異世界総務のヨシコさん(58) ~7人のエリート弟妹とホットラインで「魔王軍ホワイト化」します~
早野 茂
第一章:ナケナシ王国立て直し編 ~契約書の罠とブラックな労働環境の改善~
第1話:記念撮影と、国のバグ
「――時空を超えて招かれし勇者よ。我がナケナシ王国の守護者となり、魔王を討ち滅ぼすのだ」
厳かな声が、石造りの大広間に響き渡る。
高い天井、ステンドグラスから差し込む極彩色の光、そして目の前には、金ピカの玉座にふんぞり返る王様らしきおっさん。
ヨシコ(58歳)は、冷たい石畳の上で腰をさすりながら、ゆっくりと立ち上がった。
スーパーで特売の卵パックをカゴに入れた瞬間、視界が真っ白になったと思ったら、いきなりここだ。
「……あいたたた。冷えは膝にくるなぁ」
ヨシコは割烹着の埃をパンパンと払いながら、周囲を見渡した。
中世ヨーロッパのような城。兵士たちの鎧。
そして目の前の王様。
普通のオバサンなら腰を抜かして悲鳴を上げるところだ。
けれど、ヨシコは妙に冷静だった。
脳裏にふと、行方不明になった息子の姿が浮かんだからだ。
『母さん、これ「異世界召喚」っていうジャンルなんだよ。高校生とかが、友達ごと召喚されて勇者パーティーを作って魔王を討伐する、お約束ってやつだ』
リビングでカップ麺を啜りながら、深夜アニメを見ていた息子の横顔。
あの時は「へぇ、漫画みたいな話やな」と笑って流していたけれど。
(……なるほどな。あの子が好きやったんは、これか)
まさか自分がその当事者になるとは思わなかったが、不思議とパニックにはならなかった。
むしろ、「あの子が見ていた景色」を自分も見ているのだと思うと、少しだけ度胸が据わった気がした。
「おい、聞いているのか異界の者よ」
「はいはい、聞いてます。……つまりアレですね? 違う世界から私を呼んで、魔王を倒せ、っちゅうことですね」
ヨシコがすんなりと状況を飲み込んだことに、王様と側近たちがざわついた。
40年間、中小企業の総務部で荒波に揉まれてきたヨシコにとって、社長の無茶振り(召喚)など日常茶飯事だ。
「それで? その魔王ってのを倒したら、私は元の家に帰してもらえるんですね?」
「無論だ。……だが、まずは契約を結んでもらう」
王様が顎をしゃくると、隣に控えていた文官が、うやうやしく羊皮紙の巻物を差し出してきた。
「これが『勇者契約書』だ。サインせよ」
「契約書ねぇ……大事やからね、そういうのは」
ヨシコはカバンから眼鏡ケースを取り出し、赤いフレームの老眼鏡をかけた。 羊皮紙を受け取り、広げる。 びっしりと書き込まれた文字。ヨシコは眉間にしわを寄せ、紙を顔に近づけたり、遠ざけたりした。
「…………」
「どうした? 恐れをなしたか?」
「いや、ちゃうねん」
ヨシコは深いため息をつくと、顔を上げて王様を睨みつけた。
「字が小っさいねん!!」
王様と文官が、ビクッとのけぞった。
「あんたら、これ何ポイントで打ってんの!? 6ポイントくらいちゃうか? 読ませる気あるんか! 契約書ってのはなぁ、相手に理解させる気がないと『錯誤無効』で訴えられるんやで!」
「は、はあ……」
「それに、行間も詰めすぎ! 紙代ケチってんちゃうぞ!」
ヨシコはブツブツ文句を言いながら、懐からスマートフォンを取り出した。
弟たちが「姉さんにはこれが必要だから」と持たせてくれた最新機種だ。
「まあええわ。ちょっと待ってな、詳しいもん(弟たち)に見てもらうから」
「な、何を勝手なことを……」
ヨシコは王様の制止など聞かず、カメラアプリを起動した。
パシャ! パシャ!
