第3話 白熱と眼差し

 アルバムをめくっていくと最後のページに来た。佳祐が一輝の隣で写真を指さして、「この写真は専門の先生にもわざわざ褒められたんだ」と言った。

「こっちも全日本に出す写真に入れたら、金賞取れたかもって」

ならば何故入れなかったのかと、一輝は言えなかった。それが自分の写真だったからだ。写真の中の自分が、苦しいような目でこちらを見返してくる。




 あの後、浜辺から離れて、近くの海浜公園で撮影をした。その途中に美波が「暑いし、飲み物を買ってくるね」とその場を外した。疲れてきた一輝が木陰に入って木に背中を預けると、すかさず佳祐が一眼レフを向けた。

「おれのことは別に撮らなくていいだろ、美波が主役なんだから」

と、一輝はため息を付いた。

 佳祐は「一輝を撮りたいって言っただろ」とはっきりと返した。そして、手の甲で自分の額の汗を拭った。シャツの襟元をパタパタと仰がせ、「にしても暑いな」と言った。

 一輝はぼんやりと佳祐の鎖骨あたりを眺めていたが、彼がこちらを見たので、我に返って視線を逸らした。

 一輝の視線に気づいていたのかいなかったのか、分からないが佳祐が近づいてきた。


「一輝。お前の首んところも、見てて暑い」

そう言って、一輝の首元に手を伸ばして、すでに一つだけ開けていた襟のボタンを、さらにもう一つ外した。

 佳祐の指が一輝の鎖骨のあたりに触れた。


 一輝は思わず身を固くした。


 佳祐は目を細めて笑い、一輝の襟を崩すように手を動かしつつ、わざと手の甲で首筋に触れた。そのまま猫にするように何度か、首のあたりを撫でる。しばし一輝の息が止まった。佳祐の節っぽい手の甲の感覚以外は、暑さも、鳴り響く蝉の声も、何も感じなくなる。


「……やめろよ、くすぐったいだろ」


どうにか、声を絞り出した。


 てっきりいつものように、冗談だ、と笑うかと思ったら、佳祐はそのまま真剣な目をして、一輝の手を引いた。



 暑い夏の日、田舎にある公園だというのもあって、二人の他には誰もいなかった。彼らは日差しを受けて、白光りするような遊具の間を歩いてった。


 佳祐は公園の隅にあるグローブ・ジャングルの前に一輝を立たせた。


「向こうから撮るから、こっちを見ていて」

そう言って、球体の反対側に回って、カメラを構えた。

 一輝はカメラ越しに見られているという羞恥心と、体の奥で何かが燻っているような、ぞくぞくした感覚に戸惑って、俯いていた。


「一輝、おれを見て」

 格子の向こうで一眼レフカメラを構えた佳祐が言った。腰につけた撮影カバンからカメラ用のフィルターを出して、レンズの前にかざす。それを手元を見ないでやってのける。

 カメラに隠れて佳祐の目は見えないが、真剣な声からして、本気で何かを撮ろうという気持ちが伝わってくる。佳祐が前に踏み出して、格子の中にレンズが入る。日に当たって熱せられたグローブ・ジャングルの鉄の格子に体が触れて、熱いだろうに、それにも構わず何度かシャッターを切る。


「一輝、おれの名前を呼んでみて」

「佳祐……もういいだろ」

「あと少し……もう一回」


 恥ずかしさに耐え切れなくなりそうな一輝だったが、佳祐の焦れたような切ない声に、なんとか応えなければならないと思った。


「佳祐……」

一輝も少しだけ前に踏み出して、格子を掴んだ。思った通りに熱い。照りつける日差しも、カメラの向こうから感じる焦れたような視線も、すべてが熱い。蜃気楼みたいに溶けてしまいそうな意識の中、一輝は鉄の格子から手を離して、佳祐に手を伸ばして……そして、触れたいと思った。


 佳祐がシャッターを切る音だけが、辛うじて現実に繋ぎ止めていた。


「……よし!」


 永遠とも思える時間の後、やっと佳祐がカメラを下ろした。一気に気が抜けて、一輝は軽くめまいを感じた。


 けれども、「いい感じに撮れたと思う。ありがとうな」と、佳祐が屈託なく笑うので、ようやく安堵のため息を付いた。


 そのあと美波が買ってきてくれたスポーツドリンクのペットボトルを持ちながら、一輝が無意識に掌を冷やすようにしていると、彼女に理由を問われた。「写真を撮った時に、日差しで熱くなっている遊具を触らせてしまった」と佳祐が白状して、美波が呆れて佳祐を軽く叱った。そして同じように一輝を見て、困ったような笑い顔で、「全く、一輝もよく付き合うよね」と肩をすくめた。




 出来上がった写真は、フィルターの効果もあってギラつく白光が抑えられ、柔らかい印象に仕上がっていた。背景に映り込んだ遠くの青空や、近景の公園は、蜃気楼に霞んでいるかのようにぼやけつつも、焦点は強く一輝の視線を捉えている。

 グローブ・ジャングルの格子を掴んで、その鉄軸越しに、カメラを見返す一輝の表情は、明るい空とは対象的に不安げに切ない。



 今その写真を見ると、なんでこんなに真剣だったのか、と照れくさくなった。早くアルバムを閉じてしまいたかったが、佳祐は作品の出来に満足気に眺めているから、そうもいかなかった。

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