異世界魔王ちゃん奮闘記 ~サキュバス少女にTS転生したら、魔界を滅茶苦茶にしたお姉さんに溺愛されてて死ねる~

パッタリ

第1話 ​バブみを感じる暇もない

 あ、死んだ。

 そう思った時にはもう遅かった。

​ 横断歩道に突っ込んできた車。スローモーションになる視界。

 典型的な事故死だ。あまりにもテンプレすぎて、走馬灯の中で「異世界転生かよ」とセルフツッコミを入れた記憶がある。

​ そして、俺の意識はプツンと途切れた。

​ ……はずだった。


 ​「ん……ぅ……?」


​ 意識が浮上する。

 全身を包み込むような温かさと、鼻腔をくすぐる甘い香り。

 なんだこれ。天国か? 俺、そんな善行積んだっけ?

 いや、それにしては……。


 ​「む、ぐ……っ!?」


​ 苦しい。物理的に息ができない。

 視界は真っ白……いや、誰かの肌だ。圧倒的な質量を誇る何かが、俺の顔面をプレスしている。

 柔らかい。弾力がある。でも窒息する!


 ​「っぷはぁっ!!」


​ 生存本能に従い、俺は全力でその“壁”を押しのけて顔を出した。

 新鮮な空気を吸い込み、ゼェハァと肩で息をする。


 ​「あらあら、元気な子」


​ 頭上から降ってきたのは、とろけるような甘い声だった。

 恐る恐る顔を上げる。

​ そこにいたのは、絶世の美女だった。

 艶やかで長い黒髪、妖しくきらめく青い瞳、白磁のような肌、そして俺を窒息させかけた暴力的なまでの肢体。

 背中からはコウモリのような黒い翼が生え、ねじれた角が頭にあり、腰にはしなやかな尻尾が。

 どう見ても人間じゃない。

 おそらくは魔族ってやつだ。それも、かなり高位の。


 ​「おめでとう! そして初めまして、私の可愛い妹ちゃん!」


​ 美女は満面の笑みで、俺──いや、俺の体を再びぎゅっと抱きしめた。


 ​「……は? 妹?」


​ 自分の声を聞いて驚いた。

 鈴を転がすような、高い少女の声。

 慌てて自分の体を見下ろす。

 華奢な手足、膨らみかけの胸、背中には小さな翼の感覚。あと尻尾。

 そして、股間にあるはずのモノがない。

​ TS転生したのだ。それもサキュバスに。

 状況を理解するのに、前世の知識が役に立った。

 いや、役に立ってほしくなかったけど。


 ​「そうよぉ。今日この時、この瞬間に、あなたは産まれたの。お誕生日おめでとう!」


​ 美女──お姉さんは、俺の頬にすりすりと自分の頬を押し付けてくる。

 近い。甘い匂いがする。そして目が怖い。愛が重い。


 ​「ちょ、ちょっと待ってくれ! 産まれたって……俺、赤ん坊じゃないぞ!?」

 「ええ、そうね。一から育てるのは大変だし、私の魔力をたっぷり注いで、ある程度の形にしてから産み出したのよ」


​ お姉さんは事も無げに言った。

 どうやら俺は、彼女による魔術的な創造物(ホムンクルス的なもの?)らしい。


 ​「数十年……長かったわぁ。あなたという器を作り、そこに相応しい魂が定着するのを待ち、私の魔力をこれでもかと注ぎ込み……ふふ、最高傑作よ」


​ うっとりとした表情で俺を撫で回すお姉さん。

 数十年!? この人、俺を作るためだけにそんな時間を費やしたのか。具体的な数字は気になるけど、執念が凄い。

 ていうか、なんか手つきがエロいからやめてほしい。


 ​「……わかった。状況はなんとなく理解した」


 ​俺は深呼吸をして、努めて冷静に切り出した。

 創造主である彼女には感謝すべきだろう。第二の生をくれたわけだし。


 ​「つまり、あなたが俺の母親ってことだな? お母さ──」

 「お姉ちゃん」


​ 食い気味に訂正された。

 しかも、今まで見たこともないような真顔で。


 ​「……はい?」

 「お姉ちゃんと呼びなさい。ママやお母さんは禁止よ」

 「いや、でも作ったのあなたですよね? 実質、親ですよね?」


​ どう考えても親子関係だ。創造主と被造物。親と子。

 しかし、お姉さんは人差し指をチッチッと振り、妖艶な笑みを浮かべた。


 ​「あのね、可愛い妹ちゃん。サキュバスっていうのは、愛と欲望を糧にする種族なの」

 「はぁ、まあ一般的にはそうですね」

 「親子で“そういうこと”をするのは、背徳感はあるけれど倫理的にちょっとアレでしょう? 流石の私も引くわ」


​ おお。意外と常識人だった。

 そうだよね、近親相姦はよくない。


 ​「でもね──」


​ お姉さんは俺の耳元に唇を寄せ、ねっとりとささやいた。


 ​「姉妹なら、セーフだと思わない?」

 ​「…………は?」


 今、なんて?