手慣れた手つきで契約書を撮影していく。
そして、ふと条文の一つに目が止まった。
『第15条:任務中に死亡した場合、国はその魂を称え、星として記憶する』
ヨシコの手がピタリと止まる。
華々しい言葉で飾られているが、要するに「死んでも責任は取らない」ということだ。
「……こんな紙切れ一枚で命を差し出させるなんて、あの子がいた会社と、何が違うんやろな」
誰にも聞こえないほどの小さな声で、ヨシコは呟いた。
一瞬だけ、その瞳に暗く冷たい怒りが宿る。
だが、すぐに顔を上げると、いつもの調子に戻ってカメラを構えた。
「あと、今の『状況証拠』も撮っとかなな。……おっ、あの後ろの石碑、なんか立派やんか」
ヨシコはカメラを向け、玉座の後ろにある巨大な石碑や、ステンドグラス、そして並んでいる兵士たちを次々と撮影した。
「よし、ほな最後に、王様」
「な、なんだ」
ヨシコはズイッと玉座に近づくと、王様の隣に並び、スマホを掲げた。インカメラだ。
「状況説明には、当事者の顔写真が一番や。はい、王様もっと寄って! 笑って笑って!」
「は? え、わ、笑う……?」
「はい、チーズ!」
パシャッ!
画面には、戸惑って引きつった笑顔の王様と、満面の笑みでピースサインをするヨシコが映し出された。
その直後。
ヨシコはスマホの画面を見て、「おや?」と声を上げた。
「なんやこれ……写真の中の文字が、勝手に変わっとる?」
撮影された写真データの中で、石碑に刻まれていたミミズのような古代文字が、ひとりでにグにゃりと歪み――整然とした『日本語』に置き換わっていたのだ。
まるで、スマホ越しに見た世界だけが翻訳されているかのように。
「まあええわ、便利やな」
ヨシコは深く考えず、画像を『家族グループチャット』に送信した。
「な、何をしたのだ貴様……魂を抜いたのではあるまいな!」
「ただの記念撮影や。……っと、来た来た」
送信して数秒もしないうちに、スマホがけたたましく着信音を鳴らした。
画面には『イチロウ(長男)』『ハナコ(次女)』『シロウ(四男)』からの着信通知。
ヨシコはスピーカー通話のボタンを押した。
『――姉さん!? 無事!? いま画像見たけど、そこどこ!?』
長男・イチロウ(国際弁護士・54歳)の、珍しく焦った標準語が聞こえる。
「イチロウか。いやな、なんか異世界ってとこに来てしもうて。ナケナシ王国? とかいうとこの王様が、契約書にサインせぇってうるさいんよ」
弟たちの声が、大広間に響く。
王様や兵士たちが「小さい箱から声が!?」とざわついた。
『異世界だって……!? いや、そんなことより姉さん、その契約書! 絶対サインしちゃダメだ!』
「やっぱり? なんか怪しい思うてん」
『怪しいどころじゃないよ! 第3条も第8条も、完全に労働基準法違反だ! そもそも片務契約(一方的に不利な契約)として無効を主張できるレベルだぞ!』
イチロウが法律用語でまくし立てる。
そこへ、割り込むように別の声が響いた。
マシンガンのような早口の関西弁だ。
『姉ちゃん! 今送ってくれた石碑の写真、解析終わったで!』
四男・シロウ(工学博士・40歳)だ。
『これ、とんでもないこと書いてあるわ。石碑の古代文字、こう定義されとる。「王ハ、民ト勇者ヲ守護スル盾ナリ。盾ガ剣ヲ折ル時、王権ハ砕ケ散ル」……つまりな、王様が勇者を守る契約じゃなくて、搾取する奴隷契約を結んだ瞬間、システム的な矛盾(バグ)が発生するんや!』
「バグ?」
『せや! その契約書にサインした瞬間、契約違反のペナルティで、国を守ってる結界が消滅してまう! 王様の命も危ないで!』
