第3話 蒼き旋風のオーバーライド

「……ちょっと、嘘でしょ」


WONDERLAND 2.0の冷たい電子の風が吹き抜ける中、カイは絶望に瞳を揺らしていた。 目の前に現れたのは、これまでの不定形なノイズとは一線を画す脅威。無数の黒いケーブルを這わせ、不気味なピンクのゴーグル眼を爛々と輝かせる人型ノイズ――『バイナリ・リーパー』。


「警告。対象の描画優先度は最上位。現在のMode: ALICEでは、あなたが物理的に分解(デリート)される確率は**98.7%**だ。さよなら、カイ。君のことは『高コストなドジっ子』としてアーカイブしておいてあげる」


ホログラムの少女、リアがピンクのツインテールを揺らし、最高に冷ややかな笑みを浮かべて告げる。


「縁起でもないこと言わないでよ! まだ、私の完璧な勝利の計算は終わってな……あわわっ!?」


バイナリ・リーパーが空間を「バグ」で侵食しながら肉薄してくる。カイは咄嗟に後退しようとしたが、運悪く(あるいはいつものように)、第2話で尻餅をついた際に破損したコンソールの残骸に服が引っかかった。


「っ、離しなさいよこのガラクタ! 処理落ちしなさい!」


パニック状態で無理やり服を引き抜こうと、コンソールの操作パネルをデタラメに叩いたその時。 ――ピコーン! という間の抜けたシステム決定音と共に、隠しスロットから一つのデータパックが勢いよく射出された。


「……え? 嘘、何これ。DATAPACK #02……AERO FLOW(風)?」


「信じられない。その尻餅の衝撃で、量子もつれによるカプセル化(高次元ポインタ)が強制解凍されるなんて。……カイ、死にたくなければそれをマウントしなさい。成功率は低いけれど、座して消去されるよりはマシよ」


バイナリ・リーパーの鎌が振り下ろされる。カイは震える指で、そのシアンの輝きを放つパックを胸のデバイスへと叩き込んだ。


「オーバーライド……AERO FLOW、起動(ブート)!!」


その瞬間、世界が変貌した。 カイの瞳から紫電が消え、透き通るような鮮やかなシアンへと再構築される。背中からは結晶状の光の粒子が爆発的に噴出し、巨大な**「光の翼」**が展開された。


(な、なになになに!? 背中が熱い! 演算速度が……脳が、溶けそう!)


カイの視界の中で、バイナリ・リーパーの動きが「停止」したかのように遅くなる。クロックアップ。極限まで高められた演算速度が、時間の流れを追い越したのだ。


外から見れば、それはまさに**「蒼き旋風を纏った神速の騎士」**。 しかし、その中身(カイ)の精神状態は、阿鼻叫喚のパニックに陥っていた。


(止まれない! ちょっと待って、ブレーキのコマンドはどれ!? 助けてリア、おうちに帰りたい!)


「カイ、何をボーッとしている。右足を軸に旋回、加速しろ!」


「言われなくても分かっ……ひゃうあああああ! 速すぎるー!」


カイの意思を置き去りにして、AERO FLOWの圧倒的な推進力が彼女を弾き飛ばす。バイナリ・リーパーが放つ「バグ」の侵食を、紙一重どころか「自分でも気づかない速度」で回避していくカイ。


(もうダメ! 目を閉じたいけど、閉じたらどこかのポリゴンに激突して粉々になっちゃう!)


絶叫しながら高速移動を繰り返すカイの軌道は、もはやバイナリ・リーパーの高度な演算ですら予測不能な「生体ノイズ」と化していた。


「……ふふ、いいわ。その『不規則(ランダム)』、利用させてもらうわよ」


リアが意地悪く微笑み、カイの姿勢制御プログラムに干渉した。 「えっ、リア、何……きゃあ!?」


急激な重心移動により、カイは神速のまま豪快に前方へズッコケた。だが、その転倒こそがリアの狙い。制御不能な加速を伴ったまま、カイの身体はボスの懐深くへと滑り込む。


「今よ、手刀でレイヤーを切断しなさい!」


「もう、どうにでもなれぇぇ!!」


半ばヤケクソで振り抜いたカイの手刀。翼の縁から放たれたシアンのデータ斬撃が、バイナリ・リーパーの描画レイヤーを直接切断した。


――パキィィィィン!!


物理的な破壊音ではない。無数のパケットが霧散し、データの剥離が起きる電子の悲鳴。 ボスの中心にあった「核(コア)」が、上書き消去の白い光に包まれ、静かにデリートされていった。


静寂が戻る。 AERO FLOWの翼が粒子となって消え、カイは地面に力なくへたり込んだ。


「や、やったわ……。私の……私の完璧な計算通りね……。あうぅ、腰が……腰が完全にログアウトしてる……」


ガクガクと震える足を押さえ、必死にクールな表情を作ろうとするカイ。 しかし、その静寂を切り裂くように、赤いノイズが空間を走った。


「――不格好な勝利ね。見ていて吐き気がするわ」


「!?」


振り向いた先、ノイズの残骸の上に、赤い瞳をした一人の少女が立っていた。 名を、ミナ。 彼女の瞳には、カイのようなドジっ子の甘さは微塵もない。ただ純粋な、破壊と拒絶のノイズを帯びていた。


「不愉快なバグだわ。……いずれ、その不完全なコードごと消去してあげる」


言い残すと同時に、ミナの姿は赤い閃光と共に掻き消えた。


「……リ、リア。今の、何? 私のファン……じゃなさそうよね?」


「……カイ。君にライバルができるなんて、演算外のトラブルね。でも安心しなさい。君の今の不格好なポーズ、しっかり録画してあるから」


「そんなの消してよぉ!!」

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