 ​「姉妹百合。それは禁断の果実でありながら、どこか許された聖域……。親子ほどの罪悪感はなく、それでいて背徳の蜜はたっぷりと味わえる。だからあなたは私の娘じゃなくて、妹なの。わかった?」


​ 効果音がつきそうなほどニコニコとした笑顔。

 こいつ、自分の性癖のために俺の設定を弄りやがった!


 ​「いや、それはそれで大丈夫じゃないだろ!!!」


​ 俺の渾身のツッコミが、豪勢な広間に虚しく響き渡った。


 ​「ふふっ、元気でよろしい。さあ、これからたっぷり可愛がってあげるわね、私だけの妹ちゃん……♡」


​ 再び押し寄せる豊満な胸の波。

 く、苦しい……。

 薄れゆく意識の中で、俺は確信した。

​ 前世より、今の方がいろいろと危機に満ちてるかもしれない、と。


 ◇◇◇


 窒息死の危機(二回目)をなんとか脱した俺は、ゼェハァと荒い息を吐きながら、改めて目の前の“お姉ちゃん”に向き直った。

 美女だ。傾国の美女だ。

 だが、その笑顔の裏に隠された何かを感じ取ってしまい、背筋がぞわっとする。


 ​「さて、可愛い妹ちゃん。感動の対面も済んだことだし、これからの進路について話し合いましょうか」

 「進路……?」

 「ええ。あなたには二つの道を用意してあるの」


​ お姉さんは指を二本立て、楽しそうに言った。


 ​「一つ目は、乱世を平定し、魔界と呼ばれるこの大陸の頂点に君臨する『魔王ルート』」

 「……スケールがでかいな。で、もう一つは?」

 「私の部屋で首輪に繋がれ、一生可愛がられるだけの『愛玩動物ルート』よ」

 ​「その二択おかしいだろ!?」


​ 俺は食い気味にツッコミを入れた。

 なんだその両極端な選択肢は! 中間はないのか中間は!

 平穏な一般市民ルートとかさぁ!


 ​「あら、不満? 愛玩動物ルートもおすすめよ? 三食昼寝付き、おやつは口移し、散歩は一日二回。トイレの躾も私が手取り足取り……」

 「やめろ! 細かい部分を語るな! 尊厳が死ぬ!」


​ 俺が頭を抱えていると、お姉さんは「仕方ないわねぇ」と言いつつ肩をすくめた。


 ​「それでね、魔王の席は今、空席なのよ。あなたが座るのが一番丸く収まるの」

 「空席? 前の魔王はどうしたんだよ」

 「ああ、先代ね……」


​ お姉さんは遠くを見る目をした。

 どこか懐かしむような、それでいてゴミを見るような感じで。


 ​「あの人、ちょっと好戦的すぎて暑苦しかったのよね。だから、人間とかが暮らしてる別の大陸に攻め込むタイミングで、勇者一行にこっそり弱点とか城の抜け道を教えてあげたの。そしたらボコボコにされて消滅しちゃった」

 「お前が犯人かよ!!!」


​ 戦慄した。

 恐らくは幹部クラスであろうこの女の裏切りによって、先代魔王は滅ぼされたらしい。

 勇者の力に、身内から情報の横流し。そりゃ勝てるわけがない。


 ​「おかげであちこちで統制を失って、群雄割拠の戦国時代。各地で小物が、我こそは魔王って名乗りを上げてる状態でねぇ。うるさいし邪魔だから、そろそろ掃除しようと思って」

 「……掃除?」

 「そう。圧倒的な力を持つ正統なる新魔王が現れて、雑魚どもを黙らせる。そのための器として、あなたを作ったのよ」


​ お姉さんは慈愛に満ちた表情で、とんでもないことを言った。


 ​「ま、待て。つまり俺は……傀儡?」

 「そうとも言うわね。私の理想通りに育つ、最強で可愛い妹よ♡」


​ 詰んだ。

 完全に詰んだ。

 この人、自分が裏で糸を引くために、俺という存在を一からDIYしやがった。

 しかも愛情という名の鎖でがんじがらめにする気満々だ。


 ​「……逃げるんだよぉぉぉッ!」


​ 俺は脱兎のごとく駆け出した。

 生まれたての体だが、サキュバスの身体能力は高いのか、人間の時よりも動ける。

 床を蹴って、このまま出口らしき扉へ……。


​ ドフッ。


 ​「ごふっ!?」


​ 扉に手を掛ける直前、視界が暗転した。

 背後から回り込まれたのだ。

 圧倒的な速さ。そして、再び俺を包み込む豊満なクッション。


 ​「あはは、鬼ごっこ? 元気があっていいわねぇ」


​ 逃げようとした俺の体は、お姉さんの腕の中に完全にロックされていた。

 ドラゴンの顎よりも強靭かもしれない抱擁。

 耳元に、熱い吐息がかかる。


 ​「でも、無駄よ。あなたは私の最高傑作なんだから」


​ ぞくり、と腰のあたりが痺れるような感覚。

 逆らえない。生物としての格が違いすぎる。


 ​「さあ、選んでちょうだい?」


​ お姉さんは、とろけるような甘い声で、地獄の二択を突きつけた。


 ​「魔界の王となって私に尽くすか。それとも、ペットになって私に尽くされるか」


 ……どっちを選んでも、この人から逃げられないことだけは確定している。

 誰か助けてくれ。

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