花瓶のバラは色あせない
青川メノウ
第1話 花瓶のバラは色あせない
田村サト子は、三十八歳の誕生日のお祝いに、子供たちから、きれいなバラの花束を贈られた。
それをリビングの花瓶に生けて、眺めるたびに幸せを感じていたが、どんなに美しいバラでもいつかは枯れると思った時、言葉にできない寂しさを覚えた。
サト子は、ふとひらめいた。
「このバラそっくりの造花を作ってみよう」と。
早速、専用の布や紙、アクリル樹脂や粘土、針金などの材料を用意して、作業に取り掛かった。
サト子には子供が三人いた。高一の長女、中二の次女、小六の長男だ。自分と夫を入れて、家族は五人。
造花の製作は、誰にも内緒でおこなわれた。
「ずっと主婦をやって来た私だって、少し頑張れば、こんなものができるのよ」と皆をあっと言わせたい気持ちもあった。
花瓶のバラは、いつもサト子が座るソファの後ろに、目立つように置かれていた。
最初に飾った時は、
「みんな、どう? 後ろにバラって、お母さん、まるで少女漫画のヒロインみたいでしょう」
「うん、そうだね。とってもきれいだよ、バラが」
「えー、お母さんは?」
「もちろん、きれいだって」
「ありがとう」
(あなたたちの愛情がいっぱいこもってるから、いつまでもずっときれいでいたいと思うのよ)
と心の中で、幸せをかみしめたものだ。
何日かかけて、出来上がった造花のバラは、水を吸わないというだけで、見た目は本物とほとんど変わらなかった。
「うん、我ながら、見事な出来栄えね。これで、生花のバラが萎れてきたら、交換すればいいわ」
やがて、バラは元気がなくなってきた。
花弁や葉っぱの一部が、茶色く縮れているものもある。
夫も子供たちも、ここ数日は家に帰って来るなり、まずリビングのバラを見る。
徐々に色あせつつあるのを、気にしているのだろう。
それでサト子は「もう、そろそろかな」と思って、皆が出かけている昼間のうちに、造花と入れ替えた。
午後三時半を回る頃、まず最初に小六の長男が学校から帰ってきた。
「ただいま」と言うなり、花瓶のバラをしげしげと眺めながら、
「あっ、萎れかけてたのが、元気になってる!」
と言って、喜んだ。
「うふふふ、気づかなかったみたいね」
とサト子は満足した。
次に帰宅したのは中二の次女で、やはり、バラを見て
「きれいになって良かったね」
と言った。
高一の長女も同じで、夕方、仕事から帰った夫もそうだった。
皆が皆、瑞々しく回復したバラを見て、安心したようだった。
誰一人、造花だと気づかなかった。
サト子は
本物のバラは、すでに役目を終えて、裏の菜園の土の下で、静かな眠りについたというのに。
夕食後は、リビングのソファで家族皆が揃って、お茶を飲む習慣だった。
サト子はここで、種明かしをしようと思った。
造花だと明かして、びっくりする皆の顔が見たかった。
タイミングを計っていると、ちょうどうまい具合に、長女が
「ねえ、今日のバラ、いつもより映えてない? 前に座っているお母さんも、キラキラしてる感じ」
と言った。
「ありがとう」
とサト子は笑顔で応じてから、「さて、みなさん。実は……」と喉元まで出かかった言葉を、直前でぐっとのみ込んだ。
しばしの沈黙ののち(きっと、そうだわ……)とサト子は思った。
皆は何か言おうとしたサト子の言葉を待ったが、黙ったままだったので、あれ、変だなと思ったけれど、たぶん、些細なことだろうと、ほかの話題に移った。
サト子は種明かしをやめた。
(今は言わないほうが良いわね)
と思った。
(だって、皆がバラを本物だって信じているうちは、ずっと本物でいられるのだもの)
生花のバラが、いつまでも新鮮なわけがないから、造花であることは、後で家族にわかってしまった。
「見事にだまされちゃったな」
と笑い合った。
その後も、友人やお客さんが家に来ると、造花のバラを見て「きれいですね」と感心した。
誰もが本物のバラだと思うようだ。
サト子は「実はそれ、造花なんです」と言いそうになるのをこらえて「ありがとう」とだけ応えている。
花瓶のバラは色あせない 青川メノウ @kawasemi-river
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