剣と魔法、魔王と勇者、神と星、銀の少女と料理のファンタジー

@tototete

天使の零落

第1話:終わりの地で、始まりを


「……もう、終わり」


 大砂海の中心。どこまでも続く金色の砂の海原に、私はぽつねんと立ち尽くしていた。焼けつくような日差しが容赦なく降り注ぎ、肌を刺す熱風が頬をなでる。視界の先には、無残に横たわる小型の飛空艇。帆は破れ、船体は傾き、まるで命を失った獣のように沈黙していた。


 飛竜の吐いた灼熱のブレスは、船底を容赦なく貫き、鋼鉄の装甲をも溶かしていた。墜落の衝撃で飛行石は粉々に砕け、青白い光を放ちながら風に舞い、砂嵐の中へと吸い込まれていった。まるで、希望そのものが風にさらわれていくようだった。


 ──もう、帰る術はない。


 救援信号は発した。だが、この地に足を踏み入れる者は稀で、しかも今は魔物が跳梁跋扈する危険地帯。誰が好き好んで、命を賭してまで助けに来るというのか。そんな奇特な人間が、この荒んだ世界に残っているとは到底思えなかった。


 胸の奥がじわりと冷たくなる。喉の奥がひりつき、息を吸うたびに肺が焼けるようだった。


 ──そのときだった。


「っ!?」


 地面が突如として激しく揺れた。砂の下から突き上げるような衝撃に、私は思わず膝を折り、砂に手をつく。心臓が跳ね、背筋を冷たいものが這い上がる。


 振り返った瞬間、視界の端に異様な光景が飛び込んできた。砂が渦を巻き、地面が波打つように盛り上がっている。まるで大地そのものが生き物のように蠢いていた。


「……砂竜!?」


 ワーム──地を這う竜種。伝承でしか聞いたことのない存在。だが、今、目の前に現れたそれは、まさしく語られてきた恐怖そのものだった。


 砂の奔流が唸りを上げ、私を目がけて突進してくる。逃げる間もなく、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。


 ──もう、終わりだ。


「た…助けて……パパ! ママ!!」


 声が裏返り、喉が裂けるほど叫んだ。涙が頬を伝い、視界が滲む。誰にも届かないと分かっていても、叫ばずにはいられなかった。恐怖が、理性を押し流していく。


 そして、ワームが地中から飛び出した。


「ひぃ……!」


 巨大なミミズのような体躯。砂をまとったその表皮は岩のように硬く、先端には無数の鋭い牙が蠢く口が開いていた。生きたまま飲み込み、内部で刻み、ゆっくりと消化する──地獄のような捕食法。


 その口に飲まれたら、すぐには死ねない。痛みに喘ぎながら、意識が薄れていくまで、何度も何度も苦しめられるのだ。


 私は目を閉じた。舌を噛み切れば、少しは楽になれるかもしれない──そんな絶望的な考えが、脳裏をよぎる。


 だが、そのときだった。


「……ハートを盗む」


 砂嵐の唸りに紛れて、低く、しかし確かに響く男の声が耳に届いた。


「え……?」


 次の瞬間、ワームがまるで糸の切れた人形のように崩れ落ちた。全身を痙攣させながら、砂の上でのたうち回るその姿は、まるで心臓を撃ち抜かれたかのようだった。


「大丈夫か?」


 背後から再び声がした。振り返ると、そこには一人の青年が立っていた。


 漆黒の髪、深い闇を湛えた瞳。全身を黒のコートで包み、その佇まいはまるで夜の化身のようだった。だが、その整った顔立ちは、どこか現実離れしていて──まるでおとぎ話の王子様のようでもあった。


「……俺の黒髪と黒目、そんなに珍しいかな?」


「あ…い…い…いえっ!」


 私は慌てて首を左右に何度も振りながら、震える声で奇声を放つ。胸の鼓動がうるさいほどに高鳴っている。見惚れていたなんて、口が裂けても言えない。


 そんな私の姿に、彼はふっと笑い、安堵したように息を吐いた。


「怪我はなさそうだね。よかった」


「あ…あの……ど…どど…どう」

「どう?」


「ど、ど、どうして…た、助けてくれたんですか?」


 相変わらずどもってしまう。上手く言葉が出てこない自分が情けなくて、視線を落とす。


「救援信号を出したのは君だろう?」


「そ…それは……はい。でも、あの……」


 私はいつもこうだ。伝えたいことがあるのに、言葉が喉で詰まってしまう。胸の奥がもやもやして、息苦しくなる。


「…冒険は自己責任」

「っ!」


 その言葉に、胸がぎゅっと締めつけられる。


「冒険は…自己責任だから、助けてもらえたのが不思議なのかな?」

「は…はい」


 そう、冒険は自己責任。墜落しようが、魔物に襲われようが、それはすべて自分の選んだ道の果て。誰かに助けを求めること自体が、甘えなのだと、ずっと思っていた。


 でも──


「冒険は自己責任なら、冒険の途中で困っている人を助けるか助けないかだって、同じような自由があっても良いだろ?」


 その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなる。凍えていた心に、そっと火が灯るようだった。


「…そ……そ…それは…すごく…その」


 言葉にならない想いが、喉の奥で震える。


「……飛空艇は、もうダメそうだね」


 彼は座礁した飛空艇を見つめながら、静かに言った。


「近くの街まで送ろう」


「えっ、いい…んですか?」


「困ったときはお互い様だからね」


 その微笑みは、砂嵐の中でも確かに温かかった。


 彼は空を見上げ、右手を高く掲げる。その掌から放たれた光が、夜空を裂くように走り、雲の向こうから巨大な飛空艇が姿を現した。


 砂嵐をものともせず、空を滑るその姿は──まるで、希望そのものだった。

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