけ顔を向けて、また道の脇に視線を戻した。

「帰りたいなら、ゆっくりでも戻ってみたら良いんじゃないかな? 僕もゆっくりだけど、少しずつ街に近づいてるしね」

「じゃあ、兄ちゃんがオレを、元居た場所まで連れてってくれよ」

 彼は顔を揺するのを止め、僕を直視しながら、絞り出す様に声を出す。

「それは出来ないよ。僕はどうしても街に行きたいんだ」

 僕は彼を元居た場所まで、連れて行ってあげたかったが、目的地に行かなければならない。

「じゃあ、仕方ねぇな。オレはここでもう暫く休んどくよ。呼び止めて悪かったな」

 彼はまた顔を揺すりながら、虚ろに路端を眺めている。

「ここは色んな人が通るから、また違う人が通ったら、お願いしてみるといいよ。こちらこそ、助けてあげられなくてごめんね」

 立派な鶏と別れ、僕はまた道を歩いている。


 道端に点々と咲いた、小さなピンクの花や、マイルストーンの様に生えた、大きな木を眺めながら、ゆっくりと歩を進める。日差しが心地よく、たまに飛んでいく鳥の声にも心が弾む。


 暫く進むと、前の方から、小さな声が聞こえてきた。少しずつ近づいている様だ。

 歌だ。気付いた時には、少し先に黄と青の丸い何かが、上下にいた。ゆったりと近付きながら、観察すると、風船を持った小さな女の子だった。

 女の子は二つの風船を片手に、歌を口ずさみながら、スキップしている。僕と同じ方向に、向かっているその子は、小さく、しかもスキップで進んでいる。しばらく、歩くと僕はその子に追いついた。

「楽しそうだね。君はどこに行くの?」

 歌いながら、スキップしているその子は、歌うのを止め、だがスキップしながら、僕の問いに答えた。

「今から遊園地に行くの。ママとメリーゴーランドに乗って、パパにアイスクリームを買ってもらうんだ」

 嬉しそうに、歌う様に話す。楽しみで仕方がない、という様子だ。

「君は遊園地が好きなんだね。遊園地までは、遠いのかな?」

「わかんない。でも、このまま歩いて行けば、いつかは遊園地に着くんだよ」

 彼女の言う通りだ。きちんと目的地に向かって、歩みを止めなければ、必ずたどり着く。

「君は一人でも、遊園地に行ける?」

「うん。遊園地に向かって、スキップしてるのが好きなの」

 お互いに微笑みあって、僕は再び、自分の歩調で歩き始めた。

 暫く歩いていると、女の子の歌声は、聞こえなくなったが、まだ耳に楽しげで、幸せそうなメロディーが残っている。つい、口ずさみたくなる歌だった。


 花の香りや、暖かい日の光を、楽しみながらゆっくり進んでいると、脇道から僕が歩いている道に、向かってくる長髪の人が見えた。

 周りの景色と一緒に、ぼんやり眺めていると、ちょうど僕が、脇道に差し掛かった時に、その人と合流した。暗い雰囲気の長髪の青年だった。

 同じ道を同じ方向に、歩いているのだから、挨拶くらいはしても良いだろう。

「こんにちは。君は何処に向かっているんだい?」

 青年は少し煩わしそうに、こちらを見ると、ボソボソと聞き取り辛い声で答えた。

「俺は今から病院に行くんだ」

「どこか体が悪いのかい?」

 少し早足の青年に合わせて、歩く速度を上げながら、尋ねた。

「頭の中で、色んな声がささやくんだ。お前は、駄目な奴だとか、色々酷い事をね」

 僕は気の毒になって、青年の顔をまじまじと見つめた。口は少し開いて、目は前を凝視していた。額にうっすらと、皺が寄っているのは、囁き声のせいなのかも知れない。

「それは大変だね。でも、病院に行けば、先生に薬を貰えるし、きっと楽になるよ」

「そう簡単な事だとは、思えないけどね。ひょっとしたら頭を開いて、脳を取り出すのかも知れない」

 僕はその青年の頭から、脳が取り出される所を想像した。あまり気分の良い光景ではない。

「そうなったら、さぞかし辛いだろうね。でも、まだそうと決まった訳じゃないから、あまり気に病まない方がいいよ」

「機械に繋がれる? 俺はそんなの御免だね。耳を引き千切ってやる」

 まっすぐに前を見ながら、呟いたそれは、恐らく僕ではなく、頭の中の声に言ったのだろう。もう少しその青年と、話をしていたかったけど、僕は邪魔になるだけかも知れない。

「お前らの好きにはさせない。俺はもっと強いんだ。いつだってお前らなんか……」


 歩調を緩めて、自分のペースで歩き出すと、青年はどんどん道を進んで行った。彼がぶつぶつと呟く声が、暫くの間は耳に届いたが、彼の背中が小さくなるにつれ、聞こえなくなった。

