第4話 氷点下の捜索
覚悟を決めて、玄関にある冬用の靴につま先を突っ込んだ。 一歩外に出た瞬間、空気が「刺さる」のを感じた。
「……うわ、寒(さむ)ッ!」
思わず声が出る。風は強くない。だが、まとわりつく冷気が桁違いだ。 Tシャツの上にパーカーを羽織っただけの身体から、一瞬で体温が剥ぎ取られていく。 もしエアコンが止まり、家の中がこの温度になったら? 想像しただけで、心臓が早鐘を打った。寝ている間にそのまま永眠コースだ。シャレにならない。
僕は震える体を抱きながら、庭の隅にある物置へ走った。 鍵を開け取っ手を引く。「ガラガラッ」と大きな音が静寂な住宅街に響き、ビクッとする。 人がいないと無音がほとんどなため、普段は驚かない音にも驚いていまう。
薄暗い庫内を目で探る。 スコップ、ママさんダンプ、夏用のタイヤ、園芸用品……。 ない。 肝心のストーブ本体が見当たらない。 その代わり、赤いポリタンクが二つ、隅に置いてあった。北海道の家庭ならどこにでもある、灯油を入れる容器だ。
「灯油はあるのに、燃やす機械がないのか……」
僕は空のポリタンクを揺すり、舌打ちをした。 一つは空っぽ。もう一つは……チャプ、と音がした。中身が入っている。 だが、ストーブがなければただの引火性の液体だ。 寒さに耐えきれず、僕は逃げるように家の中へ戻った。
暖かい。 エアコンの温風が天国のように感じる。だが、これもいつ地獄になってもおかしくない。
「落ち着け……母さんは心配性だ。灯油があるなら、使う機械もどっかにあるはずだ」
母さんは数年前の胆振東部地震のブラックアウトの時、やたらと備蓄を気にしていた。「エアコンだけじゃ死ぬ」って言っていた気がする。 もしもの時のために、どこかにしまってあるんじゃないか? 僕は記憶を総動員して、家中の収納を探し回った。
一階の押し入れ、階段下収納、父さんの書斎。 そして、二階にある母さんのクローゼット。 入ったこともない服やバッグが詰め込まれた奥のスペース。そこに、買った時のままの段ボール箱が鎮座していた。
「これじゃね……!」
箱を開けると、黒いボディのストーブが現れた。 想像していた丸いやつじゃない。長方形の薄型タイプだ。TOYOTOMI RSX-23N……と箱に書いてある。 木造6畳用か。リビング全体を暖めるのは無理でも、僕一人が暖を取るには十分だ。 持ち上げてみると、重いが一人で運べないほどではない。
「母さん、ナイス……」
僕はそれを抱え、壁にぶつけないよう慎重にリビングへ運んだ。
早速、物置から持ってきた「チャプチャプ音がする方のポリタンク」を開ける。手動のシュポシュポ(給油ポンプ)を差し込み、ストーブのタンクへ給油を始めた。 独特の油の臭いが鼻を突く。いつもなら「くさっ」て思うけど、今は正直、安心する匂いだ。
しかし――。 「ズズズッ」 ポンプが空気を吸う嫌な音がした。
「……は? もう終わり?」
給油が止まった。ポリタンクを傾けても、もう一滴も出てこない。 ストーブの油量計を見る。 目盛りは「半分」を指していた。 このストーブのタンク容量は、たぶん3リットルちょい。つまり、入ったのは1.5リットルくらいか。
「これだけかよ……」
僕は思わず天井を仰いだ。 一晩……いや、節約して使っても、明日の朝まで持つかどうか。 とりあえず電池を入れて点火レバーを押し下げる。 ピーッという電子音と共に、金網の向こうにオレンジ色の炎が宿った。 じんわりとした、エアコンとは違う熱が正面から顔を撫でる。
暖かい。 けれど、油量計のメモリを見ると不安になる。 タンクの中の灯油が尽きた時、僕の命綱も切れる。 明日は必ず、どこかへ灯油を調達しに行かなければならない。それも、車なしで、この雪道を。
とりあえず最悪の事態は回避できた。 部屋が温かい今は、燃料を無駄にしないためストーブを止める。 緊張が解けて、僕はふらりとキッチンへ向かった。 出しっぱなしにしておいた水道の水が、ボウルから溢れそうになっている。
「っと、危ない危ない」
僕は慌ててボウルをどかし、水滴を一滴もこぼさないように新しい鍋と差し替えた。 水は命だ。いくらあっても困らない。
その時。
「グゥゥ……」
腹の底から、間の抜けた音が響いた。 そういえば、朝ごはんでパンを食べたきり今まで、何も食べていない。 時計を見れば、もう16時に近い。 もう外は真っ暗だ。 寒さの次は、空腹かよ。 僕はため息をつきながら、冷蔵庫を開けた。
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