恋について

萩 檸檬

恋について  萩 檸檬

僕は、たぶん恋をしている。

そう思われているし、自分でもそうなのだろうと思う。

ただ、確信があるわけではない。

確信がないまま、恋の周りをうろうろしている。


本を読む。

読まずにいられないほどでもないが、

読まないでいると、少し落ち着かない。

文章の中の、言い切れない感じや、

どうとも取れる余白を眺めていると、

自分の考え方もそれで許される気がする。

恋について考えるのも、同じだ。

勢いで踏み込めば楽なのだろうが、

どうも僕は立ち止まってしまう。

恋をしている自分を、

横から眺めてしまう癖がある。


オペラや小説の恋は、いつも派手だ。

命を賭けたり、人生を壊したりする。

そこまで行くと、

もう恋というより信仰に近い。

感心はするが、

自分がそこに立つ姿は、どうしても想像できない。

現実の恋は、もっと静かだ。

壊れるものはほとんどない。

そのかわり、

始まったのかどうかも、よく分からない。


彼女と会う。

待ち合わせの場所で、

彼女はだいたいいつも先に来ている。

僕を見つけると、

軽く手を挙げて笑う。

それだけのことで、

胸のあたりが少し緩む。

並んで歩く。

彼女はよく喋る。

今日食べたものの話や、

どうでもいい出来事の話を、

楽しそうに続ける。

僕はそれを聞きながら、

時々相槌を打つ。

考えなくていい会話は、

思っていたより心地いい。


喫茶店に入る。

彼女は迷わず甘いものを選ぶ。

今日はそういう気分だから、

という顔をしている。

僕はコーヒーを頼む。

彼女がフォークを口に運ぶのを、

なんとなく見ている。

最近読んでいる本の話をすると、

彼女は頷く。

分かったふりはしないが、

聞いていない感じもしない。

「へえ」とか「そうなんだ」とか、

それくらいで十分らしい。

その距離感が、

僕には少しまぶしい。


街を歩く。

空が綺麗だとか、

少し疲れたとか、

彼女はそんなことを言う。

僕は頷く。

その瞬間、

恋について何も考えていない自分に気づく。

それが、少し嬉しい。


あるとき、彼女が聞いた。


「私のこと、好き?」


あまりに自然だったので、

構えずに答えてしまった。


「好きだよ。」


言ってから、

ほんの少しだけ不安になる。

今の言い方は、

ちゃんとしていただろうか、

などと考えてしまう。


彼女は頷いた。

それから、少し間を置いて言った。


「一緒にいると、楽しそうだよね。」

僕は笑ってしまった。

たしかにそうだと思ったからだ。


でもね、と彼女は続けた。


「私じゃなくてもいいんだと思う。」


責める感じはなかった。

試す様子もなかった。

思いついたことを、

そのまま口にしただけだった。


何も言えなかった。

言い返せなかったわけではない。

ただ、その言葉が、

妙にしっくりきてしまった。


あとになって、

ようやく分かった気がした。

僕は恋をしていたのではなく、

恋をしている自分を、

それなりに大事にしていただけなのかもしれない。

そう思うと、

少し恥ずかしくて、

少し楽だった。


それでも、

きっとこれからも、

僕の恋は続くだろう。

そのたびに、

同じところで立ち止まる気もする。

今はただ、

少し風が冷たいな、と思いながら、

彼女と別れた道を歩いている。

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