ファインダー
@fujisawa-rolling
ファインダー
俺が初めて行った町は、怪奇現象で溢れていた。
「よし、この辺りがいいな。」
早朝、俺は湖に来ていた。
まだ霧がうっすら残るこの場所は、山と木々に囲まれて建物さえない。
鼻から空気を吸えば、体全体が浄化されるようだ。
「お、来た来た。」
カシャ。
水面すれすれに飛ぶ白鳥をカメラでとらえた。
朝日でキラキラと輝く湖に浮かぶその姿は、とても幻想的だった。
「うん、いいのが撮れたな。」
俺は撮った写真に満足して家へと向かった。
「ただいま。」
「おかえり、直樹。いいの撮れた?」
家に帰ると、サラダを用意していた母さんがいつもの調子で聞いてきた。
「うん、ここ数日では一番いいかも。ほら。」
「まぁ、綺麗ね。」
写真を見て母さんはニコニコしている。
「それでね、母さん。
お願いがあるんだけど。」
「うん?何かしら?」
その笑顔に向かって言うとなると、言葉が喉でつっかえた。
「あの、俺。もっと写真を撮りたいから町に行きたいんだ。」
その言葉で母さんから表情は消え、手の動きも止まった。
「俺、父さんからもらったこのカメラでもっといろいろなものを撮りたい。
確かにここも好きだよ。
自然豊かでいい写真も撮れる。
けど、この辺りには俺らしか住んでいないじゃないか。
もっと俺は自分の可能性を試したいんだ。」
「何てことを言うの!!そんなの母さん許さないわ!!」
先ほどからは想像もつかない形相と声量で母さんは怒鳴った。
「あなたはここにずっと住んでいればいいの。
高校の勉強だって私たちがちゃんと教えているじゃない。」
「もう、それが嫌だって言うんだ!!
俺はもっと自由に生きたいんだよ!!」
すると、ガチャとドアが開き父さんが入って来た。
「ふあ~。朝から一体何を騒いでいるんだ。」
この場に似合わない寝ぼけた顔をしている。
「あなた、直樹が町に行きたいって言うのよ。」
「父さん、頼む。行かせてくれよ。」
二人に真っすぐな目で見られているのに、父は目を眠そうに擦っている。
「まぁ、いいんじゃないか。お前もそういう年頃だしな。」
「あなた!!」
「けどな、直樹。世の中はお前が思っている以上に残酷だぞ。
お前はそれを受け入れる覚悟があるのか?」
相変わらず顔は眠そうだったが、声は低くなった。
「もちろんだ。俺は父さんからもらったこのカメラでプロになるんだから。」
そう言って俺は、カメラを胸元に掲げる。
「それを言われちゃ敵わないな。ま、好きにしてみなさい。
母さん。今日のご飯は?」
ガッツポーズをする俺の横で、肩を落とした母は台所に消えていった。
身支度を整え、玄関で靴を履いていると父さんと母さんが来た。
「直樹。何か忘れ物はない?」
「大丈夫だよ、母さん。」
「町に行っても、あなたなら頑張れると信じているわ。」
町に行くだけなのに、母さんは涙ぐんでいる。
そんな母さんの肩にポンと父さんが手を乗せ、俺に言葉を向ける。
「直樹、これが町までの地図だ。
車道に出たらひたすら坂を下って行けば着くけど、念のためにな。」
そう言って父さんは、何重にも折りたたんだ紙の地図を手渡した。
「ありがとう。
それじゃあ、行ってくるね。」
「いってらっしゃい。」
二人の温かい言葉を背中に乗せて、俺の旅は始まった。
「えーっと、ここからどう行くんだっけ?」
自転車を漕いで1時間したところで、分かれ道に出くわした。
「父さんの地図がカバンの中に・・・あった。」
地図を広げると、両手をいっぱいに広げないといけないほど大きかった。
「これって車用の地図だよな。
しかも今どこにいるんだ?」
地図は一面緑で、山深いところにいることしか分からない。
「ま、行きたい方に行けばいいか。
これも旅の醍醐味だ。」
俺は地図をいい加減にカバンに詰めて、思うがままに道を進んだ。
道はずっとうねり、両手にはガードレールと木しか見えない。
「これが俺の初めての冒険だ!!」
そう思うと自然と頬が緩み、気が付けば坂道なのにペダルを漕いでいた。
