従者

「……くん? ……鷲尾くん?」

「……っ!」


 柴咲の呼び掛けで、俺は現実世界に引き戻された。


(いかんいかん。柴咲の横顔をガン見してた)


 ブンブンと頭を振ると、俺は頭を掻いた。


「どこか具合でも?」

「あ、いや。ちょっとボーッとしてただけだよ」

「そうですか? なら、いいのですが」


 何とか誤魔化せたか。だが、柴咲のこの反応。俺があの時の少年だとは気付いて無いようだ。まあ、名字も変わっているしわからなくても当然かもしれない。問題は、このことを彼女に伝えるかどうかだ。


(子供の時とはいえ、俺みたいなのにプロポーズなんて、彼女にとっては黒歴史かもしれん)


 そこでふと、俺は思い返してみた。


(そういや俺、あの時なんて返事したんだっけ……)


 あの後すぐ、母親の都合が着いた為に俺も祖父母の家から小さな団地に引っ越した。

 急な環境の変化が重なったからか、どうも記憶が混濁しているようだ。それからしばらく俺は、柴咲の横顔をチラチラ見ることしか出来なかった。 

 HRが終わると、俺は早速彼女に話題を振ってみようと試みた。だが、それは大量に押し寄せるクラスメート達によって妨害されてしまう。


「前の学校はどんなだった?」

「部活は何やってたの?」


 退屈な日常に投げ込まれた転校生という名の非日常。そんな非日常に彼らは群がった。だが、話をする内に俺が何処にでもいる普通の高校生だとわかり、次第に群がるクラスメートは減っていった。

 そして、昼休みが終わる頃には俺の身の上を知りたがるクラスメートは居なくなっていた。


「……ああ。疲れたぁ」

「大変でしたね」


 干からびたように机に突っ伏す俺を見て柴咲が笑う。


「大丈夫じゃないかも」

「ふふ、お疲れ様です」


 何かを思い付いたように、彼女が手を叩く。


「あの、鷲尾くん? ちょっといいですか?」

「ん? お、おお。……何?」

「今日の放課後、時間あります?」

「へ?」


 彼女の言葉に俺はつい間抜けな声を出した。


(放課後に呼び出し? やっぱり柴咲はあの日のこと、覚えてるんだろうか?)


 だが彼女の質問に、俺の期待していたような意図はまるでなかった。


「もしも時間があるなら特別教室とかの案内をしようと思いまして。わたし、学級委員ですし」

「あ、ああ。案内ね、案内。じゃ、じゃあお願いしようかな。アハハ」

「はい! わかりました! では、今日の放課後に……」


 だが、柴咲の言葉を別の女生徒が制止した。


「いけません。お嬢様」


 それは、俺から見て右斜め前。柴咲の前の席に座る、背の高い女子が発した言葉だった。


「今日の放課後は御予定があります。それに……」


 彼女は立ち上がると、こちらに向かって歩き始めた。その歩行に合わせてポニーテールが揺れる。


「お嬢様は柴咲グループのご令嬢。そんなあなた様の貴重な時間を割くなど、このような一般人には勿体無いかと」


 そう言いながら彼女は、俺と柴咲の間に立った。そして、椅子に座ったままの俺を切れ長な目で見下ろす。


「…………」

「? ……なんだよ」

「いえ、なんでも」


 一瞬、眉がピクリと動く。だが、それ以上の言及はなく、今度は教室の前で話している男子生徒に視線を移した。


「失礼ながら、副委員長。お嬢様の代わりにこの方の案内をお任せしてもよろしいでしょうか?」

「え?あ、はい」

「そうですか。では、お願いします」


 彼女はそれだけ言うと再び席に戻り、鞄から取り出したスケジュール帳のような物に視線を落とした。


「ごめんなさい、鷲尾くん」

「あっ、いや……。柴咲さんのせいじゃないって」


 小声で謝罪する柴咲に、俺は首を横に振った。そして、なんとなく気まずくなった俺達は会話の無いまま、昼休みを終えることとなった。

 午後の授業も滞りなく進み、あっという間に放課後がやってくる。

 俺は予定通り、副委員長と学校の施設を回っていた。


「ありがとう。助かったよ」

「いやいや。じゃ、僕らも帰ろうか」


 副委員長に促され校門へと向かう。その道すがら、俺は気になっていたことを彼に聞いてみた。


「なあ。さっき柴咲グループって言ってたけど……」

「ん? ……ああ。君は知らないよね。実は柴咲さんって、柴咲グループの御令嬢なんだよ」

「……マジかよ」


 柴咲グループ。工業を中心に、国内で様々な事業を展開する巨大企業だ。社会経済などに興味が無い俺でさえ、その名前は知っている。


「本当さ。ほら、柴咲さんと一緒にいた女子がいただろ?あの子は、春野美桜はるのみお。柴咲グループの使用人なんだ。学校でも柴咲さんの世話ができるようにって、同い年の女子を雇ったって噂だよ」

「使用人、ねえ。なんか雲の上の話過ぎてピンと来ないな」


 ふぅっと溜め息を吐く。そして、俺のことを見下ろすあの女子の目を思い出した。


(あの使用人。……春野さん、だったか? 妙な迫力があったな)

 

 彼女の刺すような姿勢を思い返しながら、俺は帰路についた。


「あぁ~~……疲れた」


 夕食前、俺は自宅のリビングでウトウトとしていた。

 なにせ転校初日。精神的な疲労がどっと押し寄せてきたのだろう。

 だが、その時。インターホンの鳴る音で俺の目は覚めた。


(7時か。……誰だ?こんな時間に)


 義父はまだ仕事だし、母親は夕飯の支度で気付いてないようだ。仕方なく俺は玄関に向かった。


「はーい……!?」


 何の気なしに玄関カメラを眺めた俺の目に飛び込んできたのは、柴咲楓の従者・春野美桜の姿だった。だが、驚くべきはその格好。何故か彼女はメイド服姿でそこに佇んでいたのだ。

 あまりの衝撃に、俺は慌ててドアを開く。だがそんな俺とは対照的に、ドア前に立っていた春野は表情一つ変えずに頭を下げた。


「夜分に失礼します。私、春野美桜と申します。本日よりこの家にお世話になることになりました。以後、お見知りおきを」

「はぁ!?」

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