卵から生まれてきたもの

白黒灰色

卵から生まれてきたもの


 死んだ生き物を蘇らせる。私の地元にそんな都市伝説があった。


 やり方は、まず卵を用意し、小さな穴を開けてストローで中を吸いだす。

 次に、卵の中に蘇らせたい者の毛や皮膚など(要するにDNAが分かる物)を入れる。

 最後に、卵の中を雌の生き物の血で満たす。

 後はそれから何日かすれば、卵が孵化し、死んだ者が蘇る……という訳である。


 正確には蘇るというよりも、生まれ変わるのだが、同じようなものだ。

 私は小学3年生だった頃、この都市伝説を試してみたことがあった。




 桜も散り、春も終わりの気配を見せ始めた5月の終わり。

 私の家で飼っていた、柴犬の『コロ』が病気で亡くなった。

 コロは私が1年生だった頃に見つけた捨て犬だった。私が面倒を見る約束で、私の家で飼うことになったのだ。

 私にとってコロは、それ以来いつも一緒にいる相棒で……だからこそ、死んでしまった時のショックは大きかった。

 火葬され、骨だけになったコロを見ても、いまいち現実感が湧いてこない。


 学校から帰ってきた時に。

 晩御飯の時に。

 休日の散歩に出かける時に。


 つい、いつもコロがいた寝床に声をかけてしまう。

 今でも、呼べば尻尾を振って私の所に駆けつけてくれる。そんな気がしてしまうのだ。

 心の中にぽっかりと大きな穴が空いてしまったようで、別の何かで埋めることができない。涙になって、すぐに零れ落ちてしまう。

 以前は好きだったゲームも漫画も色あせてしまって、私はただ無気力に時間を過ごしていた。


 例の都市伝説を知ったのは、その頃だった。

 梅雨が開け、夏の暑さが本格的になりかけた頃。普段は興味がない、クラスメイトの怪談話が耳に入ってきたのだ。

 卵くらいなら私のお小遣いでも買える。DNAも火葬場の人がくれた、コロの遺骨が入ったペンダントがある。

 私は学校から帰ってくると、ランドセルを放り投げ、早速儀式の準備を始めた。

 箸を使って慎重に卵に穴をあけ、ストローで中身を吸い出す。

 卵の中にコロの遺骨を入れ、血は自分のものを使った。画鋲で人差し指に傷をつけた。

 でも流石に、卵を満たすほどの血は入れられなかったので、大半は絵具で赤くした水道水で代用した。

 

 ――どうかコロが生き返りますように……。


 準備を終えて、私は額に卵を当てて、期待を込めた。

 願い、祈り。いや、それは歪んだ呪いだったのかもしれない。

 私は卵を掲げて、しばらく見つめていたが「ご飯できたわよ」というお母さんの声で我に返った。

 掃除で部屋に入って来たお母さんに捨てられないように、私は卵を机の引き出しに入れて、1階のキッチンへと下りて行った。


 それから毎日、私は暇さえあれば引き出しを開け、卵を観察した。

 1か月位たっても、中々、目に見えた変化は見られない。

 流石に子供私でも、そんなに簡単にいかないことは分かっている。そもそも、こんな都市伝説で本当にコロが蘇るとも思っていなかった。

 ただコロの死を認めたくなくて……心の穴を埋められる、何か縋るものが欲しかっただけ。

 いままで追っていたコロの幻影が、この卵に代わっただけ。

 またすぐに虚しくなると分かっていても、止められなかった。

「コロ……本当にもう、会えないの?」

 ツンツンと、昔寝ていたコロにイタズラした時のように、卵をつついてみる。

 コロと違って卵は反応しなかった。

 それが当たり前だと分かっていても、イライラしてしまう。

 感情に任せて攻撃をデコピンに代えると、卵がひっくり返ってしまった。

「あっ……ごめん」

 私は慌てて、卵を起こす。だがその時に、妙なことに気がついた。 

 

 ――卵から水がこぼれてこなかったのだ。


「……?」

 もしかして、蒸発したのだろうか?

