羅生門仮説
@pgrpgar
羅生門仮説
高校一年生の春、現代文の教科書の一番最初に載っていた文章が何だったか覚えているだろうか。
私の場合は、芥川龍之介の羅生門だった。だからといって、別にこの一編にに思い入れはない。むしろ羅生門そのものの内容より、羅生門の主人公である下人のにきびについて鼻を膨らませながら熱く語っていた、現代文担当の教務主任の表情の方が記憶にあるくらいである。
先日、この羅生門を改めて読みかえした。実に十数年ぶりの読書体験だった。手に取った理由は特にない。年の暮れが近づいて混み合う病院の待合室で2時間待たされ、持ってきた文庫本も読み終わってしまい手持ち無沙汰だったので、青空文庫から目についた羅生門を開いただけの話だ。
私はお世辞にも読書家とは言える方ではない。月に多ければ2、3冊読むことはあるが、だいたい仕事上必要に駆られて読むビジネス書が中心だ。少ないと1冊も読まない。本を買っても読み切らず、寝室の枕元にある小机の上に同じ姿勢でずっと寝かせていることもある。だから、今回の発見は偶然2冊の小説を連続して読んだからこそ気づいたことである。
何に気づいたのか。
多くの物語のあらすじは、羅生門で説明できるということだ。
順を追って説明したい。
まず私は羅生門を読む直前、高校生が主人公の小説を読んでいた。簡単にあらすじを説明すると、もっと楽器が上手くなりたいと思い、弱小高校の吹奏楽部に不満を抱えながら在籍していた主人公が、部内の人間関係トラブルに巻き込まれるという話だ。最後は、ほぼ部活に来ない怠惰だと思っていた先輩が、実は外部の社会人団体に入って活動している人だと分かり、その先輩に誘われる形で部活をやめる。
この小説自体もまあまあ面白かったのだが、続けて羅生門を読んだとき、私の中で何かが繋がった感覚があった。
芥川龍之介『羅生門』もその前に読んだ小説も、どちらも「迷っている主人公が、外部の出来事によって決断へと押し出される」という流れで進む。羅生門では老婆との遭遇が、私の読んだ小説では部内のトラブルが、それぞれ主人公に“後戻りできない選択”をさせる契機になっている。つまり両者は、時代も状況も違うが、「揺れていた主人公が事件をきっかけに境界を越える物語」という点で同じ構造を持っている。そして、この構造は小説自体の根源的なパターンなのではないか。
この仮説をどうしても誰かに話したくて、私は一人の友人に連絡を取った。
今年は上手く年末年始の休みがはまり、大型連休となる人も多いらしい。連休初日かつ今年最後の週末ということもあって、夕刻の繁華街は大いに賑わっていた。
私が居酒屋の隅のテーブル席でビールを飲んでいると、約束の時間から少し遅れて、松下が「や」と小さく右手を挙げた格好で入ってきた。寒い寒いと言いながら見るからに重たそうなモッズコートを丸めて隣の席に置くと、「待った?」とこちらに目を向けた。
「座ってから漫画を一話読み終わったところ。遅れるって言われたから先に飲んじゃってた」
ビールでいいよね、と私は松下の分をタッチパネルに打ち込む。
「あ、焼きおにぎりも頼んで」
「初手で頼むものじゃないでしょ」
私が苦笑すると、松下は「いいんだよ、最初からクライマックスなの」と、実はもう飲んできたのではないかという調子で答える。時計の針はまだ6時15分を指していた。
松下は、私の高校時代からの友人だ。高校は違ったのだが、同じ予備校に通っており、現役の頃は教室で顔を合わせる程度だったが、本格的に受験シーズンに入ってからは時折話をするようになり、浪人してからは仲が良かった友人たちが大学に合格して取り残された者同士、気づいたら一緒にいるようになった。いわば余りものペアである。一浪して東京の有名私大に進学した松下と地元で進学した私は一時別々の道に進んだが、卒業後は互いに地元で就職したので、就職してからは年に数回は顔を合わせている。羅生門のあらすじのような小難しい物語論のような話をするなら、松下が適役だと思って私が呼び出したのだ。
