第33話:雪辱に燃える勇者と水の精霊


 聖剣に選ばれし、由緒正しき勇者サキュウス。

 だが、その瞳には、かつての敗北の記憶が深く刻まれていた。焦燥と執念が心を蝕み、彼の魂を黒く染め上げている。


 ──波間に揺れる船上。

 サキュウスは静かに呟いた。


「……水の精霊が怒っている」


 その隣で、黒装束の女──ユリが眉をひそめた。


「ん? 急に勇者っぽいこと言って、どうしたの?」


「ユリ、周囲を見てみろ。柱が……激しく震えておる」

「んー……あっ、本当だ!」


 二人が見下ろした水面では、幾筋もの水柱が天を突くように立ち上っていた。その勢いは、見る間に増していく。


「ねえ、あの水柱って……水の精霊と関係あるの?」

「この地の水龍は、水の精霊の子供のような存在だ」

「……そうなんだ?それが?」

「これほどの怒り……水龍が討たれたのかもしれん」


 そのとき、どこからともなく女性の声が響いた。


「サキュウス卿」

「どうした、マリー卿」

「水の精霊よりコンタクトがありました。お繋ぎいたしましょうか?」

「うむ、頼む」

「えっ、何? 誰の声? マリーちゃん?」

「ユリ、静かにしておれ」

「えー、扱い悪い〜」


「サキュウス卿、水の精霊と繋がりました。どうぞ」

「うむ…ご苦労…」


 サキュウスは咳払いを一つして、声を張った。


「こほん。我はサキュウス、勇者である」


『……こんにちは、勇者サキュウス』


 周囲に透き通るような声が響く。

 これは水の精霊の声ではなく、マリーの魔法によるものだ。もっと正確には、精霊から放たれる魔力を声に変換していた。だが、そんな変換された声でも、その奥に確かな怒りを感じ取れる。


「うわー…本当に、ちょっと怒ってない。これ?」

「静かにせよ…こほん。それで、我に何の用だ?」


『水に聞いたところによると、あなたは“ミリアリア”という者との間に、深い因縁があるそうね』


「ああ、奴には……何度も……何度も! 何度も!!」

「ちょ、落ち着いてってば」


 拳を震わせ、目を血走らせるサキュウスの肩を、ユリがぽんと叩いた。


「……すまん、取り乱した。そうだな、あいつらには何度も煮え湯を飲まされている」


『それはお気の毒に…さぞ苦い思いをしたように思うわ。そんなあなたに、私から雪辱の機会を与えましょう』


「ほう……雪辱の機会とな…具体的にはどうするのだ?水の精霊よ」


『私は水の精霊。そして、ミリアリアは今、水の上にいるわ。その足止めくらい、簡単なことよ』


「なるほど……しかし、足止めだけでは物足りんな」


『あら、なかなか追いつけなくて困っているのでしょう?悪い話ではないと思うけど』


「ふむ…」


 サキュウスは顎に手を当てて考えるが、その目は微かに泳いでいるのを、ユリは見逃さない。


「ねぇ、変に交渉するのやめたら?特にないんでしょ?続き」

「お前は口を挟むな」


『それで、どうかしら、悪い話ではないと思うわ」


「うむ。良かろう。我が、この手で…この手でぇ!!がぁぁぁっ!!!」

「また始まったよ…はい、どうどう」

「あー、こほん、我が雪辱を果たす。それ以上に望むものはない。貴方の提案を受けよう」


『ありがとう。……必ず、息の根を止めてちょうだい』


「言われずとも……必ず! この手で!!殺してくれる!!!」

「……顔、怖いってば。落ち着いて」

「こほん……失礼。水の精霊よ、案ずるな。必ずや討ち取ってみせよう。私の因縁を抜きにしても、勇者として、奴らを野放しにしてはおけんからな」


『ふふ……では、交渉成立ね。すぐに取り掛かりたいのだけれど、準備はいいかしら?』


「うむ、いつでも構わん!」


『それなら……すぐにでも取り掛かるわ』


「うむ。頼んだぞ」


『ええ、それじゃ』


 プツリと通信が途切れ、静寂が戻る。


「……これで話、終わりね。あー、何だか疲れた。めっちゃ怒っているんだもん!精霊!」

「ああ。だが、水の精霊からまさかの提案があるとはな。私の日頃の行いが良いのだろう。早くも雪辱の機会を得られるとは」

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