 お母さんが卵に気がついて何かしたとか? いや、中の水だけ捨てるなんて……。

 私は恐る恐る卵を手に取り、穴の中を覗いてみる。暗くてよく見えないが、確かに水は無くなっていた。代わりに毛のような物が見えた。

 信じられなかった。しかし、自分の目の前で現実にそれが起きている。

「もしかして、コロなの?」

 呼びかけてみても返事がない。でも、中にいるのはきっとコロに違いない。

 中の様子が見たくて、私は夢中になって卵を傾けたり、顔を近づけたり、遠ざけたりしてみた。

 できるだけ中に光を入れたい。もういっそのこと、懐中電灯でも持ってこようか。

 私がそんなことを思っていた時だった。

 

 ――卵の中にいた『何か』と、目があったのだ。


 私は驚いて、卵から手を離してしまった。

「何だったの? あれ」

 目玉だったのは理解できる。でも、その目にコロの面影はなかった。異様なほど血走っていて、体に対して大きく見えた。

 卵はカーペットの上に落ちたから、幸いにも割れずに済んだ。

 だが、その衝撃は『何か』にとって不快だったのか、卵は動き出す。

 窮屈な殻を抜け出し外に出ようとしているみたいで、卵が動きに合わせて表面に亀裂が走る。

 怖くなった私は卵を持つと、急いで外に出た。

 ゴソゴソと蠢く卵の感触が気持ち悪い。

 私は近くの公園に駆け込むと、卵を地面に叩きつけた。

 そしてそのまま、家に帰ろうとした。

 でも……


 クゥーン 


 背後から聞こえる縋るような鳴き声に、私は思わず足を止めてしまった。

 そして、そのまま反射的に振り返ってしまった。


 街灯に照らされた『何か』は、私の知っているコロとは似ても似つかない姿だった。

 犬だと言われれば、そう見えなくもない。

 でもその体は所々朽ち果てていて、尻尾と左前脚、顔の左半分が無い。骨もきちんと付いていないのか、体はフニャフニャみたいで、姿勢を保てず倒れていた。

 『何か』がジッとこちらを見てくる。コロとは似ても似つかない姿なのに、その様子だけはコロを意識させた。

 最後を看取った時も、コロはジッと私のことを見ていた。

 ボロボロで、もう体を動かすこともできず、縋るような声で鳴きながら、視線だけをこちらに向ける。

 私はそんなコロの姿を、『かわいそう』ではなく、『怖い』と思った。

 死んでいく生き物を見るのが怖い。いなくなってしまうことが怖い。

 だから最後は目をつぶった。

 コロが死ぬところを見たくなかったから。死んだと思いたくなかったから。

 だから蘇らせようと、こんな都市伝説にも縋った。

「……もしかして、やっぱりコロなの?」

 私の言葉に、『何か』はまた、小さな鳴き声で答える。

 あれがコロなのかは、いまだに自信が持てない。

 けれどコロでなくても、あれがあんな形で生まれてしまったのは、私のせいだ。


 ちゃんと生き物の血で卵の中を満たさなかったから。

 中途半端なタイミングで覚醒させてしまったから。


「私が面倒を見る約束で、コロを……ペットを飼うって決めたんだ」

 私は街灯の下へと歩き出す。

 『何か』の前でしゃがむと、『何か』は最後の力をふり絞って顔を上げた。

 コロの時と同じだ。

 でも今度は、目を閉じずに見届ける。

 街灯の静かな光の中、『何か』は最後にホッとしたような顔をして、目を閉じた。


 「ごめんなさい」


 最後の私の声は『何か』に届いただろうか?

 これで良かったのかは分からないが、正直、今の私にはこれくらいのことしかできない。

 私は手を合わせると、涙を拭って立ち上がった。

 『何か』はもう死んでいるのに、しばらくはあの鳴き声が耳から離れなかった。





 私が例の都市伝説を試してから、もう10年以上の年月が経っていた。

 私は『何か』の死を見届けた後、スコップを取りに家に帰って『何か』を公園の隅に埋めた。その上に大きめの石を置き、お墓を作った。本当はコロと同じ場所に埋めた方がいいような気もしたが、動物霊園は車じゃないと行けないような場所にあったし、事情を説明するわけにもいかない。

 その代わり、お墓参りには毎年行くようにした。

 流石に墓石代わりの石はどかされたが、場所は忘れられない。

 私は墓の前で手を合わせて、少し話をした。

「君は……私のことを恨んでる? 今でも思うよ。ちゃんと儀式をしていれば、あんな不完全な姿で生まれることはなかっただろうって。私はちゃんと、君に償えているかな?」

 当たり前だが、返事はなかった。

 相手が死んでいる以上、償えているかどうかなんて、結局は私の主観でしかない。

 罪と向き合っているようで、ただの自己満足なのだ。

 でも、現実から目を背けないためにも、こういった行為にも意味があるようにも思う。

「だから……来年もちゃんとここに来るよ。もうあんな、都市伝説もやらない」

 私は立ち上がると、お供え物として、コロが好きだったお菓子を置いた。

 正直、『何か』のお供え物としてこれが適切かは分からないのだが、何もないよりはましだろう。

「またね」

 公園を出る時、私はお墓の方を振り返った。

 でも、ほんの一瞬だ。

 夏の暑さに耐えられず、直ぐに家に引き返す。

 私はまた、いつもの現実に戻っていった。

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