頼んだビールが届くと、松下の「それじゃ、忘年会ということで」という声に合わせて静かに乾杯をした。
私は飲みかけのビールを一口飲み、「結局、賞は間に合ったの?」と目の前で中ジョッキを空けようとしている松下に投げかけた。松下は口についた泡をおしぼりで拭いながら、「まあ出したは出した」と珍しく歯切れの悪い返事をした。
松下は地元の食品メーカーで働きながら、今も趣味でミステリー小説を書いている。アマチュア小説投稿サイトで公開もしており、長く続けているだけあってファンもそれなりにいるようだ(ちなみに私も一度読んだことがあるが、エログロが強すぎて途中でリタイアしてしまった)。秋に会ったときは応募予定の文学賞の締切間近で、「煮詰まった。酒が要る」と連絡が来たのだった。
「いつも強気で現代社会に物申してる先生が、今日はずいぶん弱気だね」
私の煽りに対して、松下は「それは時間さえあればもっといいもの書けたよ。今回は難産だった。納得いかないままとりあえずラストまで書いて、後で手直ししようと思ってたんだけど、そういうときに限って仕事のトラブルって降ってくるんだよね。発注ミスした後輩連れて謝罪行脚してたらもう締切でさあ」と流れるように説明し、乾いた喉をビールで潤した。多分同じような言い訳をこの前にも何度かしてきたんだろう。
私は、「そんな先生にお聞きしたいんですが」と前置きをして、前のめりの姿勢で例の羅生門のあらすじ仮説について説明し、「どう思います、先生」と尋ねた。
最後まで何も言わずに聞いていた松下は、ひとつ長く息を吐くと、「まずお前はもっと本を読め」といつもの文句を口にした。「もっと本を読め」は、松下の口癖である。
「今まで、映画脚本のノウハウ本とか読んだことある?」
私は左右に首を振る。
「三幕構成って、よく映画脚本で使われるんだけど、「設定」、「対立」、「解決」の三幕に分かれた構成をそう呼ぶ。羅生門もその読んだって小説もそのパターンにはまってるし、桃太郎みたいな昔話にも構成で作られたものは確かに多い。ストーリーがわかりやすいからね。でも全部が全部そうだと思うのは雑すぎる。川端康成とか読んでみなよ。最初から最後まで何にも解決しないから」
運ばれてきた焼きおにぎりを器用に箸で割りながら、松下は続ける。焼きおにぎりの割れ目から白い湯気が上がった。
「もしそれに自分の力で気づいたなら、数学でいう公式の導出を教科書も見ないで自分でやったようなもんだから、それはそれですごいと思うよ。ただそれは先人が既に気づいて体系化しているし、川端康成みたいな例外もあるけど」
私は「そうかあ」とため息をつき、背もたれに身体を預けて天井を見上げた。発見だと思った興奮が、自分の中で萎んでいくのがわかった。
「まあ、三幕構成を実例で勉強したくなったら私の小説を読みたまえ。だいたいそれで書いてある」松下はニヤリと笑って、次何飲む?とタッチパネルを渡してきた。
その後はいつも通り、仕事の愚痴や最近読んだ漫画の話なんかをして、終電に合わせて店を出た。
駅までの道を並んで歩きながら、私はさっきの三幕構成の話を思い出していた。自分では発見だと思ったことは、大抵既に誰かが答えを出しているらしい。悩み事も同じかもしれない。
「私の悩みは、既に誰かが悩んでいる」
「何?出版社のキャッチコピー?」
「いや、そういうもんなのかなって」
「まあ、文学の良さってそういうところもあるから」
「どういうこと?」私は松下の顔を見た。
「ほら、小説って大体誰かが悩んだりトラブルに巻き込まれたりして、それを乗り越えたり乗り越えなかったりって話じゃん。色々読んでるとあるんだよ、この人自分と似てるなってことが。全く違う世界とか時代の人が、自分と同じようなことで小難しく悩んだりしててさ。まあお前はもっと本を読めよ」
松下が白い息を吐きながら肘で小突いてきた。これまで幾度となく聞き流してきた口癖が、今夜は妙に胸に刺さる。
羅生門仮説 @pgrpgar
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