白夜に花火が上がったら

七瀬渚

第1話


 好きな人が泣いているところを見てしまった。


 大晦日の街はお祭り騒ぎ。彗星のように駆け抜ける幾つもの光の筋が、次々と大きく弾けては夜空の高さを際立たせていた頃。


 少し灰色がかったブロンドの髪は風の軌跡をえがくようになびいて、血色のない唇は心細げに震えていた。

 赤や緑の光に照らされながらも何処か遠い場所を見ていたようなグレーの瞳。白い頬の上をはらりと一雫が伝っていった。


 あれは確かに彼だった。

 好きだから見間違えるはずはない。それも確かにそうなのだけど、あの儚く消えてしまいそうな雰囲気を私は少しだけ知っているような気がしたのだ。

 賑やかさの中で皮肉なくらい際立つ透明感も。



 あのお祭り騒ぎが幻だったみたいに、今はすっかり落ち着いた日々だ。単にここが閑静な住宅街だからというのもあるけれど。


 何重にも重ねた服の上から更にロングのダウンコートを羽織る。足元も厚手の靴下を重ね履き。冬用ブーツに手袋にマフラー、フードまで被って。そこまで抜かりない装備でも吐息は簡単に白くこぼれてを上げた。


 極夜はもうしばらく続く。昼間さえ薄闇に染めるこの期間はどうも気分が沈むから私は苦手だ。むしろ得意な人なんているんだろうか。

 雪は不思議と嫌いじゃない。ウィンタースポーツも楽しいし。なんて思っていられるのは、私がまだ高校生で長期休みもそれなりにあるからなんだろうけどね。


 いくらか人通りが多くなってた。駅が近いからだ。

 電車に乗る訳でもないのにここまで来るのは身体がなまらないようにするためでもある。でも一番の目的は……


「んん〜、いい匂い」


 思わず声に出してしまうほど。大きな窓から溢(こぼ)れる温かみのある照明。その奥に並んでるのは焼きたてのパン。外の空気さえほんのり香ばしくするのだから食べ盛りの私はとても敵わない。いいや、むしろ食べなきゃ乗り切れないこの時期の強い味方と言えるんじゃないだろうか。


 そんなふうに本能がそそられる中で、一つの気配に気付けたのは奇跡だったようにも思う。

 ちらりと見えたうつむき加減の横顔にはっと息を飲んだ。私はすぐに駆け寄り彼の横に並んだ。


「ダニー! ダニーでしょ」


 呼び止めたのが正解だったのかはわからない。でも振り向いたその顔が、そのグレーの瞳が、ぱあっとワントーン明るくなったのを見て、少なくとも間違いではなかったんだと感じた。


