「無能な兄はいらない」と実家を追放された俺、実は創世神の生まれ変わりだった。〜人類最強の【聖女】になった実妹が、俺の足元に跪き「お兄様を捨てた人類なんて、今すぐ滅ぼしましょうか?」と微笑んでいる件〜
kuni
第1話
冷たい雨が、容赦なく俺の全身を叩きつけていた。
晩秋の冷気を含んだ滴が、薄手のシャツを透かして体温を奪っていく。
石畳に打ち付けられる雨音だけが、今の俺に許された唯一の音だった。
「無能なゴミめ。二度とその汚い面を俺の前に見せるな。貴様は我が公爵家の汚点だ」
背後で、重厚な鉄の門扉が乾いた音を立てて閉ざされた。
俺を突き飛ばしたのは、実の父親であるグレイロード公爵だ。
その瞳には、血の繋がった息子に向ける慈しみなど微塵もなかった。
そこにあったのは、壊れた道具を道端に捨てる時のような、底冷えのする無関心と嫌悪だけだった。
今日は、十五歳になる貴族の子供たちが一堂に会する鑑定の儀の日だった。
家柄や血筋に応じて、神から魔法やスキルを授かる神聖な儀式。
歴史ある魔導公爵家として、俺にかかる期待は異常なほど大きかった。
だが、結果は非情だった。
魔力、ゼロ。
スキル、なし。
加護、なし。
測定の水晶は一度も光ることなく、冷え切った沈黙を保ち続けた。
その瞬間、周囲の視線は一変した。
期待は失望へ、失望は侮蔑へと姿を変え、俺を包囲した。
母も、義理の兄たちも、俺から目を逸らした。
昨日までおべっかを使っていた使用人たちでさえ、俺が屋敷を追い出される時には、汚物を避けるような足取りで道を開けたのだ。
「……はは、本当に何もなくなっちゃったな」
俺、カイル・ヴァン・グレイロードは、今日この瞬間にすべてを失った。
名前も、地位も、帰る場所も。
雨水が目に入り、視界が滲む。
寒さのせいか、それとも情けなさのせいか、指先が激しく震えていた。
泥水にまみれた膝をつき、俺はただ、暗い夜の底を這いずるしかなかった。
どれくらい歩いたのだろうか。
貴族街を抜けた先にある、人気のない裏路地。
積み上げられた木箱の陰で、俺はガタガタと震えながら座り込んでいた。
お腹が空いた。
朝から儀式の準備で何も食べていなかった胃袋が、悲鳴を上げている。
体温は下がり続け、意識が少しずつ遠のいていくのがわかった。
死ぬのかな、とぼんやり思った。
公爵家の面汚しとして、誰にも知られず、この雨の中で朽ちていく。
それも悪くないかもしれない。
あんな冷たい家で、無能の烙印を押されながら生き続けるよりは、ずっとマシだ。
だが、心の奥底で、奇妙な感覚が疼いていた。
それは絶望とは正反対の、静かで、圧倒的な何か。
まるで深い眠りから覚めようとしている巨大な獣のような、形容しがたい鼓動。
意識が朦朧とする中で、俺は無意識に、枯れ果てた喉を震わせて呟いた。
「……温かい、パンが食べたいな」
それは、ただの独り言だった。
死に際の間際に見る、幼い願い。
魔法も使えない、スキルもない俺に、何かができるはずがない。
その瞬間、世界の法則が悲鳴を上げた。
パキ、と空間にひびが入るような音がした。
俺の目の前の空間が黄金色に歪み、そこから眩いばかりの光が溢れ出す。
雨粒が空中で静止し、冷たい大気が一瞬にして春のような暖かさに包まれた。
光の中から現れたのは、一つの籠だった。
中には、焼きたての香ばしい匂いを漂わせる白いパンと、湯気を立てるスープ。
そして、この世のものとは思えないほど美しい輝きを放つ果実。
「え……?」
震える手で、俺はそのパンに触れた。
温かい。
幻なんかじゃない。
口に含むと、驚くほど豊潤な小麦の香りと、力が全身に染み渡るような感覚があった。
一口食べるごとに、凍えていた体が芯から熱くなっていく。
これはいったい、何の魔法だ?
