第8話  選別

 廊下に踏み出した一歩目が、軋む音を立てた。  僕の記憶にある限り、屋内でもっとも寒かったのは高校の体育館へ続く渡り廊下だ。  だが、あれはまだ昼間の話。今は夜だ。  太陽という熱源を失った空気は、冷たいを通り越して「痛い」。まるで無数の針が肌に突き刺さってくるようだ。


 僕は懐中電灯を照らし、キッチンへと急いだ。  冷蔵庫の扉を開ける。  暗闇に浮かび上がる食材たち。庫内の明かりが消えていることが、文明の死を静かに物語っていた。


さて、選別だ。  僕はポケットからスマホを取り出した。  画面右上のアンテナ表示を見る。  『4G』の文字。アンテナは1本だけ立っていた。


「よかった、まだ生きてる……」


 昼間に調べておいた知識が頭をよぎる。  たとえ家庭への送電が止まっても、携帯電話の基地局には非常用バッテリーがある。それが尽きるまでの数時間から一日は、通信ができるはずだ。  この細い電波だけが、世界と僕を繋ぐ唯一の命綱だ。 


僕は震える指で検索窓に打ち込んだ。  『食材 保存 冷凍 見分け方』  表示された情報を元に、冷蔵庫の中身を「部屋に残すもの」と「外へ出すもの」に振り分けていく。


「肉、魚、ハム、冷凍食品……こいつらは外だ」


 次々に袋へ放り込む。  だが、問題は「凍らせたくないもの」だ。  調べたところ、卵、豆腐、こんにゃく、瓶詰めのジャム。これらは凍ると殻が割れたり、食感がゴムみたいになって食べられなくなるらしい。


「冷蔵庫に入れておけば大丈夫か……?」


 一瞬迷ったが、すぐに首を横に振った。  ここは北海道だ。暖房の消えた家は、遅かれ早かれ外気と同じ氷点下になる。そうなれば、冷蔵庫の中だって凍りつく。冷蔵庫はただの「保温性の高い箱」に過ぎないんだ。  


「……こいつらは部屋行きだ」


 僕は卵のパックを慎重に抱え、豆腐と水気の多い野菜を別の袋に入れた。    量が多い。  外行き用の袋が3つ。部屋行き用の袋が2つ。  一度で運ぼうとしたのが間違いだった。  両手がふさがり、脇にも袋を挟む。重い。指にビニールが食い込んで痛い。    ガサッ。    袋の一つが足に絡まり、バランスを崩しかけた。   「っと……!」


 冷や汗が吹き出る。ここで転んで卵を割ったら泣くに泣けない。  僕は壁に肩を預け、荒くなった呼吸を整える。 たかが食材の移動。それだけのことが、この寒さと暗闇の中では身を削る苦行と化す。 なんとか玄関までたどり着き、外行きの袋だけを持って外へ出た。  勝手口なんてないから、正面玄関から出るしかない。


 夜の住宅街は、死んだように静まり返っていた。  頬を叩く風が冷たい。  僕は雪の上に袋を置き、スコップを構えた。


「……まてよ?」


  確か、かまくらの中って暖かいんじゃなかったか?  雪は空気を多く含んでいるから断熱効果が高い。だから雪の中に埋めると、温度は0度くらいで安定するはずだ。  いわゆる雪室(ゆきむろ)効果だ。野菜にはいいけど、肉をガチガチに冷凍したいなら温度が高すぎるかもしれない。スマホで確認すると、今の気温はマイナス8度。  雪に埋めるより、外気に晒したほうがよく冷える。


「でも、このままじゃカラスの餌食だ……」


 どうする?  衣装ケースのような都合のいいものは見当たらない。  かといって、家の中に置いておけば腐る。  寒さと焦りで思考が鈍る中、視界の隅に四角い影が入った。


 道路脇にある、銀色の箱。  北海道のゴミ捨て場――**「ゴミステーション」**だ。


 カラス除けのために作られた、鉄枠と金網の頑丈な箱。  あそこなら通気性は抜群で、カラスもキツネも手出しできない。  僕は袋を引きずり、ゴミステーションへ走った。    重い鉄の蓋を開ける。  中は空っぽで、きれいな状態だった。札幌のゴミ収集は朝だから、回収された後だったのが幸いした。  僕は肉や魚が入った袋を金網の中に押し込み、蓋をガシャンと閉めた。


「よし……これでいい」


 完璧な天然冷凍庫の完成だ。  達成感に浸る間もなく、寒さで指が痛くなっていた。 明日も外での作業があるだろう。 家で手袋を探したほうがいいかもしれない。


 僕は大慌てで家に戻り、残りの「部屋行き」の食材を抱えて2階へ駆け上がった。  自室に飛び込む。  モワッとした熱気。   「はぁ……はぁ……」


 卵や豆腐を机の脇に置き、僕はそのまま布団の上に倒れ込んだ。  たった数十分の作業で、体力を根こそぎ持っていかれた気分だ。


 手足の感覚が徐々に戻ってくると同時に、強烈な睡魔と不安が襲ってきた。  僕はスキーウェアを着たまま布団を頭まで被り、スマホの画面を光らせた。    基地局のバッテリーが切れるまで、あとどれくらいだろう。  知りたいこと、調べなきゃいけないことは山ほどある。


 僕は祈るような気持ちで、検索窓に文字を打ち込み始めた。

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