ボイド式人類消滅

@yukkikazekaze

第1話 人類消滅

信号が変わるのを待っていた。  吐く息は白く、手袋越しにかじかんだ指先をこすり合わせる。刺すような冷気に包まれている午前10時の札幌、太陽は昇っていても空気は凍てついたままで、吐く息は真っ白に染まり、数分立ち止まるだけで足元から底冷えが這い上がってくる。道道124号線を行き交う車のタイヤが、シャーベット状の雪を跳ね上げる音だけが響いている。  ありふれた、冬の日常だった。


 違和感は、目の前を走っていたタクシーから始まった。  直進していたはずのその車が、氷にハンドルを取られたわけでもないのに、不自然になめらかな曲線を描いて対向車線へと膨らんでいったのだ。 「おい、危ねえぞ」  誰かが呟くのを聞いた気がした。あるいは、自分が口に出したのだったか。  クラクションは鳴らなかった。ブレーキランプも点灯しない。タクシーはそのまま、向かいから走ってきた除雪トラックの巨大なバンパーに、まるで吸い込まれるように突っ込んだ。


 轟音。  金属がひしゃげ、プラスチックが砕け散る乾いた音が空気を震わせる。  だが、おかしい。  悲鳴が聞こえない。  衝突されたトラックの運転手が怒鳴り声を上げて降りてくるはずだった。だが、高い運転席のドアは開かない。それどころか、トラックさえも惰性でズルズルと動き続け、歩道のガードレールを紙細工のようにへし折ってようやく止まった。


 僕は呆然と、目の前で煙を上げるタクシーの運転席を覗き込んだ。  エアバッグが白く膨らんでいる。だが、その隙間から見えるはずのドライバーの姿がない。  シートベルトだけが、誰もいない空間を締め付けたまま、ぶらりと垂れ下がっていた。


「……え?」  顔を上げる。交差点全体が、狂っていた。  右折待ちをしていた軽自動車が、アクセルを踏まれたまま無人の輪舞(ロンド)を踊るように交差点の真ん中でくるくると回り続けている。  高級セダンが、歩道の街路樹に頭から突っ込み、エンジンを唸らせたままタイヤを虚しく空転させている。  路線バスが、制御を失ってコンビニのガラス窓を粉砕しながら店内に突入していく。


 ドン、ガン、ガシャン。  あちこちで衝突音が重なる。まるで下手くそな演奏会だ。  しかし、誰も叫ばない。誰も逃げ惑わない。誰も車から降りてこない。  ただ、機械たちが勝手に動き、勝手に壊れていく。


 世界から、唐突に「意図」が消えていた。  僕の目の前を、無人のRV車がゆっくりと転がっていく。ハンドルを握る手はなく、主を失ったアクセルペダルだけが、幽霊に踏まれているかのように微かに沈んでいるのかもしれない。  僕は免許を持っていない。だから、目の前で暴れまわる鉄の塊をどうやって止めればいいのか、エンジンをどうやって切るのかさえ分からない。


 ただ震えながら、雪が降りしきる交差点に立ち尽くすしかなかった。  周囲には、何十台もの車が絡み合った残骸。  そして訪れたのは、車のエンジン音と、ラジエーターから噴き出す蒸気の音だけの、完璧な静寂だった。

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