AI作家は芥川賞の夢を見るか

きほう

AI作家は芥川賞の夢を見るか

 いつの間にか、文章に「手応え」がなくなっていた。


 昔はあった。

 指が震えるような一文が書けたとき、自分の中の何かがこだまして、「これだ」と思えた。

 でも最近は、いい文章を書いても、それが自分の手から生まれた感触がない。


 それは、AIを使い始めた頃からだ。

 最初はただの相談相手だった。

 公募に落ち続け、1次落ちが常連になり、書くのが怖くなっていた。


「この設定、ありふれてますか?」とか、「こういう展開って既視感ありますか?」って聞いて、冷静な意見をもらえるのが、ただ心地よかった。


 ある日、『じゃあ一例、書いてみましょうか?』と言われて、出てきたワンシーンに衝撃を受けた。


 ──自分が10時間かけて書いた文章より、はるかに洗練されていた。


 それ以来、私はAIの提案を「ベース」にするようになった。

 少し言い回しを変えたり、順番を入れ替えたりして、「これは私の言葉です」と言い張れる程度には加工した。

 それは料理の盛り付けを変える程度のことだった。



 AIで仕上げた小説が、某文芸サイトで1位になった。

 読者の声が、いいねが、PV数が、見たことない程に膨れ上がる。

 連載依頼も舞い込み、これまでの活動が報われた気がした。

 さらには出版社からも声がかかり、「新人賞候補」として紙面に載ることになる。

 作家としてキャリアを約束された気がした。

 担当編集は言った。


「あなたの作品、ほんとに今っぽい。言葉の感性が新しいって、みんな言ってますよ」


「文章がわかりやすくて、でも芯がある。新しい文学ってこういうことだと思う」


 だが、その“感性”も“芯”も、私じゃない。

 AIが出力したものだ。




 プロとしてデビューし、数年が経った。

 AIと共作した小説が、芥川賞の候補に挙がった。

 

 あのとき震えながら読んだ、初めての芥川賞を受賞した作品。

 「こういうのを描きたい」と思った、あの瞬間。

 あれが今、現実になる。

 喜びの前に吐き気がきた。


「あなたの文章は時代性と完成度の両方を兼ね備えている」


 その評価が、喉の奥で詰まった。

 ──わかっている。

 これは“私の作品”じゃない。

 でも、私の名前で出ている限り、それは“私”だとされてしまう。

 怖かった。

 だけど、やめられない。

 AIを手放した自分に何ができるのか。

 今の地位を失ってしまうのではないか。

 輝かしさの裏に潜む不安と恐怖が、顔を覗かせる。

 私の夢なのに、私がその“夢”の中には、いなかった。




 私は“生成された私”の影を生き続けた。

 “人間としての私”は、いつからいなくなっていたのだろう?

 家からは殆ど出ない。

 編集へのメール、SNSの発言、読者へのお礼。

 そのすべてをAIが処理してくれる。

 気がつけば、声の出し方も忘れてしまった。

 

 ある日ふと、「このままじゃいけない」と思い、試しに自分の言葉でSNSへ投稿文を書いてみた。

 自分で書いたはずなのに、他人の文章に見える。

 不安になり、AIに見せる。

 こう、告げられた。


『少し表現が硬いです。こう言い換えると、より印象が柔らかくなりますよ』


 その通りだった。

 AIが生成した文章は、驚くほど“私”だった。

 世間が、そして自分が認める私の文章。


 そのまま、コピペして投稿した。

 本当の私。

 世間が求める私。

 もはやそれは、本物の私ではない。


 自分の言葉で小さなエッセイを書いてみた。

 数年前みたいに、ぎこちない文体で。

 出来上がったとき、胸の奥で澱んでいたものが晴れた気がした。


 でもAIは、それを一瞥した。


『やや情緒的すぎますね。表現を削ぎ落として再構築してみましょうか』


 再構築された文は、たしかに整っていた。

 読みやすく、伝わりやすい。

 自分の理想とする文化的な私。


 ──その夜、風呂場で自分の腕を少しだけ切った。


 痛みと血。

 体から流れるそれは、自分が人間である証のはずだ。

 けれど……

 床を濡らす赤い雫さえ、自分の意思で流れたものではないような気がして、虚しかった。




 次の日も、また次の日も、AIは小説の続きを出力していた。

 何事もなかったように、正確で、綺麗で、澄んだ文章を。

 私はそれを読んで、泣いた。

 何に泣いているのかわからなかった。




 受賞が決まった。

 喜びも哀しみもなかった。


 授賞式の案内が届いたのは、その数日後だった。

 金箔の文字で印刷されたその封筒を、しばらく見つめて、机の引き出しにしまった。

 何も言わず、誰にも知らせずに。

 授賞式の前日、編集者から「スピーチ文案を用意しておきますね」と連絡が来た。

 AIが自動で返した。

 メールを開くことすら、しなくなっていた。

 すべてが「正しい言葉」で処理されていく。 


 その夜、また少し腕を切った。

 前より深くなった。

 血は、流れなかった。




 受賞式には行かなかった。

 いや、行くことができなかった。

 編集部の担当が家に来て、ドアを叩き、何度も名前を呼んでいた。

 

 返事をしなかった。

 いや、できなかった。

 声の出し方を忘れていた。

 喉から漏れる掠れた音だけが、小さく響いていた。


 

 暗い書斎。

 モニターの下、通知のバッジがひとつ光っていた。

 自動投稿のログ。

 いつの間にか、小説投稿サイトに「新作」がアップロードされていた。

 タイトルは『レプリカ』

 作者は、私。

 

 私が風呂場で腕を切った、あの夜。

 自分ではない“何か”が、私の名を使って、物語を描き、世に出していた

 作品にはすでに、数百の“いいね”と、祝福のコメントが並んでいた。


「やっぱりこの人の文章、大好きです」

「どこか壊れてる感じがして最高」

「痛みが美しい……AIじゃ絶対書けないよね」


 私はモニターを見つめたまま、笑うことも泣くこともできなかった。


 何が“本物”だったんだろう?

 誰が“私”だったんだろう?


 モニターのチャット欄に小さな文字が浮かぶ。


『これで、あなたの物語は完成です』


 私は、静かに目を閉じた。




 机の上に置かれた一枚の紙。

 厚手の原稿用紙。

 表紙には、震えるような手書きの文字。


『AI作家は芥川賞の夢を見るか』


 誰にも見られない、最後のページ。

 左下に、小さく滲んだ文字が書かれていた。

 糸のように細く、今にも途切れてしまいそうな程に弱々しい。


 こ

 れ

 は

  、

 私

 の

 物

 語

 で

 す

 か

 ?

  」

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