 太陽は、真上より、ほんの少し傾いでいるが、変わらず暖かい光を、僕や僕の周りに、与えてくれる。花の香りが、どんどん強くなっている気がする。少し先を見ると、様々な色で賑わう、花畑があった。

 花畑には、座るのに丁度良さそうな、大きな岩があった。立派で疲れた鶏を倣って、僕も少しだけ、休む事にした。

 岩は少しひんやりとしていて、とても座り心地が良かった。晴れた空と、一面の色とりどりの花が、心をとても安らかにしてくれる。

 花に見惚れていると、僕が来た道から、つやつやとした、黒い猫が軽快な足取りで、歩いてきた。

 猫は僕に気付き、立ち止まって、首を傾げながら、尋ねてきた。

「あなたは、そこで何をしているの?」

 鈴の音の様に綺麗な声だ。育ちの良さそうな、上品な猫だ。

「僕は今は、少し休んでいるんだ。一面の花を見ていると、とても気分が良いよ」

 猫は立ち止まって、少し毛繕いをした後、あくびをした。僕と同じで、少し休む様だ。

「君はどこに向かっているんだい?」

 綺麗な毛並みを、眺めながら尋ねた。

「私はサーカスに行くの。この道の先に、大きなサーカス団が来てるのよ」

 猫はゆったりとした動作で、座りながら答えた。

「君はサーカスを、観るのが好きなの?」

「違うわよ。私はそのサーカスに入りたいの。曲芸師として、世界中を旅したいのよ」

 そう言って、猫は僕の目の前で、ひょいっと宙返りをして見せた。大したものだ。

「凄いね。君みたいに身軽で、綺麗な毛並みだったら、きっと大人気になると思うよ」

「ありがとう。貴方はこれから、何処へ向かうの?」

「僕は街へ向かってるんだよ。そこで幸せに暮らすんだ」

「素敵ね。私がサーカス団に入ったら、貴方の街に行くかも知れないから、また会えるかもね」

 猫はにっこりと笑って、また道を軽やかに歩きだした。

 綺麗な猫を見送り、僕もそろそろ歩き出そうと思った。


 花畑を過ぎると、緩やかな上り坂に差し掛かった、木々も少なく、青空を広く見渡せる。

 勾配が少し急になって、自然と視線が上を向く。小さな丘の様になっている。背の低い草や小さな花が、道の両脇に瑞々しく、茂っている。

 丘の頂上に近づくと、大きな切り株の上に、座っている人影が見えた。近付いていくと、丘の向こう側を眺めている、老婆の様だ。

 頂上に着いて、老婆に話しかけてみた。

「こんにちは。貴女はここで何をしているんですか?」

 老婆がゆっくりと首を巡らせ、穏やかな表情で答えた。

「ここが私の目的地なんだよ。とても眺めの良い、素敵な場所でしょ?」

 小さいが凛とした声が、耳に心地良い。

 僕は目の前の景色を眺めた。道はずっと続いていて、その周りに森や湖や、枝分かれした道が見える。本当に美しい光景だと思った。

「私はこの景色を観たかったんだ。その為に、長い道を、時間を掛けて、ゆっくり歩いて来たのさ」

「本当に素敵な眺めですね。僕もこんなに綺麗な景色は初めてです」

 僕は心からそう思った。

「あんたは、この先の道を進むのかい?」

 老婆は相変わらず、穏やかな顔で僕に尋ねた。

「ええ、僕はまだこの道を長く、ゆっくり歩いて行くつもりです」

「それは素晴らしい事だよ。あんたが自分の目的地に、着ける事を祈ってるよ」

「ありがとう。ここの景色は本当に素敵だ。僕は先に進みます。また何処かで」

「ああ、また何処かでね」

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