碧宙の星のレムリア

久遠 魂録

眠れる星

 その丘に足を踏み入れた瞬間、

 緒妻哲人は、風の音が変わったことに気づいた。


 同じ山道のはずなのに、耳に届く葉擦れの音が、どこか遠い。

 まるで、自分だけが薄い膜の向こう側に入り込んでしまったような――そんな感覚だった。


「……やっぱり、ここか」


 小さく呟いて、哲人はリュックを背負い直す。

 佐賀の山間部。吉野ヶ里遺跡から外れたこの場所は、地図にも載らない丘陵地帯だ。

 ネットの掲示板で見かけた“超古代文明の痕跡があるらしい”という曖昧な書き込み。それだけを頼りに、彼はここまで来た。


 何かがある、という確信はなかった。

 ただ、何もない気がしなかった。


 斜面を進むと、不自然に整った岩肌が現れた。

 長い年月を経ているはずなのに、崩れていない。削れすぎてもいない。


「……人工的、だよな」


 哲人はリュックから、自作の簡易センサーを取り出した。

 部品の寄せ集めだが、空気の流れや微弱な振動を検知できる。


 スイッチを入れた瞬間、針がわずかに揺れた。


「……中、空洞だ」


 岩に手を当てる。

 ひんやりとした感触。その奥に、空気が流れている。


 ――まるで、呼吸しているみたいだ。


 力を込めると、岩は低い音を立てて動いた。

 隙間が生まれ、そこから冷たい空気が流れ出す。


 哲人は、少しだけ躊躇ってから、その中へ足を踏み入れた。



 内部は、驚くほど静かだった。

 音が消えている。自分の足音すら、遠くで鳴っているように感じる。


 闇の中で、淡い光が浮かび上がった。


 青白い――いや、碧い光。


 その中心に、石の台座があった。


 そして、その上に――少女が眠っていた。


「……え……」


 思わず、息を呑む。


 年は、自分と同じくらいだろうか。

 長い黒髪が静かに広がり、白い服が、微かな光を反射している。


 古代的でも、未来的でもない。

 ただ、懐かしいと感じる、不思議な姿だった。


 少女の胸元には、ペンダントが下がっていた。

 碧い宝石。深く、澄んでいて、星を閉じ込めたような輝き。


 けれど――

 宝石が目を引いたのではない。


 少女が、そこに在ること自体が、空間を支配していた。


 哲人は、なぜか足がすくんだ。


(……起こしちゃ、いけない)


 理由はわからない。

 ただ、そう思った。


 この眠りは、邪魔してはいけないものだと、体が理解している。


 そのとき――


 少女の指が、わずかに動いた。


「……っ」


 息を殺す。


 まつ毛が震え、胸が静かに上下する。

 まるで、長い夢から浮上するように。


 そして、ゆっくりと――

 少女は目を開いた。


 瞳は、夜空のように深い色をしていた。


「……ここは……どこですか?」


 声は、普通だった。

 神秘的でも、威圧的でもない。

 ただ、少しだけ不安そうな、少女の声。


「あ、えっと……」


 哲人は慌てて言葉を探す。


「ここは……山、です。僕は、緒妻哲人。君は……?」


 少女は、少しだけ考えるように瞬きをした。


「……大神。憂です」


 その名を口にした瞬間、

 碧い宝石が、ほんの一瞬だけ、強く光った気がした。


 だが哲人は、それに気づかなかった。


 彼の胸には、ただ一つの感情が広がっていた。


(……この人を、守りたい)


 理由は、やはりわからない。


 ただ――

 この出会いが、人生を変えることだけは、なぜか確信していた。


 外では、夕日が沈みきり、夜が始まっていた。


 けれど、遺跡の中では、

 時間が、まだ動き出していなかった。

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