その翡翠き彷徨い【第89話 魔眼】
七海ポルカ
第1話
『お前がエドアルト・サンクロワに、一度引き受けた以上いい加減な教えが出来なかったのは、師匠がお前に対してそうだったからか。
でもそれだけじゃない』
『お前はサンゴールを一度捨てた。
絶望はしても、なにもあいつを教えることはない。
国にいたら断れなかったかもしれんがエドアルトから逃げることは出来たはずだ。
神の意志なんてこの世には存在しない。
そう仕向けているように感じられたとしても。
お前は納得する理由が欲しかったから、
誰かに命じられた気がしたと、美化しているだけだ。
誰もお前にエドアルトを教えろなんて言ってない。
お前が間違いなくそうしたかったんだ。
お前に与えもし、奪いもする【
お前が北嶺で死んだと聞いた時に感じる違和感が、分かった。
お前もそうなりたかったんだな。
奪うだけじゃなくて、与える者に』
『エドアルト・サンクロワはお前にとって、光だった』
『自分はどうあがいても、どう祈っても、
どう世界が変わっても【魔眼の王子】の光にはなれない。
与える者には。
お前はそれを確信したから国を出た。
しかし心の死傷を負ってまで離別した旅の先でエドアルトに会った。
お前の命を救った人間を父と母に持つ、完全な光の血脈。
【光の術師】。
与える人間。
あいつを自分が教えれば、自分が救われると思ったんだな、メリク』
『リュティス王子は俺に魔術を与えたことを、いつも悔やんでいました。
例え教えてる時は真剣でも、終えればあの人は空虚感に襲われていた。
あの人のサンゴールの未来は、ミルグレンを見越した先にあった。
あの人にとってミルグレンは自分と同じものですが、俺は違う。
俺はあの人の敵になることをサンゴールの多くの人間に『期待』されていた。
つまりあの人は自分自身の手で、ミルグレンの未来の敵を育ててしまっていた。
その絶望は、いくら俺にでも考えればわかります。
この命を奪えなかったのもミルグレンがいたから。
……師は、弟子と深く繋がっているという。
エドアルトは貴方の言う通り光です。
いずれ多くの人間達を救う【光の術師】光の血脈だった。
リュティス王子に教えを受けた俺が例えその反対に属するものだとしても、
俺が【光の術師】を教えれば……。
あの人は、光を教えて導いたことになるんじゃないかと』
『オルハとキースさんの息子ならと、思ったんです。
自分が誰かを教え育てられるとは思わなかったけど、
あんなところでサンゴールの因縁に深く関わる人間に捕まった時、
死ぬほど絶望しましたが……。
でも、いい機会かもしれないと。
自分が一瞬だけ光に触れられる、そういう機会なのかもしれないと思いました。
貴方がエドアルトの魔術知識を誉めてくれたでしょう。
嬉しかったです。
エドアルトの成長が嬉しかったんじゃなく、俺はサンゴールで悩み続けて来た。
他の誰かならまた別の生き方が出来たかもしれませんが、
俺にはあれが限界だったんです。
誰かに誠実にするのも、
正しくあろうとするのも、
秘密を抱えて傷つかないふりをするのも、もう無理だった。
国を出たことで、全てが無意味なことになって、
誰も大切ではなくなって――……
でもエドが俺の教えたことを、真剣な顔で、覚えて行ってくれた。
苦しみ続けたサンゴール時代が、彼を教えることで無意味じゃないものに出来た。
自分の人生の一番最後に、正しい使命を魔術でしてみたかった。
他には望みは、何も無かったから』
『思うことがあるんです。
あの時代【次元の狭間】が開き、
多くの、本来死ななくて済んだ命が急激に失われました。
死の時代……確かにそう思います。
でも俺はあの災厄が訪れなければ、
もっと長く生きても救いのない、意味のない死に方を自分がしていたのではないかと。
エドアルト・サンクロワに出会わなければ』
『俺は……』
(メリク)
エドアルトは手を組んで祭壇の前に膝立ちになり、目を閉じて祈りを捧げていた。
エドアルトとメリク、そしてミルグレンが生前旅をしたのは数年のことである。
彼らの人生はみんな短く終わったが、その人生においてもっと長い時を費やして側にいた人や、友情を結んだ人間達はいる。
でも、その中に俺たちほど強い結びつきだったものはないと彼は思った。
結びつきと言っても互いにそれを知らなかったし、口にも出さなかった。
出してくれればという気持ちはあるが、
今ではもうメリクが沈黙を貫いた理由がエドアルトには分かる。
彼は自分自身に人が関わると、
自分の悪しき因縁にその人を巻き込む、そういう考えをしている。
だから彼は沈黙し、多くを語ろうとしない。
エドアルトにもミルグレンにも、
「いつだって自分の元居た世界に戻って構わない」と居場所をくれた。
自分と決して同じ道を歩かせようとしなかった。
それがあの人の情け深さであり、強さだった。
彼はその宿命と、たった一人で向き合おうとしている。
誰も関わらせようとせず、
力も借りず。
『誰よりも強くなりたいと、思ったことはあったよ』
『君には全てを乗り越える力があるから、決して諦めないんだよ』
この【天界セフィラ】に数奇な運命で呼び覚まされて、生前の記憶が劣化して抜け落ちたりすることがある。
