美しい星
二瓶佳子
第1話
空を見ていた。
今日も太陽が地平線から登ってくる。なにもかもを覆い隠す夜から、生き物が息を吹きかえす昼へと世界が変わっていく。まばらにある雲は、乾いた風に乗っている。薄く色が付き始めた空には、規則的に光を放つ星が移動している。いつも同じ時間に、同じタイミングで現れるそれを見て、私は今日が始まったことを理解する。
私の仕事は、この乾いた大地を歩くこと。歩きながらその軌跡を整備していくこと。岩や石をどけて、道として整備していく。草が生えることはあまりないけれど、それも注意しておく。とにかくこの道を、きれいにしておくのだ。
はるか昔、人類は空へと旅立った。なぜ旅立ったのかは、知らされていない。環境が悪化して住めなくなったのか、人口が飽和してしまったのか、あるいは激減してしまったのか、私はよく知らない。よく知らないけど、このぬかるむ引力から解き放たれて、空気の層を抜けて、光り輝く暗闇へと船を進めたのだろう。その人類は、どこかに根付いて、また文明を盛り上げているのでしょうね。何光年、何万光年の旅に出ているのでしょうね。元気ですか? 私は、今日も道を整備しています。
ここでは動物の姿もほとんど見かけない。生き物はあまり存在していない。でも、昔は、たくさんの生き物がこの地に住んでいたらしい。もっと遠くの大地には、人類たちがコロニーを作り、そこを往来して繁殖していたらしい。人類以外の生物も、大型から小型まで、多種多様に存在して、場合によっては人類と共存して生きていたんだとか。遮るもののないこの広い大地で、乾いた風が、行く宛なく私の耳に音を届けてくる。
植物も、多少は生えている。でも、ここではそこまで大型にはならない。乾燥した大地に、低い丘が連なるこの世界。踏み出すとじゃり、と乾いた土の音がする。そこを私はじゃりじゃりと音をたてながら、ひたすら進んでいくのだ。
規則的な光を放つ星を見ている。その光る星は、いつからそこにあるのだろうか。あれがはるか昔に人類がこの地にいたという証である。はるか空の上、太陽の隠れた時間にしか、確認できないそれは、無機質ながらも、人類の体温を感じさせる唯一のものとなっているのだ。他の星は、それぞれ不規則に煌めく。規則的な煌めきは、広い空の中で、ずいぶんと異質に見えるのだ。それを見ながら私は毎日進んでいく。その規則的な光を放つ星からは、私が見えているだろうか。私はここにいるよ。ここにいて、そしてそちらを毎日見ているよ。
私はこの使命を遂行していく。いつか、人類が見てくれるかもしれないもの。人類が、気づいてくれるかもしれないもの。これを見て、人類はまたこの星に戻ってきてくれるかもしれない。どこから見ているのだろう、そろそろ戻ってきてほしい。だって、もうどのくらい私がここでこの作業を行っているのか、わからないのだもの。太陽が昇って沈むのを、三千六百五十万回まではカウントしていた。けれど、それ以降はわからなくなってしまった。
人類は、どこまで行ったのだろうか、たどり着けたのだろうか、終着地へ。私も行ってみたいとかは考えない。私にはここの仕事があるのだから。でも、いつか、空の上から、私の仕事を確認して、またこの地にコロニーを作ってほしいとは思う。また多くの人類が繁殖して、空を渡り、この世界を汚していく。そんな世界が遠い未来にきっとある。
ある日、私はいつもと変わらず、規則的な光を放つ星を見ていた。夜明けに近い、薄明かりの差し込む光景だった。それはいつもと同じだった。でも、空に輝く無数の星のうちの一つが、突然私に落ちてきた。
私は慌てて受け止めた。私の手のひらで、キラキラと光る石のようなもの。星を拾ってしまったのかと思った。手のひらで受け止めたこれは、おそらく私の手と足についている成分と、同じように感じる。私の手足のこれは、道の整備のための、この星で最も硬度の高いものなのだ。でも、これの方がキラキラと光っている。無色透明で、表面はカットされたように美しい。まるでいつも見ている星を手に入れたみたいで、うっとりと見つめていた。でもなんとなく、それも私を見ているような気がして、つい話しかけてみた。
「美しい星、こんにちは。どこから来たの?」
