第19話:赤月花の咲く場所で
湿り気を帯びた空気が肌にまとわりつく。
ひび割れた白い大理石の柱が並ぶ通路の奥、遠くからは水の滴る音が絶え間なく響き、時折、それに混じって誰かのすすり泣くような声が聞こえる気がする。
「えっと…誰ですか?」
場違いなほど間の抜けた声が、重苦しい空気を裂いた。
ケビンさんが戸惑いながら声をかけると、銀髪の少女
――いや、今や妖艶な女性の姿となったメグーが、冷ややかな目で彼を一瞥した。
「うるさいわね。あっちにいって」
その声は氷のように冷たく、ケビンさんの言葉を切り捨てるには十分だった。彼女はすぐに視線を奥にいるオーグさんへと向ける。
「ほら、とっとと行くわよ。先行して」
赤い肌の鬼人、オーグさんは肩をすくめ、口の端を吊り上げた。
「相変わらず、でかくなると、生意気だなァ…お前ェ」
「何?消されたいの?」
メグーちゃんは唇の端を吊り上げ、不敵な笑みを浮かべる。その瞳には、どこか人間離れした光が宿っていた。オーグさんはその様子に呆れたように鼻で笑う。
「けっ、チンチクリン2号だな。こりゃァ」
「え、私、生意気ですか?」
思わず口をついて出た言葉に、自分でも驚く。チンチクリンという言葉に反応してしまったのは、図らずも自分にその自覚があるからかもしれない。
「ねぇ、お母さんを悪く言うなら、本当に消すわよ?」
メグーちゃんの声が低くなり、空気がさらに重くなる。彼女の言葉には冗談めいた響きがあるものの、その奥に潜む本気の殺気が、場の空気を凍らせた。
「メグー、やめないか。オーグもだ」
ミリアリアさんの静かな声が響く。金髪を揺らしながら、彼女は一歩前に出た。その佇まいには威厳が滲んでいた。メグーちゃんは不満げに鼻を鳴らすが、それ以上は何も言わなかった。
「さて、それでは進もうか」
ミリアリアさんの一言で、一行は再び歩を進める。
「ま、待ってください…えっと、この女性…さっきまで少女だった人ですよね?」
ケビンさんの声が震えていた。彼の視線はメグーちゃんに釘付けになっている。
「だから何?」
メグーちゃんが冷ややかに言い放つ。彼女の視線は鋭く、ケビンさんを突き刺すようだった。
「…いえ、その…何が起きたのか…教えてほしいな…と」
「ならん。行くぞ」
ミリアリアさんの声は冷徹だった。問いかけを一蹴し、彼女は背を向ける。オーグさんは無言のまま先を進み、私とメグーちゃんがその後に続く。
「ケビン、行くぞ。それとも最後尾を任せても構わないか?」
「あ、い、いえ!行きます!!」
慌てて駆け寄るケビンさん。その背中に、どこか哀愁が漂っていた。
「今の私、2人より強いのに」
メグーちゃんが小さく呟く。
おそらく、ミリアリアさんとオーグさんに護られるような、今の恰好が気に入らないのだろう。その声には、拗ねたような響きがあった。自分の力を認めてほしい、そんな思春期の少女らしい感情が透けて見える。
「今は、マナがいっぱいあるから、2人よりも強いの?」
「そう、すごい魔法が使えるのに、まるで子供みたいな扱い。嫌になるわ」
私の問いかけに、その口ぶりとは裏腹に、メグーちゃんはぱっと顔を輝かせた。得意げな笑みが、彼女の妖艶な雰囲気を一層引き立てる。
「すごい魔法!メグーちゃんの魔法、見てみたいな」
「その時が来たらね。でも、ケビンの奴が邪魔ね」
「メグーちゃん?」
「そんな顔しないでよ、お母さん。だって、何だか、アイツ…裏切りそうだもの」
ジト目でケビンさんを睨むメグーちゃん。その視線に気づいたケビンさんは、困惑したように眉をひそめた。少し気の毒に思えてくるが、彼の頼りなさもまた否めない。
やがて、通路の先が開け、広間に出る。そこには、赤い絨毯のように咲き乱れる赤月花が広がっていた。風もないのに、花々は微かに揺れ、天井から滴る水滴が花弁に落ちるたび、まるで誰かが泣いているかのような音が響く。
「…満開の
ミリアリアさんの声が静かに響く。彼女の金の髪が、湿った空気に重く垂れていた。
赤月花――
天使の零落の咲く花で、満開時には触れた者のマナを根こそぎ吸い取るという。今、目の前に広がるそれは、まさに毒の海。美しさの裏に潜む死の気配が、肌を刺すように感じられた。
「あの…」
「どうした?」
ケビンさんが、おずおずと口を開く。
「アニーさんの協力があれば…その…満開の赤月花からアイテムが作れそうです」
その言葉に、ミリアリアさんの目が見開かれた。彼女の中で、何かが動いたのが分かる。
「え、いや、無理」
だが、メグーちゃんは即座に拒絶した。顔をしかめ、露骨に嫌悪を示す。
それもそのはずだ。ケビンさんの提案は、つまり――
メグーちゃんにこの禍々しい花を「食べさせる」ことを意味していたのだから。
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