もの言わぬ文

 都の一角に構えられた屋敷に一通の文が届けられた。手紙の差出人は屋敷に住まう娘の評判を聞きつけたある貴族の男であった。曰く–––––突然の文、恐れ入り候。これまで折に触れてお名を聞き及び、また取り次ぎの折にうかがった御様子に、心を寄せずにはいられず、無作法ながら筆を取りました。もしこの文を重くお受け取りにならず、目に留めていただけましたなら、それ以上の望みはございません。–––––とのことであった。


 届けられた手紙を確認した娘は、いくばくかの驚きとともに、自分に仕える女房を呼び出した。取り急ぎ感謝の念を伝える返書をしたためよ、娘はそれ以上は告げなかった。


 娘の前を辞した女房は、男からの手紙を前に返答を考えることとなった。男の手紙は上質な紙に記されており、その書きぶり、言葉遣いも確かな見識を思わせるものであった。自身の仕える娘に舞い込んだ良縁の兆しに、女房は頭を悩まし、手に取る筆の動きも悪かった。


 時間をかけ熟考を重ねることで、女房はようやく返答の文を書き上げることができた–––––文、つつがなく拝見いたしました。心を寄せてくださったこと、ありがたく存じます。お言葉の一つ一つを、静かな心持ちで読み返しました。このように文を交わすことができましたのも、ひとえにご配慮の賜物と受け止めております。まずは返事まで申し上げます。–––––


 女房によってしたためられた返答は早速男のもとへと届けられた。その後も男と女房の代筆による手紙のやりとりは何往復か続けられることとなった。男からの手紙は次第に長さを増していき、娘への好意の肥大を感じさせるようであった。他方の女房の手紙も、それに応じるように、男からの好意を退けぬまま書き連ねられていた。


 男から寄せ続けられる好意に次第に興味を引かれた娘は、いよいよ自ら筆を取り男に文を書こうと思い至った。娘の書くところに曰く–––––文、拝見いたしました。これまで折々に言葉を寄せてくださったこと、ありがたく思っております。文を重ねるうち、心に留まるところも多く、思い巡らすことが増えてまいりました。いまはただ、このように返事を差し上げるにとどめます。まずは、返事まで申し上げます。–––––


 娘の書いた返事は男のもとへとつつがなく届けられた。しかしながら、当惑したのは返事を受け取った男である。これまで文のやりとりで幾度も好意を伝えてきており、娘からの返答もそれを拒まぬものであった。しかし、今届けられた返答はどこか距離を置いたものではないか。ともに歩んでいると思っていたら、途端に歩幅が合わなくなったような違和感に、男は返事を書くために筆を取ることも忘れ、しばらく娘からの手紙を前に呆然としていた。


 それから娘は幾日か待ち続けたが、ついに男からの次の手紙が届くことはなかった。娘は女房とともに困惑するほかなかったが、縁なしということで諦めるほかなかった。


 もはや不要となった男とのこれまでの文通の記録を処分するように命じられた女房は、積み重ねられて紙束を前にこれまでのやり取りを思い返していた。男からの手紙とそれに応じる返答の下書きの何枚かに目を通すうちに、次第に女房は気がつきつつあった。娘は男からの好意に驚き感謝こそすれ、それ以上の感情はなかったのである。良縁成就を願うばかりにそれ以上の気持ちが滲む文をしたためてしまったのは自分自身であった。そのことに思い至っても男からの返事はもはやない。


 ––––––––––*––––––––––*––––––––––

【解説】

 ・文通

 男女の恋の始まりは手紙や歌のやりとりからであった。男性は噂や垣根越しに見かける女性の陰から思いを寄せ、手紙を送った。手紙はその内容や使われている紙から相手を評価する材料とされた。男性からの手紙には女性が直接答えるのではなく、はじめのうちは女房が代筆することが多かった。手紙は途中で他の人の目に触れることがあるので、それでも良いように、あるいは二人の間だけで意味が通るように書かれた。

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