クロノヒョウ

第1話




 冷蔵庫を開けた時、一パック十個入りの卵のパックが目に止まった。

 スーパーで割り引きしていた卵。

 お一人様一パックまでと書かれていたから、彼に付き合ってもらって二パック購入した。

 朝食で食べるハムエッグ、彼が卵二個で私が一個。

 お弁当用に作る玉子焼きは卵三個分。

 一日に六個使えば卵はあっという間になくなってしまう。

 だけど今目の前にある卵はもう一週間手をつけていない。

 賞味期限ぎりぎりの卵を取り出しテーブルの上に置いた。

 ――ねぇ、卵料理だったら何が一番好き?

 ――うわぁ、難しい質問だな。目玉焼きも好きだけど、あ、俺は友香の作ったオムライスが一番好きかな。

 ――本当に? じゃあ今日はオムライスにしようかな。

 そんな彼との会話を思い出していた。

「友香? どうかした?」

 リビングに座っている彼に声をかけられた。

「ううん、別に……」

 一緒に暮らし始めて一年足らず。

 学生の頃に出会い付き合って、就職を機に一緒に住むことにした。

 私が張り切り過ぎたのかもしれない。

 社会人になるのも初めてだったし人と一緒に住むのも初めてだった。

 だから彼のために張り切って朝ご飯とお弁当を作ることにした。

 夕食はお互いの時間が合わないし付き合いもあるかもしれないから自由にしようと決めたはずなのに、気がつけばほとんど私が作っていた。

 料理が好きなわけでもない。

 最初は彼のために何かできるということが嬉しかったし楽しかった。

 なのにいつからか、私の中でそれが苦痛となっていた。

 付き合っている時は気づかなかった彼の生活リズム。

 私は全て彼に合わせようとしすぎたのかもしれない。

 就職して自分も自分のことで精一杯だったのに、生活リズムを彼に合わせたのが間違いだった。

「まだきつかったら無理しないでいいよ。俺は外で食べるし」

 彼が黙って立ったままの私にそう言った。

 一週間前、風邪をこじらせて寝込んでしまった。

 会社も休んで家のことも何もできずにひたすら寝た。

 今やっと熱も下がって元気になったのだけど、私の中の彼に対する熱も冷めてしまったようだった。

 そもそもだ。

 私は朝ご飯は食べない派だ。

 だけど彼に合わせて一緒に食べるようにした。

 目玉焼きは堅焼き派だ。

 だけど彼が堅焼きはおいしくないだろと言ったから我慢して半熟を食べるようにした。

 玉子焼きだってそうだ。

 私は甘い玉子焼きが好きなのに、彼が甘い玉子焼きなんてありえないと言ったから我慢して甘くないものを作っている。

 オムライスはそんなに好きじゃない。

 私は白米が大好きで、味のついたご飯は好きじゃない。

 卵を見ていると沸々と怒りがわいてきた。

「あのさ」

 ずっとずっと、言い出せずにいた積もりに積もった卵への不満。

 私は立ったまま、座っている彼に向かって言った。

「人と一緒に住むのって大変だよね」

 何を言い出したのかと不思議そうな表情で私を見た彼。

「ああ、そう、かもな。でも俺たちはぜんぜん大丈夫だろ? めちゃくちゃ気が合うしな」

 ――ピシッ

 私の脳裏に亀裂が入った。

「はぁ!? ぜんぜん大丈夫じゃない! 私が全部合わせてるの! そんなことも気づかなかった?」

「ちょっと、友香? どうした?」

 慌てて立ちあがる彼。

 この時すでに私の心は決まっていた。

 彼とは別れよう。

 そう思うと次から次に卵に関する文句が口から溢れていた。

「……もうこれ以上は無理。あなたとは何もかも合わないしこれから先も合わせる気はない!」

 全てを吐き出した時、私の脳裏にあった大きな卵の殻が破れた気がして気持ちよかった。



             完




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