八翳綺譚(やつかげきたん)

ゴン・ステラー

 卓の中央に置かれた香炉こうろから、細い煙がくゆる。

 

 窓のないその部屋は、しんとした静寂を湛えつつ、どこか清廉せいれんな空気を宿していた。

 細く上っていく煙はたおやかな香りを乗せて、いつしか見えなくなる。

 

 蘇芳すおうはその軌跡きせきをしばらく目で追っていたが、すっと音もなく立ち上がった。

 手を伸ばし、おもむろに香炉のふたをとる。

 

 その瞬間、煙とは違う、小さな灯火のようなものが、無数に浮かび上がった。

 窮屈な部屋から解き放たれたかのように、天井に至るものもあれば、空中で制止するものもある。

 淡い黄色に光るものが、暗い部屋の中をゆらゆらと照らし出す。

 まるで、闇夜に浮かぶ黄水晶きずいしょうのかけらのように……。


「……あと、ひとつか……」


 蘇芳はゆっくりと上を振り仰ぎながら、静かに呟いた。

 そこには、安堵とも焦燥しょうそうともつかない響きが混じっていた。

 

 その声に、背後で息を潜めていた大きな獣が、ピクリと耳を動かした。

 琥珀色こはくいろの大きな2つの瞳が、無数の輝きを映してきらめいている。

 

 そう時を置かずに、蘇芳は右の袖をさっとはらった。

 合図を得たように、無数の光は香炉をめざして戻っていく。

 最後のひとかけらが戻ると、蘇芳はそっと香炉の蓋をかぶせた。

 

 深緋しんぴに輝いていた瞳が、漆黒しっこくの闇色に戻ったのも、同時だった。

 光を失った部屋はまたもとの静けさを取り戻し、微かな残り香だけが、その余韻を残していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る