いや、違う。
俺は魔法を使った覚えなんてない。
ただ、願っただけだ。
願った通りに、世界が作り変えられた。
まるで、最初からこの世界のすべてが、俺の言葉に従うのが当たり前であるかのように。
混乱する頭を抱え、俺は自分の手のひらを見つめた。
そこには魔力の残滓などない。
ただ、万物を支配する理そのものが、俺の指先に宿っているような、恐ろしいほどの万能感だけがあった。
その時、遠くから荘厳な調べが聞こえてきた。
雨音を掻き消すような、重厚な蹄の音。
そして、夜の闇を白日の如く照らし出す、数多の魔導松明の光。
路地の入り口に、白銀の装飾を施された巨大な馬車が止まった。
それを取り囲むのは、国に数百人しかいないとされる最精鋭、聖教会の聖騎士団。
彼らが一斉に馬から降り、整然と左右に分かれて道を作る。
馬車の扉に刻まれているのは、太陽と百合の紋章。
現王室すら一目を置く、人類の至宝。
当代最高の魔力を持ち、神の声を聞くと称される聖女、リーシャ・ヴァン・グレイロードの紋章だった。
「リーシャ……?」
俺の喉が、懐かしい名前を呼んだ。
二年前、聖女として選別され、聖都へと引き取られていった俺のたった一人の妹。
屋敷にいた頃、無能だと蔑まれていた俺の側に、唯一寄り添ってくれた優しい少女。
馬車の扉が開いた。
中から現れたのは、透き通るような銀髪をなびかせた、神々しいまでの美少女だった。
彼女が地面に足を下ろした瞬間、周囲の空気が張り詰める。
聖女が放つ圧倒的な威圧感と神聖な魔力に、野次馬として集まっていた平民たちや、遠巻きに見ていた騎士たちまでもが、無意識に膝をついた。
だが、彼女の瞳は、周囲の心酔など一切映していなかった。
その黄金の双眸は、激しい焦燥と、狂気にも似た情熱を湛えて、暗い路地の奥を凝視している。
彼女は、泥濘にまみれた地面を気にする様子もなく、ドレスの裾を汚しながら走り出した。
聖女としての品位も、周囲の視線も、今の彼女には何の意味も持たないようだった。
「お兄様……!」
悲鳴のような声が、雨夜に響く。
リーシャは俺を見つけるなり、その場に崩れ落ちるようにして駆け寄ってきた。
彼女の顔は涙で濡れ、呼吸は激しく乱れている。
あんなに冷静で、誰に対しても氷のように冷徹だと噂されていた聖女の姿は、そこにはなかった。
「ああ……ああ、よかった。やっと、やっと見つけましたわ……!」
リーシャは、泥と雨に汚れた俺の体を、壊れ物を扱うような手つきで抱きしめた。
彼女の体から漂う、高級な香油と白百合の匂いが、俺の鼻腔をくすぐる。
彼女の細い腕は、逃がさないと言わんばかりの強い力で俺を拘束していた。
「お兄様、お兄様、お兄様……! 申し訳ありません、お迎えが遅れました。あんなクズ共に、お兄様が傷つけられるなんて……!」
彼女の言葉には、深い慈しみと同時に、背筋が凍るような憎悪が混じっていた。
リーシャは俺の顔を両手で包み込み、うっとりとした、どこか陶酔したような瞳で俺を見つめる。
そして、彼女は迷うことなく、泥水が溜まった石畳の上に膝をついた。
聖女が、一介の追放者に跪く。
その光景に、周囲の聖騎士たちが驚愕に目を見開いた。
「リーシャ、服が汚れるよ。立ちなさい」
俺の戸惑いの声を、彼女は首を振って拒絶した。
「いいえ。お兄様の足元こそが、私の唯一の居場所なのです。……お兄様、すべて聞き及んでおりますわ。あの愚かな公爵家が、神である貴方を追放したなどと」
リーシャの瞳から、一瞬にして光が消えた。
彼女が俺の後方、公爵邸がある方角へ視線を向けると、その場の温度が物理的に下がったような錯覚に陥る。
聖女の体から溢れ出すのは、癒やしの光などではない。
すべてを無に帰すような、苛烈な殺意の波動だった。
「お兄様を無能と呼び、その御身に触れたあの者たち……。どのような処刑がお望みですか? 舌を抜き、四肢を削ぎ、一族郎党すべてを地獄の業火で焼き尽くしましょうか?」
リーシャは、恋する少女のような愛らしい微笑みを浮かべながら、恐ろしい言葉を吐き出した。
その瞳は本気だった。
俺が頷きさえすれば、彼女はこの国を代表する公爵家を、今夜中に地図から消し去るだろう。
「それとも……お兄様を捨てたこの人類そのものを、今すぐ滅ぼしましょうか? 貴方のいない世界など、存続させる価値などございませんもの」
彼女の手が、俺の頬を優しく撫でる。
その指先は熱く、狂おしいほどの崇拝が込められていた。
「お兄様は、ただそこにいらしてくださるだけで良いのです。あとの不快な掃除は、すべてこのリーシャにお任せください。貴方の足元を汚す不敬者は、私が一匹残らず排除いたしますわ」
俺は、妹のあまりの変貌に言葉を失った。
だが、不思議と恐怖はなかった。
彼女の狂気的なまでの愛が、今の俺には心地よかった。
俺の内に眠る創世の力と、俺を唯一神と仰ぐ最強の聖女。
冷たい雨はいつの間にか止み、雲の隙間から、新しい世界の夜明けを告げるような月光が差し込んでいた。
「……勝手にしなよ、リーシャ。俺はもう、あの家には何の未練もないんだ」
俺がそう答えると、リーシャは花が綻ぶような笑顔を見せた。
それは、世界で一番美しく、そして一番残酷な、狂信者の微笑みだった。
「はい、お兄様。貴方の望むままに。……さあ、参りましょう。これからは、私がお兄様を永遠に、至高の場所でお守りいたします」
人類最強の聖女に抱えられ、俺は泥の中から立ち上がった。
かつて俺を無能と嘲笑った者たちが、絶望に染まる未来を幻視しながら。
俺たちの神話は、この雨上がりの夜から、鮮烈に幕を開けたのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます