第5話「名を持つ影」

次の接触は、夜だった。

外縁部の防壁に沿って、霧が流れる。

都市の光が屈折し、距離感が狂う時間帯。

「警戒を強めろ」

通信が短く入る。

俺は防壁の内側、

補助観測担当として配置されていた。

本来、前線に立つ役目じゃない。

だが人手が足りていない。

――それだけ、押されている。

最初に異変を感じたのは、

レプリカだった。

《環境ノイズ補正:自動》

表示が勝手に切り替わる。

「……?」

俺は触れていない。

それでも、視界の輪郭がくっきりしていく。

霧の向こう。何かが、いる。

「前方、注意――」

言い終わる前に、影が防壁の上に立っていた。

黒い羽。

だが、これまで見たカラス兵とは違う。

動かない。威嚇もしない。

ただ、こちらを見下ろしている。

「……一体?」

誰かが呟く。

次の瞬間、影が消えた。

否、見失った。

「後ろだ!」

遅い。

防壁の内側に、すでに降りている。

一切の無駄がない動き。

一人、また一人。

攻撃というより、“排除”。

俺は、体が動かなかった。

怖さではない。

――知っている。

あの距離感。あの間。

さっきの戦闘とは、質が違う。

「止まれ」

声が、聞こえた。低く、はっきりした声。

カラスの言語。

俺の前に、黒い影が立つ。

近い。息遣いが、分かる。

「……鷺の兵」

仮面の奥、視線が刺さる。

「お前だな」

なぜ、分かる。

「昨日の戦場」

「今日の防壁」

「どちらでも、

 お前だけが“生き延びる動き”をしている」

レプリカが、強く脈打った。

警告が出ない。

代わりに、意味不明な数値が走る。

《同調率:上昇》

「……何だ、それは」

カラス兵が、俺の腕を見る。

「遺物か?」

「……レプリカだ」

そう答えると、

影は、ほんの一瞬だけ動きを止めた。

「ほう」

興味。明確な、興味。

「人間の遺物を、模した玩具か」

侮蔑ではない。評価でもない。事実確認。

「だが――」

一歩、近づく。俺は、動けない。

「その“反応”は、

 玩具のものじゃない」

次の瞬間、砲撃が防壁を揺らした。

鷺側の援護。

「撤退だ!」

通信が飛ぶ。

黒い影は、俺から視線を外さない。

「名を、覚えておけ」

そう言って、背を向ける。

「俺はクルウ」

次の瞬間、空へ跳んだ。

闇に溶けるように、消える。

戦闘は、クルウの撤退と同時に終わった。

被害は大きい。

だが、完全な崩壊は免れた。

「……今の、何だ」

隊員たちがざわつく。

「ただの兵じゃない」

「指揮官か?」

俺は、答えられなかった。

手首を見る。

レプリカは、まだ微かに震えている。

《安定稼働》

その表示が、初めて信用できなくなった。

その夜、俺は夢を見た。

白い研究区画。揺れる光。セツナの声。

「兄さん……」

振り向く。だが、姿は見えない。

代わりに、腕に光るブレスレット。

本物と、よく似た形。

目が覚めた時、レプリカは淡く、通常より強く光っていた。記録は、残っていない。

俺は、ようやく理解し始めていた。

カラスは、力だけの存在じゃない

彼らは「個」を見る

そして今、"俺は、見られた"

狙われたのは、鷺の兵としての俺じゃない。

この腕にあるもの。

そして――

それに反応している、俺自身だ。

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