鼻歌を歌っているうちに、段々と民家が増えていった。
「つ、着いた!」
家を出て4時間、俺は黄昏町と書かれた看板の前で自転車を止めた。
自動車がせわしなく行き来し、犬の散歩のおじいさんやジョギングする人が見える。
「お、この先に駅があるのか。行ってみよう。」
看板の矢印に言われるがまま、再びペダルを漕ぎだした。
が、ものの数分で再び止まってしまった。
「な、何だあれ?こんなことがあり得るのか?」
なんと、俺の目の前で物が浮いていたのだ。
冷蔵庫やタンスが左右に揺れながらゆっくりと進んでいる。
それらは列になって、次々と家に吸い込まれていった。
「こ、これは、ポルターガイストってやつか?」
俺はガタガタ震える手でどうにかハンドルを握り、思い切りペダルを漕いだ。
「気のせいだ。そうに違いない。」
一人で呟きながら俺はふと目に入った公園のベンチに座った。
「ふう、ふう。まったく心臓が縮むかと思った。」
俺はカバンからタオルを取り出して、汗を拭いた。
すると、ポーンポーンと何やら音がする。
「何の音だ?って、え、うあーーー。」
そこにはサッカーボールが独りでに動き回っていたのだった。
あちこちに転がり、飛び跳ね、まるで生きているようだった。
俺は転びそうになるほど前のめりになって、自転車に乗って飛び出した。
「な、なんて恐ろしい町なんだ。」
俺は橋に背を預け、どうにか息を整えた。
住宅街の間を細々と流れる川の両端には、桜の木があった。
「ここ、ちょっといい感じかも。」
いつの間にか俺はカバンからカメラを取り出していた。
先ほどまであったことなんて忘れて、どういうアングルがいいかしか考えられなかった。
「よし、ここだ。」
カシャ。
早速撮れた写真を見ると、そこには白いワンピースを着た髪の長い女性が立っていた。
「う、うわ。これって心霊写真?」
思わず落としそうになったカメラを抱え、自分の目であたりを見回す。
しかしそこには、俺しかいなかった。
「この町は呪われているのか?」
写真の女性が俺をじっと見ていることに気づき、俺は慌ててその場を去った。
「ここが駅か。やっぱり栄えているな。」
自転車を駐輪所に停めて、俺はぶらぶらと歩いていた。
大きなデパートが立ち並び、たくさんの人が歩いていた。
「やっぱり人が多いと安心するな。」
ただ人がいるだけで、先ほどまでの記憶も薄らぐ気がした。
しかし、ここにも奇妙なものがあった。
「何だあれは?札が浮いている?」
行き交う人たちの間を縫うように、板のようなものがフワフワ浮いている。
しかもそれは、一つではなくいくつもあった。
「こんなところにも、ポルターガイストが。」
しかし道行く人はそれを気にする様子もなかった。
「もしかして、見えていないのだろうか?
あ、俺は霊感が強いタイプだったのか!!」
その瞬間、心はスッとしたが、数秒持たずにぞわぞわと冷たいものが背筋を上った。
「まさか、町がこんなところだったなんて。
もしかして、母さんが反対していたのは、このことを知っていたからなのか?」
頭の中で色々なものが駆け巡り、頭がふらふらしてきた。
すると、目の前でルーズソックスの女子高生が、駅の構内に入っていく。
「マジ、あの演奏チョベリグなんですけど。」
気になった俺は、彼女と同じ方へと進んで行くと、構内のピアノの周りには人だかりがあった。
「マジで好きなんですけど。」
先ほどの女子高生がジャラジャラとストラップを着けた携帯で写真を撮っている。
俺も最後尾に立って、目をつぶって音楽を聴いた。
「何て素敵な曲だ。スッと不安が消えるようだ。
こんな曲を演奏するなんてどんな人だろう。」
気になった俺は、人をかき分けて前に進む。
ピアノのテンポが速まるのに合わせ、俺の鼓動も速くなっていく。
そして、その曲を奏でる正体は
「だ、誰もいない?」
そこには誰も座っておらず、鍵盤がベコベコ忙しく凹んでいるだけだった。
「うわ、わ。」
俺は再び人をかき分け、構内を走った。
「何なんだよ、この町。幽霊ばかりじゃないか!!
