落ちた日
まもる
落ちた日
第一志望の大学に落ちたら。
まずお世話になった人に連絡しなければならない。公開された午後一時ぴったり。スマホ画面に表示された予想通りのその言葉を見て、心は特に動かされなかった。その割には数十分前から頻繁に時間を確認して、数分前からはかじりついて何回もページ更新をしていて、待ちわびているようにしていた。とにかく、まだ確定していない未来にさっさと決着をつけたかったのだ。
なんてことない道の端に立ち止まったまま連絡を始めようとした。特に両親へのメッセージは予めどんな風にするか考えていたから、すぐに完成させられた。俺はなよなよと慰められたくなかった。そういう理由から、一つで完結された文章を作ったのだった。
「第一志望の○○大学は不合格でした。応援してくれたのにもかかわらず、実力不足のための結果で申し訳ないばかりです。△△大学に進学させてください。これから更に精進します。」
この日の昼頃、なんでもないように俺は家を出た。努めてなんでもないようにした。俺が部屋から下に下りて来た時点で両親はすでにリビングにいて、いつものようにそれぞれでくつろぐようにしていた。そんな彼らは今日が合否発表の日だと知っていたのだろうか。彼らも努めてなんでもないようにしていたのだろうか。気にはなったが今後一生、その内について知ることはないだろう。どんな心積もりであったとしても、俺が苦しくなることに変わりはない、知っても意味がない無駄なことだ。それにもうずっと俺はそのトピックには触れたくなくて、試験の日から一度も口に出したことがなかったのだった。
外に出る準備を整えていた俺は、そこらへんにあったものを食べて腹を少し満たした。まだリビングにいた両親に対して俺の最近の習慣にもなっている、「散歩してくる」との声かけをしてから外に出てきた。
最近の俺は高校への登校もなく、何の予定もない日々を過ごしていた。それも二、三日も家でじっとしてると飽きてきて、一週間程前から外に出て散歩をするようになった。散歩というのはお金がかからないのにいくらでも時間を消費できて、バイトをしていなくて金がない、俺のような人間にとって非常に都合のいい趣味である。やろうとすれば、五、六時間は歩きだけで過ごすことができる。
この時期は春に限りなく近い冬という印象がある。長めの丈のダウンジャケットの下にニットを着込み、口元を隠すようにネックウォーマーを身につける防寒をして外に出る。いつも空気はカラカラとしていて、雲は流されて晴れわたる空ばっかりだ。それは冷ややかで薄情な色をしている。絶え間なく強く吹き付ける風には春の兆しを感じた。冬の空気を北の方に押しやっているようなものだった。そんな中でカラスなどが不安定になりながらも飛んでいるのを見ると、こちらに流されてくるのではないかと不安になることがあった。
暇だから、という理由で始めたはずの散歩は合否発表の際に家を不在にするための行動だったのかもしれない。家族三人で待ちに待って出てきた、その場面を見ることなんて想像もしたくない。一緒に心を込めて製作した繊細な構造物を目の前で破壊してやるようなものだ。そんなのは道徳的にも人間倫理的にも正しくない、非道な行為だ。あってはならない。そう、俺の不合格なんてあってはならなかったものである。
実際、一人で確認することになってよかった。その時俺は泣き声を上げることも崩れ落ちることもなかった。知っていて諦めている奴の反応はつまらない。体と心からの思いの発露が起こらない姿は、奮う人の思いを無下にする。
ふと今の景色に意識が戻った。俺は貯水池の淵の道端に突っ立って、風によっていっぱいに髪が仰がれていた。下の方にある貯水池を見やると、四方から吹き付けられた水面がずっと、ぶるるるると不規則な波紋を作っていた。囲う草には水気がなく、ずっとかさかさ言っていた。
ここら辺は田んぼが広がっている合間の粗っぽい道があったり、手のつけようがないような竹林が側まで迫ってくる道があったりして、歩き甲斐のある散歩エリアとなっていた。
この辺りを歩き続けてきてわかったことは、散歩する人はおじいさんたちだけだということだ。そしてみんな全く一人だった。犬を連れることも仲間と話をすることも見かけたことはなかった。それぞれが思う道のレールを迷わず進んで、たまのたまに誰かとすれ違う。散歩初めの俺は彼らのように停滞せずレールに線を引くことができなかったが、今では自身が電車のようになることに慣れてきた。