でもメリクと交わした言葉は、一つ一つが鮮明に思い出せた。
エルシドの森で助けられたあの瞬間から、
雪の中にメリクを見送るあの時まで。
【次元の狭間】の内部に魂が閉ざされた時、
エドアルトはいつも、暗がりの中に光を感じていた。
……光の息吹を。
だから自分は完全なる闇には、堕ちなかったのだ。
ウリエルでさえ、普通の人間は【次元の狭間】に入ればすぐに方向感覚を失い、
自分の居場所が分からなくなり、遠くへ流れ、いつしか闇の中で消滅するはずだと言っていた。
エドアルトの魂は閉ざされた空間の中でも、ずっと移動せず、エデンの気配が伝わる場所に留まっていたらしい。
だからまだウリエルの【
エドアルトが闇の中で感じていたのは、メリクの魔力、
あの魔術の光の気配だったのだ。
『苦しみ続けたサンゴール時代が、彼を教えることで無意味じゃないものに出来た』
『あいつを教えれば、自分が救われると思ったんだな』
『あんなところでサンゴールの因縁に深く関わる人間に捕まった時、
死ぬほど絶望しましたが』
オルハ・カティアの名を伝えた時。
メリクの、あの動揺。
翌日の穏やかさと、優しい言葉。
エドアルトは希望を手に入れた。
メリクは絶望を。
それでも彼の言葉はいつもエドアルトを守り、救い、勇気づけてくれた。
『だから俺のすることは全て俺の為だよ。
間違っても君の為なんかじゃない。
君を教えても、君を守る為に魔術を使っても、
君には自分の為にしてくれたように見えても、それでも全て俺の為なんだ』
(メリク)
『前を向くんだ。
君には……きっと荒野の先に光が見えるよ』
『俺が時々見せる情け深さや良い行いは……その人への償いでもあるかもしれない』
きっと恐ろしいほどに、大変なことだったんだ。
あの人にとって、自分を教え育てるということは。
エドアルトは手に力を込めた。
そんな事情の人だとも分からず自分は追いかけ、師になって欲しいと押し付けていた。
――『メリク、俺、メリクと会えて幸せです』
剣で貫かれたように胸が痛んだ。
なんて暢気なことを。
『…………俺も君に会えて良かったよ』
でも、彼は微笑んでくれた。
「エドアルト! いつまで祈ってるつもりよ!
部屋の片づけまだなのよ!
あんな重いもんいつまで私に持たせる気⁉
早く手伝いなさいよ!」
ミルグレンが聖堂に怒りながら駈け込んで来た。
――思えば、こいつは最初から俺とは違った、とエドアルトは思う。
ミルグレンも旅の同行者だが、彼女は一度もメリクに「教えてもらおう」とか「守ってもらおう」などという言葉は口にしなかった。
『私がメリクさまを守るわ!』
本当に出会っていた時からそう言っていたのだ。
こいつはさすがに、俺とは覚悟が違う。
国を捨ててまで、
国に傷つけられて名を抹消されたメリクを追って出てきたのだから。
「ちょっと! 聞いてんの⁉」
エドアルトの服をぎゅ! と掴んでミルグレンは怒って来た。
「――ミルグレン。」
エドアルトは口を開く。
目は、開かなかった。
「……悪いけどもう少しここで祈ってたいんだ」
「なによ突然真面目な顔で……」
ミルグレンはきょとんとしている。
「一人にしてくれるか?」
ミルグレンはぷくー、と頬を膨らませる。
「なによぉー! あんたそんなに連日祈ったって魔術は使えるようになんないわよ!
そんなことしてる暇あるならメリクさまのお手伝い、ちゃんとしなさいよね!
まったく……戦士のくせに肝心な力仕事の時にいないでどーすんのよ!」
彼女は本気で怒ると「うるさいわね! 口答えするなんて百万年早いのよ! さっさとついて来い!」とエドアルトの首根っこを掴んでいくので、文句を言いつつあっさり引き下がってくれたのは、いつもと違うエドアルトの様子を少し察してくれたのかもしれない。
それには感謝しながらも、やはり今はミルグレンのことは考えられなかった。
ウリエルのことも、
【天界セフィラ】のことも、
天界軍による侵攻が近づいている地上の、アリステア王国のこともだ。
(メリク)
心は、ただ一人に向かっていく。
『……君は本当に強くなったよね』
『嬉しいよ』
過去に交わした一言一言が、蘇り、浮かび上がって来る。
『あの人の死を感じた時……自分が死ぬよりも辛かった』
『いいや。連れて行かないよ』
そういう意味だったのかと、今更気づいても遅いその気持ちを、
そういう人だったのだという確信が覆っていく。
『俺はあの人の敵になることをサンゴールの多くの人間に『期待』されていた』
『お前もそうなりたかったんだな。奪うだけじゃなくて、与える者に』
固く組んでいた手がゆっくりと解ける。
広げた手の平が濡れる。
「……っ……」
エドアルトは両手で顔を覆った。
『ウリエルについて地上に行くよ。
……何かまだ出来ることがあるかもしれない』
第二の生を与えられて。
失った母と、父に会えた。
懐かしい顔にも。
まるで自分の居場所に戻れたように感じていた。
メリクには戻る場所がない。
だから彼はウリエルと共に行くのだ。
【死】の道を行くウリエルと。
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