リトマス試験紙の男

Ksk_47

リトマス試験紙の男

 死神が取り憑いている。そう確信している。

 もっとも、落語に出てくるような、病人の枕元に立つ黒い影ではない。俺の場合はもっと性質(たち)が悪い。死神になるための修行をさせられている。そんな感覚だ。

 最初の記憶は幼稚園の時だ。雨の日だった。

 父は趣味の野球をあきらめ、母と俺を連れて車を出し、園児の絵の展示会へ向かった。早く着きすぎた俺たちは、誰もいない教室を見て回った。ある教室で、一枚の絵が目に留まった。

 平和な太陽や家族の絵が並ぶなか、その一枚だけが異様だった。無数のドットが放射状に広がり、一点一点が違う色で打たれている。俺はその絵の上下が逆だと感じ、先生に伝えさせた。後でわかったことだが、作者の園児によれば、やはり逆だった。

 不思議な出来事は続いた。

 ある日、遠くの友人の家を訪ねたが、留守だった。なぜか俺は、そこから自転車で十分ほどの距離にある水門の風景を思い浮かべた。行ってみると、そこには案の定、友人の家族四人が座って弁当を食べていた。

 俺の母親もそうだった。ある芸能人の話をすると、五秒後にはその人物がテレビに現れる。

 実生活には何の役にも立たない能力だ。だが、こうした科学では測れない事象が、俺の人生には絶えず影を落とす。

 小学校の高学年になると、俺はいじめの標的になった。

 原因は、俺が「普通ではない」からだ。特に女子のカースト上位グループが執拗だった。

 学級会は俺への罵倒大会に変わった。C子という女子が仕切り、俺を「最低の人間」と記した賞状を渡した。俺がそれを受け取りに行くと、彼女たちは汚物でも見るように一斉に後退(あとずさ)った。

 担任のAという若い女教師は見て見ぬふりをした。いじめられる方が悪い、それが当時の理屈だった。

 六年生の秋、理不尽なルールが作られた。

 注意を三回受ければ校庭を十周走る。俺は頬杖をついていただけで走らされた。二週目、俺の堪忍袋の緒が切れた。職員室へ逃げ込む俺を、クラスメイトたちが嘲笑しながら追ってきた。あの不気味な笑みは今も忘れない。

 その時、職員室の隅にスーツを着た赤いネクタイの男が立っていた気がする。だが、誰も気に留めていなかった。

 十月十一日、火曜日。

 二時間目の授業中、教室が騒がしくなった。担任のA先生が倒れたのだ。俺たちは図工室に隔離された。

「連休中の免許合宿の疲れだろう」

 生徒たちはそう囁き合っていた。だが放課後、学年主任が告げた言葉は違った。

「A先生は、天国へ逝きました」

 クラス中に号泣の嵐が吹き荒れた。俺をいじめていた連中もわんわんと泣いた。俺はそれを、酷く嘘寒いものとして眺めていた。死因は心不全だった。

 後任のやさぐれた男の教師が来てから、いじめは霧が晴れるように消えた。

 不謹慎を承知で言えば、A先生が死んで一番得をしたのは俺だった。主犯格が死ねば、いじめは終わる。俺はその事実を、幼くして骨の髄まで理解した。

 中学校に上がっても、顔ぶれは変わらなかった。

 だが、奇妙なことが起きた。二年の後半に、いじめの首謀者だったT中とC子が、相次いで転校したのだ。他にも俺を中傷していた連中が、不登校になるか姿を消した。合計四人。俺の周りから、敵がいなくなった。

 それから数年後、高校生になった俺は、兄の結婚相手の母親――D生命の外交員であるT橋と会った。

 その瞬間、辺りが暗転し、彼女のアウトラインが赤く光るのを見た。強烈な嫌悪感が走った。だが、俺は黙って彼女を受け入れた。それが間違いだった。

 T橋は遅刻しても謝らず、父が営む小さな会社の経営に口を出し始めた。バブル崩壊が追い打ちをかけた。

 彼女は顧問弁護士のA宮と組み、取引先を訴えて慰謝料をふんだくろうと画策した。俺たちは泥のような土地へ移転を余儀なくされた。

 そして裁判の前日。父は自ら命を絶った。

 怪談じみた話ではない。ただ、俺は父が焼かれることになる火葬場の風景を、中学生の頃に夢で見ていた。それだけだ。

 その後、俺は就職氷河期の荒波に揉まれた。

 エンタメ業界に滑り込んだが、そこでもいじめに遭った。信頼していた上司には裏切られ、自宅も手放した。

 次に潜り込んだのは印刷会社だった。そこでM本という年上の女と組むことになった。さらに、あとから入ってきたヤンキー風の女。俺は直感した。こいつのせいで、俺はこの会社を辞めることになる、と。