そこでちょっと面白いのは、みんな俺にとってはあまりにも軽装に見えたことだった。おじいさんたちは首もとを覆うようなタートルネックやマフラーなどをせず、そのまま晒していた。俺なんかは悴みそうな手を外気に晒し続けることなんてできずにずっとポケットに入れたままであるが、おじいさんたちは無機質そうな手を隠すことはなかった。また俺はダウンジャケットで体積が大きくなっているが、おじいさんたちはスッキリとした上着を羽織っていて過剰に身体の線を盛ることはなかった。
俺は髪を振り乱しながらしばらくその場で留まって考えていて、点検車となっていた。そこであまりにも発表から報告が早すぎると結果に期待していた感が否めないと感じた。そのため更に、三十分散歩してから両親を含めたみんなにそれぞれLINEで文章を送信した。そこで今日のやるべきことはし終えたと言えるが、この直後に家族に向き合うのは気まずい感じがした。それでも今日はもう散歩を続ける気にはなれなかったから、その足で近くのファミレスに向かうことにした。
お昼時は少し過ぎていたためか、そこそこに空きはあった。案内された席のソファー席に腰かけた。
このファミレスのお客さんは女性が多く、また幅広い年齢層であった。ここからは三、四人のグループが三個見えて、楽しくおしゃべりをしながら飲み食べしていた。
思えばファミレスに一人で入ったのは初めてだった。家と学校以外で暇を潰さないといけない、という義務に駆られたことがなかったためだ。そこで俺は一気にひとりになった。
俺は一人のためにメニューを見て考えていた。やっぱりと言えるか、食欲は湧かなかった。しかし初めて一人で訪れたせっかくのファミレスだから、何かを食べよう。そしてなぜだかみんなと一緒の時には視界にも入らない、明太マヨソースのフライドポテトと、本当のおまけに小鉢のチキン南蛮を注文した。
運ばれたそれらをくだらないYouTubeを見ながらもそもそ食べていた。明太マヨソースは思ったよりももったりしていて、思ってたのと違った。チキン南蛮のタルタルソースには俺の嫌いな玉ねぎがゴロゴロしていてかなり嫌だった。食事が一段落すると、いつの間にかみんなにLINEを送ってから一時間半が過ぎていた。既に返信がきていた。
「連絡ありがとう。受験おつかれさまでした。これからもよろしく」
これは数か月前に総合型で大学に合格していた友達からだった。俺がまだまだ受験勉強をしていた頃にはもう合格していたことを知ったのは、俺の最後の受験後でとてもびっくりしたものだった。優しくて穏やかな人である。
「大学合格できました。同じ目標を持った友達として側にいてくれてありがとう。これからもよろしく」
これは違う大学の同じ学部を一般受験で目指していた友達からだった。予想通り合格していたようだ。この人は本当になんでもできる人で、できないことは運動しかない。
「私も不合格だった。また会ってお話しようね」
これは同じ大学の違う学部を一般受験で目指していた友達からだった。この人はツッコミがダイナミックで、ボケがちな俺と馬が合った。三年間同じクラスだったおかげで、高校生活を大いに楽しめた。
「受験お疲れ様。今まで勉強してきた経験は絶対役に立つよ。進学先で楽しんできてね」
これは塾のチューターからだった。背は小さいが目が大きくてかわいかった。俺の勉強について親身になってアドバイスをくれた。
「大丈夫だよ。この春思いっきり遊んでおいで」
とお母さん。
「残念無念元気出して」
とお父さん。
一番間近にいた両親には深い負い目があるのは当然だった。だから他の人達に比べて伝えたいことは、申し訳なさばっかりであったからあのような報告文章になったのだった。それに対する両親の返信は、やはりこちらを心配するような気持ちが感じられた。
俺は各々からの返信を読んだのに対して、文章やらスタンプやらで返していった。その内に俺の身体は熱くなり、スマホをもつ手に汗が滲み、心臓の心拍数が上がっていた。息は浅くなっていて、意識して深呼吸をするはめになった。返信をしてくれたみんなに対して心から「本当にありがとう」、と思った。
そうして同時に、ここが本当の「落ちる」、という部分なのだと思った。俺は確かにひとりで落ちたのに、そこには関わる人みんながこちらの気持ちに対して耳を傾けるという心労があった。その意味がじっとりと染み込んできて、俺の心が濡れたタオルを被されたようだった。
結局、時間を引き延ばしに延ばして、日が沈み出した午後五時に家に帰ってきた。
「落ちたわ」
玄関からリビングへの扉を開けて、またそこにいた両親へ向かって開口一番に言った。あんなに気を揉んでいた両親とのやりとりは、何も準備してなかったのに出来て驚いた。俺は躊躇いなく事実を口にすることができていた。既にLINEしていたから、二回目の報告だった。そこで、だから両親はこんな時間にここにいたのかと気づいた。普段なら各々の部屋にいるはずの時間帯だった。
「お疲れ様、よく今まで頑張ったね。あなたはずっとお母さんの自慢の息子だから」