もう、こんなところにいられない。帰ろう!!」
すると俺は無意識に横断歩道を飛び出していた。
右手には車がすぐそこまで来ていた。
「あ、あぁ。」
クラクションの音が段々と大きくなり、車がものすごい速さで視界いっぱいに広がっていく。
ドサッ。
俺は横断歩道の手前で倒れていた。
「う、いてて。」
「何やっているんだ、君は!!」
声の方を向くと、ブレザーを着た少年がいた。
俺と同じ高校生なのだろう。
「あ、ありがとう、ございます。」
「まったく、いきなり飛び出したら危ないじゃないか。
僕が腕を引っ張らなかったらどうなっていたことか。」
ブレザーの少年が手を伸ばしたので、俺は掴んで立ち上がった。
「本当にありがとうございました。
危うく死んでしまうところでした。」
「まったくだ。君はともかく、ドライバーが怪我でもしたらどうするんだよ。」
「い、いくらなんでもそんな言い方は・・・。」
そう言うと、ブレザーの少年は眉間に皺を寄せた。
「もしかして君・・・。
ねえ、ちょっとそこのベンチで座って話そうか。」
俺は言われるがまま、ベンチで彼の隣のちょこんと座った。
「ごめん、そう言えば挨拶がまだだったね。
僕は足立 誠。よろしくね。
敬語は堅苦しいから、ため口でいいよ。」
そう言って足立は右手を差し出した。
「お、俺は。井上 直樹。よ、よろしく。」
震える俺の右手を足立はギュッと握った。
「井上君は町に来るの初めて?」
「ああ。家が山深くにあって駅に来るのも初めてだよ。」
「そこの地名って分かる?」
「曇天峠ってところだけど。」
そう答えると、足立はポケットから板を取り出して、指を滑らせている。
数分すると、足立は俺にこう言った。
「ああ、やっぱり。君とっくの昔に死んでいるね。」
そう言って彼は俺に板を押し付けた。
その光る画面には、こう書いてあった。
『一家心中か??曇天峠の一軒家にて(1998年5月10日)
10日午前、とある民家で悲惨な事件が起きた。
井上 仁志(42)、井上 美穂(40)、井上 直樹(18)が曇天峠の民家で遺体として発見された。
死因は一酸化炭素中毒によるもので、一家心中によるものと見られる。』
俺は頭が真っ白になり、息をするのも忘れていた。
「君は死んでから、初めて人里に来たんだろう?
ね、ねえ?聞いてる?」
気が付けば、俺は足立に肩を激しく揺すられていた。
「こ、この板に書いてあることは本当なのか?」
「板?ああ、スマホのことね。これは昔の新聞記事だから間違いないよ。」
再びスマホというものを見たが、単なる文字の羅列にしか見えなかった。
「けど、何で俺、死んで・・・。」
「あらら、混乱しちゃってるね。
ちょっと立ち上がって大きく手を振ってみて。」
言っている意味が分からなかったが、とりあえず言われるままやってみた。
近くを歩いている白髪のおばあさんがこちらを見てる。
何だか恥ずかしくなってすぐに座った。
「ほら、井上君。これ見て。」
手渡されたスマホには、目の前の景色の写真があった。
が、明らかにおかしい。
「な、これは心霊写真じゃないか?」
俺は即座に目を背ける。
そこにはいるはずのないたくさんの人がこちらを見ていた。
「違うよ、これこそ真実を写してるんだよ。よく見て。
さっきのおばあさんはどこにいる?」
ゆっくりと目を戻して写真を見ると、おばあさんはいなかった。
「この写真に写っているのは、生きている人たちなんだ。
そして、死んだ人はここには写らない。」
「え?え?この人たちみんな生きているの?」
「そう。そしておばあさんは死んでいるから写らなかった。」
再び写真からおばあさんを探したが、ただ胸がギュッとなっただけだった。
「けど、どうしてみんなこっちを見ているの?」
ふと気になって聞いてみると、
「それは、生きている人たちには俺たち幽霊が見えているからね。
さっき井上君が立って手を振ったでしょ。
