帰郷

小狸

掌編

 私は、生まれた場所と育った場所が違う。


 何、また奴が特殊な家庭事情を持ち出し、同情を誘おうとしているぞ、と思われるかもしれないけれど、何ということはない。母が母方の祖母の住むところで里帰り出産をした、というだけの話なのである。

 

 その場合、出身地の表記はどのようにするのが適切なのか、と、ふと疑問に思うことがある。まあ、普通は長く居た土地、つまり育った場所を書くのが良いのだろう。しかし、育った場所に関して、私は少々のトラウマがある。今は生まれた場所も育った場所も離れ、一人で一人暮らしをしているけれど、それでも時々思い出して煩悶し、頭や頸を衝動的にむしりたくなるような心地になる。


 何があったのか、とは、まあ正直思い出すのであまり触れたくない。端的に言えば、私の実家と呼ぶべきところ、つまり育った場所では、機能不全家族が形成されていたのである。


 具体的にどう機能不全だったかというと、愛玩子と搾取子、両親の徹底的なまでの原因不明の不仲、学歴第一主義などであった。勿論これ以外にもいくらでもあるけれど、先程も述べた通り、あまり良い思い出ではない――記憶の片隅でいなくなってほしいと願うばかりである。


 今でこそ、毒親や毒家族をはじめとするそういった家庭を揶揄やゆする言葉で溢れているけれど、私の子ども時代には、そんな言葉がなかった。


 言葉がなかったということは、定義ができない。それすなわち、も同じなのである。


 実際、私の両親と呼ぶべき人は、体裁や世間体を気にしていたし、周囲からは円満な夫婦として捉えられていたようだ。そして何より、二人ともが、人と関わることを主とする仕事をしていた、というのが、今回一番言いたい点である。


 当時中学生の頃、私は思ったものだった。


 仕事で人と散々関わっているくせに。


 自分の娘とは、分かり合えないのかよ――と。


 誰かに相談しようとしても、大抵の場合は伝わらない。中学時代である、皆自分の家庭は、当たり前で普通だと思っていることだろう。その歯車の噛み合わなさに私が気付いたのは、小学生の時であった。


 その頃から、ずっと濃くはないが薄くもない靄を抱えて、私は生きていた。


 そんな中で、唯一の癒しの空間だったのが、母方の祖母の家だった。要は、私が生まれた場所である。


 祖母は誰よりも優しく、聡明であった。


 私の実家が関東圏にあり、祖母の家は東北地方にあったので、学校の長期休暇になると、新幹線や母の運転する車で、祖母の家で寝泊まりしていた。


 その時の高揚感と嬉しさといったら、もう言葉には表現できない。


 私の父は仕事で来ることができない場合が多かったので、その時の保護者は母だけだった。


 祖母の家にいる時だけ、母もまた優しくなった。自分の実家、というのもあるのだろうし、今考えれば、母は義実家同居、つまり父方の祖母と同居していたのである。それは息も詰まるというものだろうし、外に出ることによって羽も伸ばせるというものだろう。


 そうして、祖母からの寵愛を受けながら、私は何とか社会人になり、今も生きている。

 

 祖母の家に帰る頻度は、仕事が忙しくて減ってしまったけれど、それでもお盆や年末年始などは、帰郷するようにしている。


 故に、私は。


 出身地はどこですか、と尋ねられた時。


 東北地方の生まれた場所を言うと思う。


 それが定義的、世間的に間違っているとしても。


 今の私を形作ってくれたのは、あの場所と、祖母なのだ。


 そして今年の年末は、祖母の家で過ごす。実は昨日の内に新幹線で私の自宅から祖母の住む地域までは移動済み、実際この小説も、祖母の家で早起きして執筆しているのである。祖母が起床するまでもう少しの間、私が生まれたこの土地の空気を味わうとしよう。




(「帰郷」――了)

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帰郷 小狸 @segen_gen

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