とお母さん。
「残念な結果になったけど、ここで終わりじゃないから。新学期まで体を休めな」
とお父さん。
このような慰めの言葉をもらうことは予想してたが、いざ直接対面するとどうしても涙が出そうになった。目と喉の奥が制御できない締め付けに遭った。頭と心でそれに向き合ってから、湧き出すような言葉を発することはできそうにない。
「夕飯は食べてきたからいらないや」
前の言葉にはおざなりに返事してから、努めて悲しくなさそうに、けれど明る過ぎない感じで言った。声は少し震えていたかもしれない、と遠くの意識で思った。どうしても、こちらを慮って見ているだろう両親の顔には目を合わせて話せそうになかった。
部屋に戻って、ひとりになった。そこでも俺はさ。涙は出なかったよ。
思い返せば大学受験で泣いたのは、第一志望の大学の試験後、一人のホテルに帰ってきてからの一回だけだった。
試験は全く手応えを感じなかった。奇跡のひらめきなんて起こるわけもなく、いつも通りのできなさだった。負け、落ちを確信して揺らがなかった。
時間はあったのに学力をつけられなかった自分が情けなくて仕方がない。自分が手のひらサイズで存在したら、両手でぐしゃぐしゃに捏ねくり回して最後にはグーの中に閉じ込めて思いっきり力を込めたい。そんなことなどできるはずがないから、気持ちの向けようがなくて困った。そこで泣くことが一番の罰になると考えた。いや、落ちたなら泣かなければならない。このような義務感が俺の中から湧き出た。
泣き始めてみると、止まらなかった。目を涙でいっぱいにして声を出しながらでいたら、もっと暴れてみたくなった。実際には俺は手を固く結びながら歯をぎっちり噛み締めていた。しかしそれも酷い嗚咽により解かされた。様々な感情が溢れ出てくるというよりも、その場にあった感情の波が故意的に増大させられたようであった。泣くことの効用を思い知った日だった。
その日の寝る前に、グループLINEで両親に「手応えあった?」と聞かれて「そこそこです、あとは結果を待ちます」と答えた。でも本当はこんなこと言いたくなかった。「全然できませんでした。不合格確定なので△△大学に行かせてください」くらい言いたかった。でもできなかった。
結果未定の時点でネガティブなことを言ったら「まだ決まった訳じゃないから元気出して」とか言われるだろう。できなかったことは本人が一番わかっているのに、そんなことを言われたらむしゃくしゃしてしまう。それに相手だって本人のネガティブな言葉を聞いたままに結果発表まで待つのはいい気分でないだろう。
そして今現在の自分が思い返してみると、全部強がりだったんだと思い至った。俺は防寒剤でぐるぐる巻きになっていた。
そんなであったから、最後には「帰ってくる前にその辺を散策しておいで」と言われた。もう用がない土地でそんなことをしたいとは思えず、ホテルで時間いっぱい寝てから家に帰ったのだった。
不合格という事実を、敗北とするか後悔とするか、はたまた絶望、失敗、恥、無計画、怠惰、馬鹿、実力、運命、経験、思い出、青春、残念、無念、また来年。
このどのような表現でも、正しいともいえるし、正しくないともいえる。胸の中で燻っているわがたまりが、あるかもわからない終着点までの思考を急かしては止めなかった。
今得ている感情は、後になって丸々同じように感じられることは決してない。
それは思い返す度、加えられて削られて捏ねられて切り分けられて統合されて伸ばされて刻まれて乾燥してカサカサになって粉になって舞って、薄められて加えられて混ぜられて形を整えられて焼かれてパサパサになって欠片になってバラバラになって、集められて加えられて色がつけられて香りをつけられて丸められて茹でられてしわしわになってホロホロと崩れて浸透していく。この身体に埋め込まれていく。
とにかく、今をずっと苦しみたがったって何にもならない。なんでまるで何年も経過した後に思い出すような視点で語っちゃったのだろうと、ほぅと息が漏れた。
さて、このエッセンスは今後俺自身にどのような影響をもたらすのかを楽しみに考えてみたりした。そして風呂、歯磨きや寝る支度を滞りなく進めた。布団に潜り込んでからようやく深く安心した。目を瞑ると感傷が色ついたようになった。どこか感覚が麻痺していたのかもわからないが、変わりなく過ごした自分が、確かに目蓋の裏に見えた。時間の流れとも似ている、避けようのない風に仰られては何もかもが自然の摂理に従うようになるものだ。そして俺は春を待つ身体震わせた草となった。
落ちた日 まもる @16716482
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