「なんだソフィか。パンの匂いがついてるぞ」


「ちょっと! 新年の挨拶がそれ?」


「ははっ、わりぃわりぃ。今年もよろしくな、ソフィ」


「こちらこそよろしく、ダニー」


 新年早々ちょっとからかわれたけどそれでも別に構わない。

 すれ違ったときなんとなく思ったんだ。今呼び止めないともう話せなくなるかもって。私たちは同じ学校だから、多分機会くらいあるだろうにね。



 パンを買ったらすぐ家に帰るつもりだった。なのに私は今、駅の方へ歩を進めてる。

 小さな嘘をついたのだ。これからおばあちゃんの家に行くからお土産のパンを買いに寄ったんだって。

 もう用は済んだ後だというダニーも一緒にパン屋に入ってシナモンロールを二つくらい買っていた。


 サク、サク、雪を踏み締める音に私のお腹の音が重なった。ダニーが吹き出すようにして笑う。


「腹が減ってるなら自分の分も買って今食えばいいのに。俺に遠慮でもしたのか? ソフィらしくもない」


「そっ、そんなことないわよ! 今は大丈夫。おばあちゃんのことだからきっとパイとか焼いてくれてるし」


「それなのにパンを持っていくのか?」


「量は多い方がいいでしょ。おばあちゃんが・・・・・・・お腹空かせてるだろうから」


「そうかそうか。そういうことにしといてやるよ」


 なによそれ。まるっきり信じてないじゃない。

 ダニーのこういうところ、妙に察しが良くて人の隠したいところまで見透かしてて、だけどあえてはっきり言わず涼しげな笑みを浮かべる、それが却って意地悪に感じる。


 そんなところも含めて好きになっちゃってるなんて、私も馬鹿だなぁ。


「ねぇ、ダニー」


「なんだ」


「…………」


「ん、どうした?」


 蘇る、あの日のこと。

 大晦日の賑やかな街中で、一人佇んでいた彼のこと。


 私はお母さんと弟とスーパーへ買い物に来ていた。年末年始に備えてある程度買い溜めはしてたけど、肝心の生活用品が足りないことに気が付いて、トイレットペーパーや洗剤を抱えて少し離れた駐車場の方まで歩いてたんだ。


 そんなときに彼が。人気ひとけの少ない通りの途中で、あちこちで打ち上げられてる花火を眺めながらあんな表情を。


 お母さんも心配してたな。未成年がこんな夜中に一人なんて。火の粉が飛んできたら危ないし、家族は近くにいないのかしらって。

 だけど私は、今日はお巡りさんも見回り強化してそうだし大丈夫でしょ、なんて言っちゃった。


 よくわからないけど、彼の周りだけスノードームみたいに時間がゆっくり流れてて、触れてはいけない、壊してはいけない、そんな気がしたからなんだ。


 だからこそずっと心配だった。こうして会えたのが本当に嬉しくて。

 だけど……だけど、なんて言えばいいんだろう。今ならちょっとくらいあのときのことに触れても許されるんだろうか。


「ダニーはさ、大晦日の花火は……見たの?」


「花火……」


 いけない。結構攻めたところを突いてしまった。私はすぐに後悔した。

 ダニーは足を止めている。どうしよう。ダニーだって十七歳の男子。涙を見られたことに気付いたらきっとプライドが傷付く。


 だけどさすがダニーといったところか。浮かべた微笑みには年齢以上の落ち着きと、痛々しいほどの器用さが感じられた。


「見たよ。派手に打ち上がってたけど、やっぱり綺麗だった」


「……そっか。いいよね、大晦日といったらああでなくちゃ」


「だよな。電車乗ろうぜ。途中まで同じ方向だろ」


「あっ、うん」


 まだ多少お金はあったはず。雪などものともせず颯爽と歩くダニーの後を私も小走りで着いていった。



「花火といえばなんだけどさ、俺いつか絶対行くと決めている場所があるんだ」


 電車の中。もうこの話は終わったと思ったのに、ダニーの方から切り出してきたのが意外だった。驚いていた私だけど、やっぱり好奇心旺盛な気質ゆえなのかこれはこれで気になってしょうがない。


「何処? 何処に行きたいの?」


「日本だよ。あっちは夏にでかい花火が何発も上がるんだ。凄く綺麗だって聞いた。会場には屋台も沢山出てさ」


「屋台も出るの!? いいなぁ、スオミ(※フィンランド)でもやればいいのに」


「あ〜、でもこっちはさ……」


「あっ、そうか。白夜じゃ映えないもんね。外国だと花火の時期も違うのかぁ」


 日本のことはよく知らないけど、東アジアにあることくらいはわかる。スシとか人気だよね。キモノもお洒落だと思った。ダニーが外国の文化に興味があったなんてちょっと意外だ。


「でもさ、なんで日本なの? アジアなら他にも花火上げてるとこありそうだけどなぁ。ないの?」


「他の国は意外と九月か十月くらいの方が多いらしいんだよ。真夏の花火っていうのを実際に見たくなった。俺、叔父さんが日本人だからいろいろ聞いたんだ。ユカタ着てウチワ持ってとかイケてるだろ。それに……」