手のひらでキラキラと光る、その美しい星をじっと見て、話しかける自分を滑稽に思ったところだった。
「……どこからだろう」
確かに、それは言葉を発した。驚いて、その美しい星を落としそうになった。最後になにかと言葉を交わしたのは、一体いつのことだっただろう。もう覚えていない。
「美しい星、どこからきたのかわからないの?」
「長い間、旅をしてきたんだ。僕はいろんなところに行ったんだ」
「へえ、それはうらやましい。私はずっとここにいるからねえ」
「ずっとここにいるのか。僕は、寒くて暑い、暗くて明るい場所を、ずっと一人で旅をしてきたんだ」
「どうしてここに?」
「体温のように暖かい、温もりに導かれてこの辺りに来ていたら、なんだか懐かしいものを見た気がしたんだ」
「どんなもの?」
「この空のずっと上から、鳥を見たんだ」
「鳥? 鳥を見たのは、もうずっと前のこと。もうここにはいないよ」
鳥はずっと前に見なくなった。ここ以外のどこかには、まだいるのだろうか。
「いや、確かに見えたんだ。それで思わず身を乗り出して見ていたら、ここの、ぬかるむ引力にからめとられてしまって」
「それで落ちてきてしまったんだね」
「そうなんだ」
「引力にからめとられてしまって、空気の層にぶつかってしまって。このまま、燃え尽きるかもしれないって思ったんだ。でもなぜか、それでもいいって思えてしまって」
「でも、燃え尽きなかったんだね」
「僕の体は頑丈なんだ。それで今君の手のひらにいる。ここはどこ? なんだか暖かい。暖かくて、安心する世界だ」
「そう」
「昔、そういうところから、飛び出したことがあったんだ。その時は、僕の体のほんの少しのところに膜があって、自由に動いているようでいて、自由じゃない気がしていた。だから、飛び出した。勢いよく飛び出したんだ。それでようやく自由になったと思った」
「自由か。自由になってどうしたの?」
「飛び出してからいろんな世界を見た。炎の大地も、金色の山も、僕の体はぶよぶよだったり、カチカチだったりしたんだ。そうしていろんなことを試して、生きてきた。飛び出した時のことは忘れないよ。あんなにも自由で、あんなにも不安だったことはなかった。包んでいた膜がなくなって、真っ暗だった世界は真っ白になって、僕と世界を隔てる境界はどこまでも遠くなっていったんだ」
「色々なことを経験したのね。うらやましい。私はずっとここにいるから」
「ずっとここにいるの?」
「そう、ずっと」
また太陽が登ってきた。空はいつのまにかピンク色になって、少しだけ浮いている雲に反射している。いつもと同じようで少しだけ違う風景。それは、この美しい星と話をしているから。
「暖かい気配を辿っていたら、青い星が見えたんだ。 キラキラ光っていた。 よく見ようと近づいたら、鳥が見えた、こういう、鳥」
「それは、ハチドリ」
「そうか、ハチドリか。ハチドリ」
そのキラキラ光る美しい星は、泣いているようだった。泣いているようでキラキラ光っている。
「泣いているの?」
「泣いているだって? 僕が? なんだか懐かしい気がするんだ。ハチドリって、青く輝いている、美しい鳥でしょう?」
「青く輝く? さあ、私は、知らない。なぜあなたは知っているの?」
「なぜだろう、昔、ハチドリを見ていた気がする、青い、美しい鳥だった」
美しい星は、キラキラ光っていた。
私は、その美しい星を手のひらに置いたまま、道を歩き始める。じゃりじゃりと、踏みしめる音をたてながら。
私の仕事は、道をきれいに整備すること。昔この大地にいたというハチドリやコンドル、サルの形をした道を整備すること。それは大地を削って作られたもの。
私は、いつか人類が戻ってきたときに、空の上から気付いてほしい。ああ、地上にはあんな生物がいたんだ、なんだか楽しそうな場所だ、この星に降りてみよう。そんなふうに、空の上から見てほしいのだ。今日も私は空を見上げながら道を整備する。
「おかえりなさい、人類」
私はキラキラ光る無色透明の石に話しかける。
「そうなのかな、でも、ただいま」
(了)
美しい星 二瓶佳子 @KC1129
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