待つ夜
都の一角の屋敷の一室に女は座っていた。先刻訪れた乳母の告げることには、「今夜あたりいらっしゃるかも知れません」ということであった。報せを聞いたときは静かに頷くばかりで、喜ぶこともなかった。部屋にはあかりを灯し、香を焚かずに静かに座っていた。
御簾の外からは、まだ人の足音や通りからの物音が聞こえていた。
時間が経つにつれ、次第に物音が遠のき、静かな夜の訪れが感じられた。部屋には静かに座る女がいるだけであった。
女のもとを初めてその男が訪れたのは半月ほど前の夜であった。男のことはよく知らなかったが、贈られる歌からは確かな学がうかがえた。初めて共に過ごす夜は静かに過ぎていった。去り際、男は一言、「また参る」と告げて去っていった。女は次の夜の約束だと思っていた。
女が座る部屋には依然として静かな時間が流れていた。部屋に乳母が訪れ、「知らせがない、という知らせもあるものです」と言ったが、女には理解できず、あるいは感情が理解を許さず、静かに座り続けた。
さらに時間が過ぎ、物音は完全に過ぎ去った。夜が更けるに従い、女も次第に悟りはじめた–––––男は今夜は来ないのだ。
依然として静かな、しかしどこか沈んだ空気の部屋に、朝の日差しが差し込みはじめた。御簾の外から、鳥の声や家人の足音が聞こえてきた。夜は思っていたより長かった。女はそれでも静かに座っていた。それまで、乳母が幾度か部屋を訪れるだけで、何の報せも届かなかった。
座り疲れた女のもとを乳母が訪れた。「いらっしゃらなかったということは、それがお返事ではないでしょうか」、その言葉を聞いて、ようやく女も理解した。女のもとを男が訪れるかどうかは、男女の関係そのものなのだろう。
女の心には、男との文通や共に過ごした夜ではなく、一人で訪れを待つ夜の方が、重く残っていた。
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【解説】
・夜
平安時代において、夜は人と人が私的に関係を結ぶ時間であった。特に男女の訪問や対面は夜に行われることが多く、昼間に公然と会うことは避けられた。夜に訪れる、あるいは訪れないという行為そのものが、相手への意思表示となる場合もあった。
・通い
平安時代の男女関係では、男が女のもとへ通う形が一般的であった。女は自ら出向くことは少なく、屋敷の奥で男を待つ立場に置かれていた。
・恋愛観
平安時代には苦しいものこそが恋愛らしい恋愛なのだという価値観があったようである。例えば万葉集に次の歌がある。
夏の野の繁みに咲ける姫百合の知らえぬ恋は苦しきものぞ(大伴坂上郎女)
古今集では、
恋しきに命を替ふるものならば死には易くぞあるべかりける(詠人しらず)
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