第2話 孤独

とっさにポケットに手を入れスマートフォンに手を伸ばす。  寒さで震える手でロックを解除し、仲の良い友達のグループラインに『誰かいないのか』と送る。  だが僕のメッセージは、いつまで経っても「既読」がつかない。  まるで、サーバーの向こう側にいる人間が、全員眠ってしまったかのように。


 僕は焦燥感に駆られ、SNSアプリを開いた。  タイムラインの最新投稿は、今日の午前10時14分で止まっている。 『なんか揺れた?』 『救急車すごい音してるんだけど』 『目の前の人が消えた』  そんな混乱の書き込みを最後に、世界中の更新が途絶えていた。  スマートフォンの画面をスワイプする指が、寒さとは違う理由で震えていた。  巨大掲示板サイトの「実況スレッド」も同じだ。いつもなら秒単位で流れるはずの文字の滝が、ある一点を境にフリーズしている。


 サーバーは生きている。インターネットも生きている。  ただ、「書き込む人間」だけがいなくなった。  その事実は、目の前の衝突事故の山よりも雄弁に、人類の終了を告げていた。


「……嘘だろ」


 僕は逃げるように自宅へ走った。  息を切らして玄関のドアを開ける。鍵は開いていた。


「ただいま!」


 返事を期待して叫んだ声が、静まり返った廊下に吸い込まれる。  秋江哲也、16歳。地元の公立高校に通う1年生。  そして、この家には父と母、それから生意気盛りの中学2年生の妹がいるはずだった。


 リビングのドアを開ける。  テレビがついたままだった。ニュース番組のスタジオが無人のまま映し出され、キャスターのいないデスクをカメラが虚しく捉え続けている。  キッチンには、まな板の上に半分切られた人参と、包丁が転がっていた。  コンロの上の鍋からは、微かに湯気が上がっている。今夜はシチューになるはずだったのだろう。


「母さん?」


 返事はない。  2階へ駆け上がる。妹の部屋のドアを乱暴に開けた。 「おい、いるんだろ! 隠れてないで出てこいよ!」  勉強机には、開かれたままの参考書と、シャーペン。聞きかけのイヤホンがベッドの上に放り出されている。  主(あるじ)だけが、神隠しのように蒸発していた。


 父の書斎も、風呂場も、トイレも。  誰もいない。  僕以外の家族全員が、あの「10時14分」に消去されたのだ。


「あ……ああ……」


 リビングに戻り、ソファに崩れ落ちた。  恐怖よりも先に、巨大な喪失感が胸を突き上げた。  もう二度と、母さんの小言を聞くことはない。父さんと進路の話で揉めることもない。妹とテレビのチャンネル争いをすることもない。  昨日まで当たり前にあった「明日」が、ごっそりと切り落とされていた。


「う、あぁぁぁぁ!!」


 無人のリビングで、僕は子供のように泣き叫んだ。  涙が止まらなかった。孤独が怖かった。この静寂が恐ろしかった。  テーブルの上のスマホが、黒い画面のまま沈黙している。助けを呼ぶ相手は、もうこの地球上のどこにもいない。


 どれくらい泣いただろうか。  ふと、時計を見るとあと少しで12時半になる頃だった。


 涙が枯れると同時に、鉛のような倦怠感が体にのしかかってきた。喉が焼けつくように渇き、頭が重い。  あのアクシデントから、もう二時間以上。僕はその貴重な時間を、ただ絶望するためだけに浪費してしまったのだ。


「……何やってんだ、僕」


 乾いた涙が頬で冷たく突っ張る感触が、熱した頭を急速に冷却していく。  いくら泣いても、現実は1ミリも変わらなかった。誰も助けに来ないし、腹も膨れない。それどころか、ただ体力を消耗し、生存に必要な時間をドブに捨てただけだ。


 その事実に対する猛烈な後悔が、僕の情緒を無理やり「生存」の方角へとねじ向けた。  悲しんでいる暇なんてない。 なにかできることがあるはずだ。 僕は重い体を持ち上げ、大きく息を吐き出すと、感情を殺してキッチンへと向かった。

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