人生最後の一文自動生成装置

妙原奇天/KITEN Myohara

第1話

 最後の一文自動生成装置、という名前はあまりにも正直すぎると、私は思っていた。


 正式名称はもっと長く、官僚的で、分かりにくい。人生終端記述最適化装置、だったか。だが、誰もそんな名前では呼ばない。研究者も、役人も、マスコミも、そして私自身も、全員が「最後の一文」と呼んでいた。


 その装置は、人の人生の結末を一文で表現する。


 死因でも、死亡日時でもない。

 評価でも、総括でもない。


 その人の人生が、どんな言葉で終わるか。

 ただ、それだけを表示する。


 なぜそんなものを作ったのか、私にはよく分からない。開発の理由はいくつも用意されていた。終末医療への活用、心理研究、物語生成AIの実証実験。どれもそれらしく聞こえるが、本音はたぶんもっと単純だ。


 人は、自分の人生のオチを知りたがる。


 私は、その装置の管理担当だった。正確には、管理を請け負う下請け会社の、さらに末端の技術者だ。天才でも研究者でもない。ただ、異常が出たときにログを確認し、必要なら再起動をかける。それだけの仕事だった。


 最後の一文は、厳重に管理されている。本人はもちろん、家族ですら閲覧できない。閲覧できるのは、ごく一部の管理者と、私のような裏方だけだ。


 だからこそ、私は油断していた。


 ある夜、誰もいない管理室で、私は自分の名前を入力した。


 ほんの出来心だった。

 悪意はなかった。

 好奇心と、退屈と、少しの自暴自棄が混ざっただけだ。


 画面が数秒、沈黙する。

 演算中の表示。

 そして、一文が現れた。


「彼は、最も信じていた人物に裏切られ、その事実を理解した瞬間に人生を終えた」


 私は、しばらくそれを読めなかった。


 裏切られる。

 それ自体は、珍しくない。人生にはよくある。恋人、友人、会社、家族。誰にだって起こりうる。


 だが、問題はそこではなかった。


 最も信じていた人物。


 その言葉が、胸の奥に沈んだ。


 私には、思い当たる人物が一人しかいなかった。大学時代からの友人で、今も週に一度は飲みに行く男だ。彼は裏切らない。断言できる。少なくとも、これまでの人生で、彼ほど私を裏切らなかった人間はいない。


 次に浮かんだのは、妻だった。だが、彼女は裏切るような性格ではない。少なくとも、私が知る限りでは。


 私は画面を閉じた。心臓の音がうるさかった。これは予言ではない。ただの文章生成だ。確率論と統計と膨大な人生データが吐き出した、一つの可能性にすぎない。


 そう自分に言い聞かせた。


 だが、数日後から、世界が変わり始めた。


 友人の何気ない沈黙が気になった。

 妻の視線の角度が、少しだけ疑わしく見えた。

 誰かが笑うたびに、「これは嘘ではないか」と考えるようになった。


 私は裏切りを探し始めていた。


 探すと、見つかる。人間関係というものは、そういうものだ。完璧な誠実さなど存在しない。小さな隠し事、言い淀み、都合のいい沈黙。それらすべてが、裏切りの兆候に見えてくる。


 私は疑い、距離を取り、確かめようとした。


 その態度が、少しずつ周囲を変えていった。


 友人は、私に何も話さなくなった。

 妻は、私の顔色をうかがうようになった。

 私は孤立し始めた。


 ある夜、妻が言った。


「ねえ、最近、どうしたの?」


 私は答えられなかった。本当の理由を言えば、狂人扱いされるだろう。「最後の一文が、こう言っていたから」など、笑い話にもならない。


 その数週間後、妻は家を出た。


 理由は簡単だった。私が信じなくなったからだ。疑われ続ける生活に、耐えられなくなったのだという。


 そのとき、私は少し安心してしまった。


 違う。

 妻ではなかった。


 最も信じていた人物は、まだ残っている。


 友人だった。


 私は彼に会いに行った。直接、確かめるためだ。裏切るつもりなのか、と。そんなことを聞く自分が、どれほど滑稽かは分かっていた。


 彼は、困った顔で笑った。


「お前さ、変だよ。最近」


 その瞬間、私は気づいた。


 裏切りは、未来の出来事ではない。

 もう起きていたのだ。


 私が彼を信じなくなった瞬間。

 それが、彼にとっての裏切りだった。


 信じていた相手に、理由もなく疑われる。

 それは、裏切られることと同じだ。


 最後の一文は、私の行動によって完成していた。


 彼は静かに言った。


「もう、昔みたいには無理だと思う」


 その言葉を聞いた瞬間、私は理解した。


 これが、最後の一文だ。


 死ぬことよりも、終わることのほうが先に来る人生がある。

 肉体が終わる前に、関係が終わり、信頼が終わり、物語が終わる。


 人生は、まだ続いていた。

 だが、結末は、すでに書かれていた。


 最後の一文自動生成装置は、未来を予言する機械ではなかった。


 人間が、自分でオチを作ることを、冷静に文章化するだけの装置だったのだ。


 私は管理室に戻り、装置の電源を落とした。

 誰かの人生の結末を、これ以上見たくなかった。


 だが、装置はきっとまた稼働するだろう。

 人は、自分のオチを知りたがる生き物だから。


 そして、そのオチは、知った瞬間から、避けられなくなる。


 それが、人生という物語の、最大の皮肉なのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

人生最後の一文自動生成装置 妙原奇天/KITEN Myohara @okitashizuka_

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画