 ヤンキー女は病欠を繰り返し、俺にだけわかる嘘をつき続けた。だが、職場の連中は彼女を憐れみ、代わりに仕事を背負う俺を「ダメ人間」と罵った。リーダーのM本によるパワハラも加速した。

 俺は逃げるように、三重の友人の元へ向かった。

 伊勢神宮を参拝し、赤福を食った。友人の母親である占い師は言った。

「近いうちに、息子に似た男が訪ねてくる。それは大掛かりな何かの予兆だ」その男とは紛れもなく俺のことだ。

 会社に戻ると、状況は一変していた。

 別の同僚がパワハラを苦に辞めることになり、それがきっかけでヤンキー女の嘘が露呈したのだ。彼女は泣きながら去り、M本も離婚して家庭が崩壊した。

 俺がこの結末を予知したのは、入社する七年前のことだった。

 その夜、窓の外にスキンヘッドのスーツの男が立っているのを見た。体の芯まで凍えるような寒さを感じた。

 会社を辞めた俺は、編集者として起業した。

 大学院で経営学を学び直したが、そこでのグループリーダーは、例のD生命の社員だった。偶然にしては出来すぎている。

 さらに、仕事で組んだオカルト漫画家のS田。彼女は健気を装いながら、俺の広告費を湯水のように使い込ませた。売上はゼロ。挙句の果てに、彼女は逆恨みして俺をネットで中傷した。

「私にお金をかけない男はモテない」

 そんなバブル期の化石のような言葉とともに、俺の資本金は消えた。

 災厄は畳みかける。

 取引先の担当者がマージンの増額を要求してきた。呑まなければ取引停止だと脅された。

 母とデパートにいた時、再び辺りが暗転した。北の方角が赤く光った。

 俺は会社を畳む決意をした。二〇一一年、三月上旬のことだ。

 官報に清算の広告が載って一週間後、大震災が起きた。

 俺を脅していた取引先はその全域を仕切っていた。そして漫画家S田の住むI県の家は、津波で天井まで浸水した。

 俺は多額の負債や圧力から、物理的に解き放たれた。犠牲者には顔向けできないが、これが俺の現実だった。

 その後も、俺が関わる場所では人が死に、組織が壊れた。

 尊敬していた合気道の先生が亡くなり、行きつけの美容師の幼い息子が天国へ逝った。

 一方で、俺を陥れようとした連中もまた、無残な末路を辿った。

 二十四年ぶりに再会した大学時代のいじめっ子、S。

 俺は彼が頼りにしていた地元の権力者(コネクター)との縁を、静かに、徹底的に断ち切らせた。Sが人生の後半戦に賭けていた夢を、俺は完遂(コンプリート)した。

 さらに、海外の日本人学校での採用が決まった際、不当な契約破棄をしてきた連中がいた。

 その二ヶ月後、その国の新聞社は廃刊になり、法の施行で街は変質した。俺が赴任するはずだった区域の隣で、児童が刺殺される事件も起きた。

 俺を拒絶した土地から、優秀な人材は消え、廃墟へと向かっている。

 最近、ある霊能者に言われた。

 俺は「閻魔大王の弟子」のひとりなのだという。善人と悪人を分けるリトマス試験紙のような存在。

 本当かどうかは知らない。だが、俺のブラックリストに載った連中が、次々と舞台から消えていくのは事実だ。

 俺は暗殺者ではない。引き金も引かない。

 ただ、俺が窮地に陥ると、世界が勝手に形を変え、相手を排除する。

 最近、友人が保険外交員に騙されたという話を聞いた。

 俺は思った。

「ああ、次の指令が来た」

 俺はもう、逃げも隠れもしない。

 死神の修行は、まだ続いているようだ。

(完)」

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