第24話:天へ昇る水柱の下で
目の前には、果てしなく広がる湖が静かに横たわっていた。水面は鏡のように滑らかで、ダンジョンの淡い赤色をそのまま映し出している。澄みきった水の中には、異形の魔物たちが悠然と泳ぎ、時折、水面近くまで浮かび上がっては、淡い光を受けて鱗を煌めかせた。底は深く、どこまでも吸い込まれそうなほどの蒼。さらに不思議なことに、水面からは無数の水柱が天へと伸び、まるで重力を忘れたかのように、絶え間なく上へと水を運んでいた。
湖畔には、漆黒の巨塔が空を突き刺すように聳え立っていた。その周囲には、冒険者たちのために建てられた新しい建物が整然と並び、まるで異世界の前線基地のような雰囲気を醸し出している。ここは「天使の零落」の第一層の中間地点。幾多の命が挑み、散っていった場所において、束の間の安息を求める者たちの拠点となっていた。
「や、やっと一息付けますね……」
ケビンがへたり込みそうな足取りで呟いた。地味な装いの彼は、旅の疲れを隠しきれず、額には汗が滲んでいる。だが、その安堵の言葉は、すぐさま冷たい声に遮られた。
「いや、このまま進むぞ」
金髪を風に揺らしながら、ミリアリアが毅然とした口調で言い放つ。その瞳には、誇りと覚悟が宿っていた。彼女の中には、誰にも明かしていない秘密がある。だからこそ、立ち止まることは許されないのだ。
「え、えぇぇぇ!!」
ケビンの情けない叫びが、静寂な湖畔に虚しく響いた。
「案ずるな。お主たちは、この辺りで少し休んでいてくれ。私は船を借りてくる。オーグ、皆を頼んだぞ」
ミリアリアの声には、自然と人を従わせる威厳があった。
「へい、姉御」
赤い肌に鋭い牙を覗かせながら、オーグが豪快に頷く。その背中には、仲間を守るという信念が滲んでいた。
「それと、アニー、荷物を借りよう。ここで地龍の素材を換金してくる。船代には十分だろう」
ミリアリアの言葉に、アニーは素朴な笑みを浮かべながら頷いた。彼女の茶色の髪が風に揺れ、どこか懐かしい田舎の風景を思わせる。
私は黙って、背中のバックパックをミリアリアに手渡した。中には、地龍との死闘の末に手に入れた貴重な素材が詰まっている。だが、それを背負ったミリアリアの姿は、まるで王女が戦場を歩むかのように堂々としていた。彼女は一度も振り返らず、冒険者ギルドの建物へと颯爽と歩み去っていった。
「ふかふかのベッドで眠りたかった…」
ケビンがぼそりと呟き、ついにその場に尻餅をついた。彼の疲労は本物だ。だが、ミリアリアが皆で建物に入ることを避けたのは、きっとメグーのことを思ってのことだろう。
銀髪の少女――
その存在は、あまりにも異質で、目立ちすぎる。
「そ、そういえば…その」
「んァ?どうしたァ、チンチクリン」
「え、えっと、船を借りるって、どこに、あるんですかね?」
私は建物群を見渡したが、船らしきものはどこにも見当たらなかった。そんな私の疑問に、オーグが鼻を鳴らして答える。
「アイテムボックスにでも格納してあるんだろうぜェ」
「アイテムボックス?」
「んだァ?チンチクリン、知らないのかァ?」
オーグの口調は荒っぽいが、どこか面倒見の良さを感じさせる。
「ぼ、僕も聞いたことがないです」
ケビンが小さく手を挙げる。
「けっ、アイテムボックスってのはよォ、その名の通り、小さな袋にこーんなでっけェアイテムですら入っちまう代物だァ。んで、取り出しも自由と来てやがる」
「そんな便利なアイテムがあるんですね」
「ま、超貴重品だァ、知らねえェのも無理ねェか」
「す、すごい…」
私は、また一つ世界の広さを思い知らされた。自分の常識が、いかに狭いものだったかを痛感する。
そんな中、ミリアリアが戻ってきた。手には小さな革袋――
「待たせたな。それでは行こうか」
「おう…待ちくたびれぜェ」
「船は手に入ったんですか?」
「うむ。こうして、アイテムボックスと共に手に入れた。地龍はなかなかの金になったぞ」
ミリアリアは革袋を掲げ、誇らしげに微笑んだ。その姿は、まるで戦場から勝利を持ち帰った女王のようだった。
「それが…アイテムボックス何ですか?」
「ああ、中に船とアニーの持っていたバックパックを入れてある。まだ、収納には余裕があるから、なかなかの品だ」
「ボ、ボックス、じゃ、ないん…ですね」
「はい。アイテムボックスというから、僕もてっきり、箱のようなものを想像していました」
「元は箱にしか、アイテムボックスの魔術を付与できなかったそうだ。魔法技術の発達により、かさばらない袋にも付与できるようになったと聞いている。アイテムボックスはいわば名残だな」
「なるほど…」
ミリアリアさんの手にある革袋
その中には船すらも収まっているというのだから、目にした今でも信じがたい。
その時、メグーが不機嫌そうに口を開いた。銀髪が揺れ、冷たい視線がこちらを射抜く。
「もう、いつまで話してるの、さっさと行きましょ」
彼女の言葉には苛立ちが滲んでいたが、それは焦りの裏返しなのかもしれない。彼女の過去を思えば、人目を避けたい気持ちも理解できる。しかし、それを理解できるのは、この場でミリアリアだけであろう。
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