人魚姫は知っていた

神夜紗希

人魚姫は知っていた

ある日の夜。

海は、嵐で激しく荒れていた。


波は途切れる事なく、高く上がっては水面に強く叩き付けられる。


空は黒い雲に覆われて、

海には大粒の豪雨が当たる。


そこに、二つの人影が浮いていた。

まだ距離はあるが、その人影の距離は少しずつ縮まっていく。


一つの人影は、ある国の人間の王子だった。

船から投げ出され、荒れた海の中で波に踊らされていた。


もう一つの影は、この海に生息している人魚姫だった。


人魚姫は荒れた海の中を必死に泳いでいく。


綺麗なエメラルドグリーンの鱗で、

光り輝く大きな尾びれを海の中で揺らす。


人魚姫が通った海の表面には、キラキラと光るエメラルドグリーンの線が真っ黒に染まった海に引かれていく。


王子に近付けば近付くほど、

どこかから流れてきた海藻や、

魚の大群が、

人魚姫の行く手を邪魔するかのように横切る。


海の底からは、泣き声とも、叫び声とも聞こえるような、悲痛な歌声が響く。


それでも人魚姫は進む。

今にも沈みそうな王子の元へと。


人魚姫は海の底の歌声に答えるように、

ぽそりと歌声を漏らした。


その声を聞いた途端、海藻も、魚の群れも、

海の底から響く声もなくなった。


人魚姫は王子の元に辿り着くと、王子の腕を掴んだ。


ザシュッ……


鈍く生々しい音が、夜の海に響いた。

黒く光る海に赤い血が漂っていく。


人魚姫の胸にはナイフが刺さっていた。


王子がニヤリと笑う。


「バカな魚だな。これでまた金が手に入る。」


王子は人魚姫の腕を掴み、

ゆっくりと頬に手を添えて、

愛しそうに見つめた。


その視線は、人魚姫に対するものではない。


人魚姫は自分に刺されたナイフに目をやると、

ゆっくりと王子に目を向けた。


「バカはあんたよ。」


人魚姫は、長く美しい金色の髪の毛を王子の首に括り付けた。


「ぐっ…何故、死なない?!…まさか…」


王子は首に絡みつく髪の毛を解こうともがく。


「あんたが人魚を乱獲して売り捌いている事、知ってるのよ。」


人魚姫は真っ直ぐと王子の目を見る。

その瞳は、宝石のような碧眼だった。


王子はその目を、髪の毛を、エメラルドグリーンの鱗を見て気付いた。


「…っお前、あの時の人魚の…」


人魚姫は一筋の涙を流すが、すぐに荒れた波が涙を攫ってくれた。


「あんたが最初に殺した人魚は、あたしの姉よ。…そして、私は、あんたが売り捌いた姉の肉を食べた。」


怒りに唇を噛み締める。

人魚姫は髪の毛を更に強く締め付けながら、震えた声を絞り出した。


「…この日の為にね。」


王子は笑った。

荒れた海が顔に叩き付けられても、気にも留めなかった。


「バカが!俺も捌いた時に人魚の肉を食ってんだよ!不死身なんだよ!お前の、姉さんのおかげでな!」


醜い笑い声が、夜の海に響く。


人魚姫の瞳から一切の輝きが消えると同時に、

海の底から、怒りに満ち満ちた歌声が響きだす。


その事に、王子は気付かない。


人魚姫の周りを、ザワリザワリと、複数の存在が息巻くように、空気が揺れる。


人魚姫は胸に刺されたナイフを引き抜きながら呟く。


「…そんな事、こっちは分かってるのよ。この海に生きる、全ての者が知ってる。」


「…は?」


波の音にかき消され、人魚姫の呟きは王子に届かない。


人魚姫は、もういい、とでも言うように

短く息を吐いた。


「あんたはもう、この海に許される事はない。」


今度は、聞こえるように、

ハッキリと王子に向かって告げた。

嵐はもう、止んでいた。


「…だからなんだよ?!俺は不死身だ!

死なないんだ…ッガボ…」


人魚姫は思いっきり水面に体をあげて、勢いよく海の底に向かって泳ぎ出した。


金色の長い髪の毛を、

王子の首に絡みつけたまま。


王子はもがくが、髪の毛は解けない。

気付けばあっという間に深海だった。


暗く、岩ばかりに囲まれた海の底に、黒く大きな影があった。

辺りにはたくさんの深海魚がゆっくりと泳いでいる。


人魚姫は、黒い影の前に行くと一礼した。


「──こいつです。」


髪の毛をグイッと引っ張り、影の前に王子を出した。


不死身の王子は、深海の底に来ても死んではいなかった。


ただ、大きな影の前には、もう軽口は叩けなかった。

目の前には、見た事のない、恐ろしい存在が居るからだ。


王子は顔を青ざめさせ、唇がワナワナと震えていた。

声を出そうとしても、喉がひくりとも動かない。


人魚姫はその様子を見てニヤリと笑う。


「人魚は見たことあっても、深海の魔女は初めてのようね。

…あんたはもう、二度と陽の光を見る事はない。」


人魚姫は、持っていた王子のナイフを使い、髪の毛を切った。


切れた髪の毛がフワリと外れて、暗い海の底をキラキラと漂っていく。


王子の体は自由になったはずなのに、思うように動かせなかった。


「深海の魔女様、あとはお好きに。」


人魚姫は一礼すると、深海から去った。

少しの涙と、微笑みを浮かべて。


人魚姫の周りには、まるで複数の誰かが

一緒に泳いでいるかのように、

たくさんの泡で包まれていた。


深海の魔女の元に残された王子は、抵抗する事も、制止する事もできなかった。


深海の魔女によって、

頭部と四肢を引き裂かれていた。


不老不死の王子は、死なない。


深海の魔女は、王子の首を持つと顔を近づけた。


あまりの恐ろしい形相に、ないはずの体が震えるような感覚になる。


深海の魔女は、この世のものとは思えないような声で囁いた。


「永遠の闇と、己の業を見続けろ」


その声は、海一体にズシリと響き渡るように振動していった。


深海の魔女は王子の首をソッと落とした。


その頭部だけが、今も世界の海を漂っている。


この海に許される事はないからだ。


永遠に…。

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