 ダニーが少しうつむいたとき、私は思わず覗き込んでしまった。

 しばらくして上げたその顔に私の胸はチク、と細く痛んだ。


「一緒に見に行きたい奴がいるんだ」


「え……?」


「じゃあ俺ここで降りるから。ソフィも気を付けて行けよ。またな!」


「あっ、うん。またね!」


 降車ドアを出ていく彼のことを笑顔で手を振って見送ったけど、胸の疼きはしばらく続いてた。まだなんの可能性にも辿り着いてなかったのに。


 電車に揺られること約二十分。

 すっかり冷めたパンを抱えて私はおばあちゃんの家に辿り着いた。約束なんてしてなかったもんだから、当然おばあちゃんは目を丸くしていた。


「あらあら! 来るなら言ってくれればいいのに。すぐにパイを焼くわ。ソフィ、部屋で温まりなさい」


「大丈夫よ、おばあちゃん。シナモンロール買ってきた。バケットもあるし」


「そんな気を使わなくたって。ありがとうね。でも量は多い方がいいわ。スープも作りましょう」


「あとごめん、帰りの電車代なくて……借りていい?」


「いいけど、一体どうしたの? あのしっかり者のソフィが。何かあったの?」


「ううん、別に」


 いつもの私らしくないのはわかってる。心配かけたくなくても隠しきれないくらい。


 口には出せない、ううん、どう言えばいいのかもわからないから、心の中でだけ弱音を吐かせて。

 おばあちゃん、私、何故だかとても寂しいの。



 なんとも言えない余韻が続いた極夜の日々。

 一つの可能性に気付いたのはダニーと話した日から数日経ってからだった。


 ダニーの会いたい人。真夏の花火を一緒に見たい人。いま日本にいるってことなのかな。


 それ絶対好きな人よ! ダニーってばそんな国際的な恋愛してたの?

 じゃあやっぱり私は脈なしってこと? そんなぁ。私、五年くらい前からずっと彼が好きだったのよ。同じ高校に行けて凄く嬉しかったのに。


 本人の口からはっきり聞いた訳でもないのに、その可能性はやけに確信じみているように感じた。

 頑張ればまだいけるかな。諦めるのは早い? だってまだ高校生よ。将来のことまで考えてるとは限らないし。そんなふうに思えるまでどれくらいかかっただろう。


 月日は流れ、気が付けば六月も間近という頃になっていた。

 もちろんただぼんやり過ごしていた訳じゃない。いろんな経験も思い出もあるけど、ここまでの日々は去年よりもずっと早く感じた。だってもうすぐ夏休みよ。なんだか実感が湧かない。


「ダニー、今日お前んち行っていい?」


「あー、わるい。しばらくは無理なんだ」


「じゃあしょうがねぇか。でもどうした? なんかあったのか?」


「いとこがしばらくうちに泊まるんだよ。これから空港へ迎えに行ってくる」


「空港!? 随分遠くから来るんだなぁ。まぁ気を付けて行ってこいよ。またな」


「ああ、また落ち着いたら遊ぼうぜ!」


 学校の廊下の途中、たまたま近くを通りかかったダニーと友人たちの会話をなんとなく聞いていた。いとこ。そう言っていたけど、このときはまだそんなに気に留めてもいなかった。