さらに、金切り声のような関西弁が重なる。
『あかんあかん! 絶対あかんで姉さん!』
次女・ハナコ(リスク管理・42歳)だ。
『そんな危険な契約、リスク係数が高すぎるわ! 海外旅行保険もおりまへんで! 誘拐特約も対象外や! 万が一怪我でもしたら、誰が治療費払うん!? 損害賠償請求の宛先も不明確やないか!』
「……やてさ」
ヨシコは電話を切ると、ゆっくりと王様に向き直った。
王様は顔を真っ青にして震えている。
「ば、馬鹿な……あの石碑の文字など、誰も読めぬはず……」
「読めへんでも、ルールはルールや。あんた、自分の命と引き換えに私をこき使うつもりやったんか?」
「ええい、知らぬ! 問答無用だ! 早うサインせぬか!」
王様が半狂乱になって、ヨシコの手を取り、無理やりペンを走らせようとした。
「あかん!!」
ヨシコは叫んだが、ペン先が羊皮紙に触れ、名前の一画目が引かれてしまった。
その瞬間。
ズズズズズズ……ッ!
地鳴りのような音が響き、城全体が激しく揺れ始めた。 王様が被っていた立派な王冠に、ピキッという乾いた音が走り、亀裂が入る。
「う、うわあああっ!? 地震!? いや、結界が……!?」
「ほら見ぃ! 四男(シロウ)の言うた通りや! あんたの寿命が縮んだ音や!」
「た、助けてくれぇぇぇ!」
王様は腰を抜かし、玉座から無様に転がり落ちた。
ヨシコはペンを契約書から離す。
すると、揺れは嘘のように収まった。
「ふぅ……危ないとこやったな」
ヨシコは床にへたり込んだ王様の前にしゃがみ込み、割烹着のポケットからハンカチを取り出すと、王様の脂汗を拭いてやった。
まるで、悪さをした子供を諭すような手つきで。
「王様。国を守りたいんやろ? 自分の命も惜しいやろ?」
「も、もちろんだ……死にたくない……」
「やったら、書き直しや」
ヨシコはスマホを操作し、長男がたった今送ってくれたPDFファイル――『業務委託契約書(修正版)』を開いて見せた。
「週休二日。残業代は完全支給。危険手当有り。それと、私の部下(これから出会う仲間)への福利厚生も完備すること。……これが、あんたの国が助かる唯一の道や」
王様は涙目で、スマホの画面と、ヨシコの顔を交互に見上げた。
そこに逆らう気力は残っていなかった。
「……は、はい……」
こうして。
異世界召喚されてわずか10分。
ヨシコは、剣も魔法も使わずに、一国の王を屈服させた。
ヨシコは窓の外、広がる異世界の空を見上げた。
抜けるような青空だ。
スマホの画面には、先ほど撮った王様とのツーショット写真が表示されている。
「ほら王様、これが『契約記念写真』や。あんたには送られへんから、その目にしっかり焼き付けときなさい」
ヨシコは王様に画面を見せて、ニカっと笑った。
「後で『あの時、人生変わったな』って思い出すことになる、恩人の顔やからな!」
王様は、まじまじと画面の中の笑顔を見つめ、ゴクリと唾を飲んだ。
そして、何かに打たれたように深く頷いた。
「……うむ。忘れるものか。……すぐに絵師を呼んで、この光景を描かせておかねば……」
王様はブツブツと呟いている。どうやら、本当に国宝級の扱いで記録するつもりらしい。
ヨシコは割烹着の紐をキュッと締め直した。
息子ほどの年齢の王様相手に、ヨシコはもう「お母さん」の顔になっていた。
「さあ、仕事の時間や! まずは腹ごしらえから行くで!」
(続く)
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