ひととき堂で逢いましょう〜アイドルと喫茶店マスターの癒しの時間〜
長月そら葉
ひととき堂で逢いましょう
「……はぁ」
その日、俺は楽屋で伸びていた。そこへ、メンバーが水を持ってやって来た。ペットボトルを俺の首につけ、反応を見てニヤッと笑う。
「なーにしてんだよ、カイト」
「……リュウジ。うっせえ、ほっとけ」
「ほっとけるわけないだろ。収録、うまくいったじゃん。この前のライブだって、ファンに滅茶苦茶喜ばれてさ」
「そうなんだけど……それは嬉しいんだけどさ」
ファンの笑顔を見ることは、とても楽しく幸せだ。アイドル・LIGHTnightのメンバーである
それでも、たまに足が止まる。……俺は、誰なんだろうかって。
LIGHTnightは、五人組の男性アイドルグループだ。二年前にデビューし、徐々に人気を手に入れて来た。俺はその中でも、所謂クール担当。元々口下手で無表情と揶揄されてきたから問題なかったけれど、この仕事に出会って変わったと思う。
リュウジはメンバーの中ではムードメーカー的存在で、ファンサもかなりやる。正反対だからか、気が合って一緒にいることも割と多い。
「先帰る。お疲れ」
「おう、お疲れ。ちゃんと寝ろよ」
「ああ」
俺はメンバーとマネージャーに挨拶し、テレビ局を出た。リュウジにはちゃんと寝ろと言われたけれど、まずは何か腹に入れたい。悩んでいても腹は減るらしい。
(……こんな店、あるの知らなかったな)
眼鏡とマスクで変装して、ブラブラと帰り道を行く。その途中、俺はふと一軒の店の明かりに足を止めた。古めかしいレトロ感あふれるその店は、古びた看板に「ひととき堂」と書かれていた。
普段ならば、きっとその店には入ろうと思わなかっただろう。家に作り置いているものがあるから、適当にそれを食べて風呂に入ってぼんやりしてベッドに入っていたはずだ。それなのに、俺はその時ふらりと店の戸を引いていた。
「――いらっしゃいませ。お一人様ですか?」
「え? あ、はい」
「では、こちらへどうぞ」
応対してくれたのは、店のカウンターの奥にいた一人の青年。同じくらいの年齢の、柔和な笑顔が良く似合う人だった。
夜だからか、店内に客は俺一人。静かなクラシックがBGMとしてかけられていて、落ち着いた雰囲気だ。
俺は案内されたカウンター席に腰掛け、メニュー表を手に取る。幾つかの食事系メニューとドリンク、そしてデザートが書かれていた。
(なんだか疲れたから、甘いもの食べたいな。腹も減ったけど、そんなに食えない気がするから、丁度良いのかも)
俺は何となく、ドライカレーとオリジナルコーヒー、そしてレアチーズケーキを注文した。するとカウンターの青年が「承知致しました」と微笑む。
「少しお待ちくださいね。あ、コーヒーはいつお出ししましょうか。料理と一緒か、後か」
「じゃあ、一緒で」
「承知致しました」
たったそれだけの会話だったけれど、俺はその男の所作と表情に引き込まれていた。細すぎないが長い指は流れるように動き、表情は落ち着いていて柔らかく温かさすらも感じさせる。何故か、泣きたくなった。
「――お待たせ致しました。ドライカレーとオリジナルコーヒーです」
「あ、ありがとうございます。……うまそう」
目の前に置かれたのは、ほかほかと湯気を立てるおいしそうなドライカレー。そしてこちらも良い匂いを漂わせるコーヒー。
俺はマスクを外し、客がいないことを良いことに眼鏡も外した。そして、コーヒーを一口。
「……うまい」
「ありがとうございます」
「苦いんだけど、どこかフルーティーで。俺、苦すぎると飲めないんですけど、これは好きです」
「よかった。……この店は祖父と父が受け継いできた店なので、常連さんがほとんどです。この時間になればお客さんは来ませんから、ゆっくりしていって下さい」
「……ありがとう、ございます」
何だか、見透かされた気がした。
俺は野菜と肉たっぷりのドライカレーも平らげて、コーヒーを飲みつつ、レアチーズケーキに舌鼓を打つ。下地にチョコレートクッキーが使われているそれは、甘過ぎず丁度良い甘さで体に染みるようにおいしい。
「……俺、ちょっと仕事のことで悩んでたんです」
「……」
たった二人しかいない店内。静かなその場所で、おいしいものを食べたからなのか、俺はふと悩みを口にしていた。別にカウンターの男が聞いてくれなくても構わないと思っていたのだけれど、彼は自分用のコーヒーを入れて、こちら側へやって来た。一つ空けて椅子に腰かけ、「続けてください」と微笑む。
「……求められることを精一杯やって来たけれど、時々思うんです。『俺って一体誰だったっけ?』って。求められる役割を演じることが嫌いなわけじゃない、喜んでくれる笑顔を見るのは最高に嬉しい。けど……時々苦しくなる」
「……僕は、あなたのことを何も知りません。だからこれは一般論、もしくは僕の勝手な考えに過ぎないのですが」
そう前置きし、男はコーヒーを一口飲んで口の中を湿らせた。
「演じるあなたも今僕の目の前にいるあなたも、どちらもあなたであることに変わりはありません。どちらかでなければならない、ということはない。それに、好きなことでも時々手を離したくなるのは、僕にも覚えがあります」
「……あなたも?」
「はい。先程この店は受け継いだものだと言いましたが、僕は幼い頃からコーヒーの香りが好きでした。店に立つ祖父や父の姿に憧れ、学校で勉強し、店を継いだ。毎日が勉強で、毎日が楽しくて……それでも時々、これでよかったのかと思うんです」
好きなことを選んだくせにね、と男は笑った。
「そういう時は、休み時なんです。一時間だって一日だって、一か月だって良い。時間は人に寄るでしょうが、僕は買い物に出掛けたり、散歩に行ったりします。今までしたこともない勉強を突然始めたこともあります。そして、ふと気付くと店に立っているんです」
「……」
「この時間、本当に人は来ません。夕方以降、滅多に。ですから、もしよろしければ、あなたが話をしたくなったらお越し下さい。いつでも歓迎しますよ」
なんだか、ほっとした。俺ももしかしたら、休む場所を探していたのかもしれないとこの時思った。だから、自然に口を開いていたんだ。
「……俺は、東雲カイトと言います。あなたは?」
「僕は、
「……ありがとうございます、新名さん」
その日を境に、俺は時々新名さんの店に足を運ぶようになっていった。
アイドルのカイトではなく、常連客のカイトとして。その時間が俺にとっての癒しになることに、さほど時間はかからなかった。
ひととき堂で逢いましょう〜アイドルと喫茶店マスターの癒しの時間〜 長月そら葉 @so25r-a
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます