第5話 最後の晩餐
午後4時。窓の外はもう完全に夜だ。 僕は冷蔵庫の扉を開け放ち、冷気の中で腕組みをしていた。
「……他にもっとやるべきことがあるんじゃないか?」
そんな焦りが頭をよぎる。 でも、ネットで調べるべきことは調べた。水も溜めた。ストーブも確保した(灯油は少ないけど)。 なら、電気が生きている今のうちにやるべき最強の行動は、この中の「生鮮食品」を胃袋に収めることだ。
冷蔵庫の中には、昨日の残りの豚コマ切れ肉、賞味期限ギリギリの鶏モモ肉、そして半額シールの貼られた牛バラ肉があった。母さんの買いだめ癖に感謝だ。 でも、停電したら冷蔵庫はただの箱になる。 (外の雪の中に埋めとけば、天然の冷凍庫になるか……?) そんな北海道民らしい知恵を思いつきつつ、とりあえず今夜食べる分を全部取り出した。
問題は、僕が全く料理ができないことだ。 凝った味付けなんて無理だ。 「たぶん焼けば食えるだろ。」 僕はIHコンロの前に立ち、3口あるヒーターのうち2つを使った。 フライパンを2枚並べる。油を適当に引いて、電源オン。 火力最大。 肉をパックから直接フライパンへ放り込む。
ジュワアアアアッ!!
換気扇が唸りを上げ、肉の焼けるいい匂いが充満する。 よし、順調だ。 そう思った矢先、致命的なミスに気づいた。
「……あ、米」
炊飯器の蓋を開ける。空っぽだ。 バスタブにあんなに水を溜めたのに、なんで一番大事な「飯」を炊いておかなかったんだ。僕のバカ。
「くそっ、間に合うか!?」
僕は慌ててスマホを取り出し、『米 炊き方 早炊き』で検索する。 高校1年生にもなって米もたけない自分にあきれながら、ボウルに無洗米をザラザラと流し込み、計量も適当に水を注ぐ。 研ぐ時間も惜しい。軽くすすいで、炊飯器の釜にセット。 『早炊き』モード、スイッチオン!
背後ではフライパンの肉がバチバチと脂を跳ねさせている。 僕は菜箸を両手に持ち、二つのフライパンを行ったり来たりしながら肉を裏返した。
「熱っ、あつっ!」
腕に油が飛ぶ。 肉をひっくり返し、塩コショウを乱暴に振る。 その横で、今度は冷蔵庫から焼肉のタレを取り出す。 狭いキッチンで一人、ドタバタと動き回る自分。
ふと、おかしさがこみ上げてきた。 世界が終わったっていうのに、僕は何を必死に肉を焼いているんだろう。 外には誰もいない。家族もいない。 なのに、意外と冷静に「腹が減った」とか考えている自分がいる。 人間って、案外タフにできているのかもしれない。
15分後。 第一陣の肉が焼き上がった。皿に移す。 だが、炊飯器の表示はまだ『あと20分』。 米がないと肉が進まない。
「……よし、もう全部焼いちゃえ」
僕は残っていた鶏肉も全てフライパンに投入した。 どうせ明日は焼けないかもしれないんだ。今日中に火を通しておいた方が保存も効くだろう。
再び肉との格闘。 換気扇がゴーゴーと回り、IHコンロがブーンと駆動音を立てる。 キッチンは熱気で暑いくらいだった。
そして数十分後。 『ピーッ、ピーッ』 炊飯器が炊き上がりを告げた。 同時に、全ての肉が焼き上がり、大皿の上には茶色い肉の山が完成した。 完璧なタイミングだ。
「勝った……」
僕はガッツポーズをした。 炊きたての米の甘い匂い。香ばしい肉の香り。 最高の最後の晩餐だ。
茶碗によそおうとして、ふと思った。 待てよ。この電気、いつまで持つか分からない。 今、釜に入っているのは3合。 もし食べている間に電気が止まったら、もう二度と炊飯器は使えない。 食べる前に、釜のご飯をタッパーに移して、もう一回――あと3合炊いておけば、明日の分も確保できるんじゃないか?
「よし、やるか」
我ながら名案だ。 僕は空のタッパーを探そうと、棚に手を伸ばした。
その時だった。
フッ。
何の前触れもなかった。 換気扇の音が、唐突に止んだ。 IHコンロの赤いランプが消えた。 頭上の照明が落ちた。
世界が、真っ黒になった。
「え?」
暗闇の中で、僕の声だけが響く。 換気扇のファンが、惰性でカラカラと回る音だけが聞こえる。 僕は手探りでシンクの蛇口に手を伸ばし、レバーを上げた。
……シーン。
水が出ない。 さっきまで勢いよく出ていた水流が、完全に死んでいる。
窓の外を見る。 街灯も、隣の家の明かりも、自販機の光も、すべて消えていた。 そこにあるのは、雪明かりだけがぼんやりと浮かび上がらせる、完全な静寂と闇。
ブラックアウト。
手元には、熱々の肉とご飯。 でも、それを温めてくれていた文明は、今この瞬間、息絶えたのだ。
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