【文芸・純文学×現代ドラマ】男は三回変えた方がいい——空っぽだった私が、愛を知るまでの物語

マスターボヌール

第1話 プロローグ

リビングの蛍光灯が、いつからか端の方でちらついている。修理しようと言ったのはいつだったか。彼は「今度ね」と言った。私も「そうだね」と言った。それから何ヶ月経っただろうか?


「朔」


名前を呼ばれて顔を上げる。彼がソファの向かいに座っている。膝の上で手を組んでいる。その手を、私は7年間握ってきた。


「話がある」


知ってる。知ってた。たぶん、ずっと前から。


「俺たち、もうダメだと思う」


蛍光灯がちらつく。冷蔵庫がぶうんと唸る。隣の部屋から、かすかにテレビの音。生活の音。7年分の音。


「……うん」


私の声は思ったより平坦だった。


「うん、って」彼が少し目を見開く。「それだけ?」


それだけ。それだけだった、ということを今、知った。


「怒らないの」


「……怒ってほしいの?」


「いや、でも、7年だぞ」


7年。その言葉が空気の中を落ちていく。私はそれを見ている。


「私、」口が動く。「私、あなたのこと、愛してた」


言ってから、自分でも驚いた。でも止まらない。


「愛してたんだよね。愛してたはずなの。でも今、何も——」


胸に手を当てる。何も痛くない。7年一緒にいた人に「終わり」と言われて、何も痛くない。


「何も、ないの」


彼が黙る。その沈黙の中で、私は自分の中を探す。悲しみを探す。怒りを探す。何か、7年分の重さに見合うものを。


結果——なんもない。


空っぽだ。


「……俺、気づいてたよ」


彼の声が静かだった。責めるでもなく、悲しむでもなく。


「お前、俺のこと見てなかったろ。ずっと。俺を見てるふりして、お前が見てたのは——」


蛍光灯がちらつく。


「『彼氏がいる自分』だよ。俺じゃない。俺じゃなくても良かったんだ。お前にとっては」


否定できない。否定できないことが、何より怖い。


「ごめん」


謝っている。何に? 彼に? 7年に? それとも、ずっと空っぽだった自分に?


「私、最低だね」


「最低じゃないよ」彼は立ち上がる。「ただ、お前はまだ——」


言いかけて、首を振った。


「いや、俺が言うことじゃない」


彼が部屋を出ていく。足音が遠ざかっていく。そして玄関のドアが閉まった。


私はソファに座ったまま、蛍光灯のちらつきを見ている。


何も痛くない。それが一番、痛い。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る