 だけどその翌日、私は思いがけずダニーを見かけることになった。知らない誰かと一緒にいるところを。



 こういうとき、行動範囲が近い者同士だとどうしてものがれられない偶然がある。


 よく晴れた昼下がりだった。パン屋の帰りにちょっと気分転換と思って遠回りしたばかりに。

 人で賑わう広場で、煌めく噴水の側に彼らは立っていた。


 ダニーの隣には長いウェーブの髪をした多分……男の子。ダニーと同じくらいの高身長だけど、その人は少しアジア系の顔立ちに見える。

 優しそうな笑顔は何処かあどけなくてこっちまで不思議な気分にさせる。

 そんなときいつかのダニーの言葉が鮮烈に蘇った。


――俺、叔父さんが日本人だから――


「…………っ!」


 声が詰まったのは、ちょうどダニーの手が隣の彼の肩をそっと撫でた瞬間と重なった。


 何もわかっていないような顔でそれを受け入れている長髪の彼。何故そんな表情ができるの。


 そこまで思ってしまったところで私は素早くきびすを返した。

 目の前で起きていたこと、何より長髪の彼を見つめるダニーの表情を直視できなかったからだ。



 早く夏休みが来ればいいのに。私にしては珍しくそんなことを思った。

 学校が好きなのにだって理由があった。友達と会えるのが楽しかったし、授業だって嫌いじゃない。

だけど、本当に一番楽しみだったのは……


「ソフィ、ちょっといいか」


「ダニー……」


 あの光景を目撃した次の日、学校の帰り道で彼から声をかけられた。

 私はちゃんといつもの自分を保てるだろうか。自信がないまま、彼と並んでしばらく歩いた。


 どちらからともなく自然と向かったのは、昨日立ち寄ったあの広場。「ちょっと座ろうぜ」というダニーの一声で私もモタモタとベンチに腰を下ろした。

 どうしてもぎこちなくなってしまう。無理もないでしょう。

 焦りを感じていた私は、やがて隣から注がれる彼の眼差しに気が付いた。


 儚げなその表情を前に息が止まりそう。

 あの大晦日の夜と重なる。私はこれを予感していたんだろうか。


「昨日、ソフィもこの広場にいただろ」


「うん」


「見たか? 俺たちのこと」


「……うん」


「俺の従弟いとこだ。綺麗な奴だろ。俺を凄く信頼してくれてる。だけどあいつは何もわかってないんだ」


「……そっか」


 ダニーはもうわかってる。

 秘めてきた想いを私に気付かれたことも、それでも言いふらされたりなどしないことも、そしてきっと、私の気持ちも。


 なのにこんなことを言うんだね。私を心から信頼したりなんかして。

 優しいんだか残酷なんだかわからないよ。


「だけどな、夏の花火が見てみたいっていうのは本当だ。その夢は子どもの頃からだったよ」


「うん、叔父さんからいろいろ聞いたんだもんね」


「そうだ。たとえ待ってる人がいなくても俺は行く。ここでは見れない光景をできるだけ沢山見ることにしたから」


 覚悟を決めたように彼方を見つめて。それはあなたのプライドなの?

 そんなの見せつけられたら、私も正直になれないじゃない。


 ぐっと一度、喉が鳴った。私はちゃんと笑えているかな。


「私は応援するわ、ダニーのこと」


「ソフィ……」


「だってダニーは私の……」


 もう一度、喉が鳴る。込み上げそうになる目の奥に、しっかりしてと願いを込めた。


「ダニーは私の大切な友達だから!」


「……ああ。ありがとな。俺にとってもソフィは大切な友達だ。これからも」


 私の恋は終わるのに、これからも続いていくんだね。でもダニーだってきっと堪えているものがあるんだ。

 そんなことまでなんとなくわかってしまう。こんなときくらいもっと鈍くなりたかったな。


 空の色がだんだん赤みがかってきて、終わりの実感を強くしてくる。

「引き留めてごめんな」ダニーはそう言って帰っていった。


 遠くなっていく後ろ姿。長く伸びる影は彼の身体よりもずっと長くて折れそうなくらい細くて。

 私はまだしばらく動けそうにない。

 切なさが押し寄せるとわかっていても、彼の言葉を反芻はんすうしてしまうのだ。



――だけどな、夏の花火が見てみたいっていうのは本当だ――


――ここでは見れない光景をできるだけ沢山見ることにしたから――



 ねぇ、それなら……


 言えなかった意地悪。言えなくて良かったのか、言ってしまえたら少しは楽になったのか。

 何処へも投げることのできない問いかけは、私の中で溶けずに残った。



「白夜に花火が上がったら、あなたはここにいてくれますか」

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