秘密結社:グリム同盟

砂石一獄

episode/1:赤ずきん

 むかしむかし、あるところに“地球”という惑星がありました。


 それは草木に富む惑星でした。

 それは美しい川のせせらぎが聴こえる惑星でした。

 それは小鳥のさえずりが響き渡る惑星でした。


 そこにいたのは、資源を欲望のためだけに扱う、愚かな人間どもでした。


 人々は私利私欲の為に、地球内のありとあらゆる資源を利用しました。

 人類の文化は、大いに発展しました。


 しかし、それと同時に。

 かつてあった、美しい地球の姿は失われていったのです。


 戦争の業火が、人々を焼き払いました。

 大きな爆弾から放たれる放射線が、自然をあっという間に汚しました。


 やがて、それは神の怒りを買いました。


 それは、ある意味では地球に備わった浄化機能だったのでしょう。

“神の怒り”という形で、世界各地に大災害が引き起こされました。その大災害の余波によって、人々が築き上げた文明は瞬く間に崩壊。

 文明どころか、その日の食事すらロクにありつけることが出来なくなりました。

 人々はやがて地球を捨てることを決意しました。

 そうして、幸いにも残っていた宇宙船を打ち上げたのです。


 遠く。

 遠く。

 どこでもいい。

 どこでもいいから。


 そんな願いを乗せて、遠い惑星まで人々は、遂に月まで逃げおおせたのです。


 やがて人々は新たな文明を、月に築くことを決意しました。

 知識を、技術を。

 消えることのない積み重ねを、今度は月に作り上げることにしたのです。


 ですが、月には“色”がありませんでした。

 地球に存在した、美しい色。

 当たり前に存在したはずのその色は、月のどこにも存在しなかったのです。


 月にあるのは、灰色と、銀色と、真っ黒な空の色。

 それから、遠くに見える美しい地球の色だけでした。


 彼等は色を失いました。

 欲望の代償として、彼等はもう二度と。色を見ることは叶わなくなったのです。


 ☆


 土埃の被った、薄汚い街中。

 ぼろきれのような灰色の外套を着こんだ大衆の中に、ひときわ目立つ“色”を持つ少女が現れました。

 彼女は、かつて地球に存在したという“赤”のコートを纏っていました。


 ですが、赤とは人々が最も恐れる色です。

 なにせ、赤というのは。傷を連想させる色だったからです。

 血を流すことでしか、その色を見ることが出来ません。


 そのような、血の色をしたコートを纏う少女というのは、たいそう不気味でした。

 コートの背に縫い付けられたフードを深々と被る彼女は、まるで何かから顔を隠しているようにも見えました。


 しかし、それとは異なる理由からも、人々の視線は彼女に釘付けとなりました。


 彼女は、この町にいる誰よりも。

 美しい顔立ちをしていたからです。


「よう、お嬢ちゃん。こんな薄汚い街に何の用だ」

「……」


 大柄の男性は、その屈強な肉体を見せびらかすように彼女の前に立ちはだかりました。彼もまた、彼女の存在に畏怖していたのです。

 大柄の男性には、妻と娘が居ました。ささやかな家庭を守る為、彼は正体不明の少女の前に立ちはだかりました。


「こんな街中にゃなんもねえよ。ほら、さっさと帰りな。そんな物騒な外套まで身に着けてよ」

「……“狼”」

「あ?」

「“狼”はどこかしら」


 彼女は深くかぶっていたフードの隙間から、じっと大男を睨みました。

 大男は、その巨大な体躯を持ちながら、まだ10代半ばと言えるであろう少女を前に怯みました。


 彼女の眼は、普通の人間ではありませんでした。

 いいえ、コバルトブルーの宝石を彷彿とさせるその眼は、この町にいる誰よりも美しい色をしています。流れるようなブロンドヘアも、この町の誰だって持ち得ない美しい色をしています。

 彼女の姿は、まるでかつての美しい地球を彷彿とさせる色でした。


 では、何が普通ではないのでしょうか。


「……っ」


 大男が怯えたのは、彼女の“表情”でした。

 人は何かしら、“感情の色”を顔に出します。


 ですが、美しい色を持つ彼女の表情には、何の色も宿っていませんでした。

 何色も受け付けない、ただ底の知れない深淵の表情が、大男を捉えていたのです。


「そう、知らないのならいい」


 彼の怯え切った表情に、少女はため息をつきました。

 短いやり取りの間に、少女は「彼は有益な情報を持ってはいない」と判断したのです。

 真紅のコートを整え、再び灰色の世界を歩き始めました。


 どこまでも、続く灰色の世界。

 ただその中でひときわ存在を放つ真紅というのは、大きく目立ちました。


 彼女は、この世界において特別であったのです。


 ところで、彼女の左手には麻で作られたバスケットが提げられていました。一体、どこから仕入れたのでしょうか。バスケットの中には、沢山のキャンディが入っていたのです。

 キャンディの包装は、これまた色鮮やかな色彩を保っていました。


 この世界においては、“色”という存在は大きな意味を持っていました。

 一般市民には“色”を与えられることはありません。

 色は、一部の上流階級のみが持つことを許された存在だったのです。


 ですが、そのバスケットは彼女が着込む真紅のコートによって隠されています。

 そのようなバスケットの中に隠し込んだ携帯端末から、軽快な着信音が流れました。


 彼女は、コートの中に手を差し込み、器用に携帯端末だけを取り出します。

 通信相手は、少女が“マザー”と呼ぶ女性でした。


「マザー。“狼”の情報を」

『せっかちさんね、“赤ずきん”。一体誰の影響?』


 赤ずきん。

 そう呼ばれた少女は、小さく舌打ちしました。

 その名前を呼ばれた瞬間だけは確かに、“怒り”の感情の色が宿っていました。


「その名前で呼ばないで」

『あら残念。でもね、ちょうど良かったわ。あなたが居るのはB26市街地ね?』

「そう。何もない、つまらない街」

『ふうん。つまらない街、ね。確か、その街には人工森林が存在するはずよ』


 人工森林。

 かつて地球に存在したという、美しい景色を月の中にも再現しようとした試みの中で生み出された場所です。

 色を持たない人々の、数少ない憩いの場。ですが当然、そこは上流階級の人々が占拠する場所でもありました。

 一市民が人工森林に足を踏み入れるには、高い入場料を払わなければなりません。


 ですが、赤ずきんと呼ばれた少女には入場料など持ち合わせていませんでした。


「人工森林が、一体何?」

『“狼”に近づく為の情報は、そこにある』

「……!」


 赤ずきんは、小さく目を見開きました。その表情には、刹那の瞬間ですが。「殺意」が滲んでいました。


「行かせて。今すぐ、今すぐ……!」

『あら、最後まで話は聞きなさい。森林の奥深くには“お婆さん”が住む小屋があるはずよ』

「小屋……?」

『そう、小屋。そこに住むお婆さんは“狼”の情報を握っている。そう聞いたわ』

「分かった」

『くれぐれも無茶はしないように』


 マザーの声音には、本心からの心配が混じっているようにも聞こえました。

 赤ずきんはその返事を聞いてから、無言で通話を切断。それから、淡々とした仕草で再び外套の中に隠したバスケットへと携帯を戻しました。


「……待っていなさい。“狼”どもめ」



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