だからみんなこっちを向いたんだよ。」
写真の人たちの目線をよく見ると、確かにカメラよりちょっと横を見ていた。
そして、宙に浮いていた板がみんな人の手に収まっていた。
「もしかして、物が浮いているように見えるのは、生きている人たちが持っているから?」
「その通り。」
足立はニカっと笑ったが、俺の気持ちは沈んでいくだけだった。
「じゃあ、俺って本当に死んでいるんだな。」
「間違いない。自殺した僕が言うんだから。」
俺は、自慢げに話す彼の言葉のどこにも希望を見出せなかった。
「どうして自殺なんてしたの?」
俺は視線を合わせたくないと思いながら、ゆっくりと足立の顔を見た。
「学校でいじめられててね。親も厳しかったし。
それで人生嫌になっちゃったんだ。それでね。」
明るく話してはいたが、最後の一言だけは暗く感じた。
「そうか、大変だったんだな。」
「ま、今はこうしてフラフラしているだけだけどね。」
そう言う彼の視線には、同じようにフラフラと歩く人たちがいた。
「けどさ、井上君はどうして急に町に来たの?」
突然の話題変更にビクッとしたが、俺はカバンからカメラを取り出した。
「俺さ、プロのカメラマンになりたくて。
今まで自然ばっかり撮ってたけど、もっといろんなものを撮りたくて。
けど、俺、もう死んでいるんだよな。
どれだけいっぱい撮っても、意味がないんだよな。」
気が付けば、俺の声は震え、涙が頬を伝っていた。
「俺、町に来れば夢や希望で溢れていると思っていたのに。
死んじゃってるなら、そんなものない等しいよな。
う、うう。うわぁぁぁぁぁぁぁ。」
耐え切れなくなった俺は、カメラを抱えて大声で泣き出した。
「大丈夫だって、井上君。心配することないさ。」
足立は優しく背中をさすって声を掛けてくれる。
けど、そんなの何の気休めにもならない。
俺はもう、この世から必要とされていないのだから。
すると、コンと頭に何かが当たった。
顔を上げると、棒が付いたキャンディが浮いている。
「ほら、井上君。見て。」
足立が掲げるスマホを見ると、キャンディを持った5歳くらいの女の子がいた。
こちらのキャンディを突き出したまま、眉毛を八の字にして、泣きそうな目をしている。
俺はおずおずと手を伸ばし、宙に浮くキャンディを掴んだ。
すると、画面の中の少女はニカっと笑って走って行った。
「井上君は死んだらもう何もかも意味がないと思うかい?」
俺はキャンディを手にしたまま再び泣き出した。
けれど、頬を伝うそれは、さっきよりも温かかった。
「あ、井上君久しぶり。」
「おう、足立元気だったか。」
俺は駅前のあのベンチでまた足立と会った。
「もうあれから3年も経つのか。
井上君が泣いたこのベンチも懐かしいね。」
「それは言うなって。」
「それで、今日はどこに行くの?」
足立が首を傾げて俺を見つめる。
「今日行くのは、俺の個展だ。」
「おお、ついに!!
まさか写真を使って生きている人たちに作品を出すなんて思わなかったよ。
今じゃ幽霊プロカメラマンとして人気じゃないか。」
「ま、それもお前との出会いがきっかけだけどな。
お前がネットに俺の写真を上げてくれたからだよ。
そこから死んでも意味があることを伝えようとしたら、こうなっただけだ。」
我ながらそう言うと頬がムズムズする。
足立は前を向いて歩いたまま頷くだけだった。
「ところで、足立。お前そろそろ成仏したいって言ってなかったか?」
「うん、それは辞めたよ。」
少し早足で先を歩いた足立は、立ち止まってこっちを向いた。
「だって、こんな面白いやつがいるなら、世の中捨てたものじゃないでしょ。」
そう笑って足立は走り出した。
「それなら、意味があったということかな。」
俺は小さく微笑んで、走り出した。
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