女の子とボロボロのお友達

藍乃

第1話

引っ越しトラックが去っていく音が遠ざかると、

真白ゆずは玄関の段差に腰を下ろし、知らない街の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

冬の終わりの風はまだ冷たく、頬を刺すようだった。今日からここが新しい家。

古い木造の二階建てで、外壁はところどころ色が剥げ、窓枠は少し歪んでいる。

父は「味がある家だ」と言っていたけれど、ゆずにはまだその“味”がよくわからない

段ボールが積み上がったままのリビングから、母の声が聞こえる。


「ゆずー、段ボール開けて部屋をかたずけてね」


「……うん」


返事はしたものの、胸の奥はざわざわしていた。

知らない土地、知らない家、知らない明日。

昨日までの生活が遠くに感じられて、心が落ち着かない。ゆずは立ち上がり、

家の中を歩き始めた。廊下の床は歩くたびに「ギシッ」と鳴る。

その音が、まるで家がゆずに話しかけているように感じられた。

階段の前に立つと、上から冷たい空気が降りてくる。

二階はまだ一度も見ていない。


――なんだか、呼ばれてるみたい。


ゆずは手すりを握り、ゆっくりと階段を上った。古い木の匂いが鼻をくすぐる。


二階の廊下は薄暗く、左右に部屋が二つ。右側はゆずの部屋だ

その奥に、もう一つだけ扉があった。他の扉よりも古く、色もくすんでいる。

取っ手には小さな錆が浮いていた。ゆずは近づき、そっと触れた。


――屋根裏部屋?


母が言っていた。「屋根裏は危ないから入ってはだめよ」と。

でも、ゆずの指は自然と取っ手を回していた。


ギィ……。


扉がゆっくりと開く。中は暗く、埃の匂いが濃い。

細い窓から差し込む太陽の明かりが、部屋の奥を照らしていた。

ゆずは一歩、足を踏み入れた。古い家具、壊れた箱、色あせた布。

その中に――ひとつだけ、異様に目を引くものがあった。


ボロボロの王子様のようなお人形


小さな椅子の上に座っている。

片方の目は取れかけ、縫い目はほつれ、服は破れ、色も褪せている。

だけど、その姿はなぜか“寂しそう”に見えた。


「……だれ?」


つぶやいた瞬間、屋根裏の空気がふっと揺れた。

ゆずはゆっくりと近づき、人形の前にしゃがみ込む。その顔を覗き込む


カクン。


人形の頭が、わずかに傾いた。

不気味な部屋にボロボロのお人形。怖がりのゆずなら逃げているだろう

でも、逃げなかった。

怖さよりも、なぜか“この子を置いていけない”という気持ちが勝った。


震える手で、人形の腕に触れる。

布はざらざらしていて、ところどころ硬く、ところどころ柔らかい。

 長い時間、誰かに抱かれていたような温もりが、かすかに残っていた。


「……つれていっても、いいの?」


問いかけると、人形は答えない。けれど、ゆずには“うなずいたように”見えた。

ゆずはそっと人形を抱き上げた。軽くて、壊れそうで、でも温かい。


「……いこ」


その瞬間、屋根裏部屋の空気が柔らかくなった。

ゆずはミルを胸に抱えたまま、階段を降りていく。

その背中を、薄暗い屋根裏が静かに見送っていた。

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女の子とボロボロのお友達 藍乃 @Aino0312

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