悪魔契約に関する重要事項説明

さかもと まる

幕開け 「悪魔契約に関する重要事項説明(冒頭)」

 さて、これはわたくし――悪魔マルバスの話でございます。

 由緒正しき地獄の名簿に名を連ね、六十六の軍団を率いたこともある、れっきとした悪魔でございます。


……もっとも、今となってはその「由緒正しき」という肩書きも、履歴書の空欄を埋めるための飾りみたいなもので。


 近頃はとんと契約が取れません。


 召喚されない。

 願いを言われない。

 魂も持っていかれない。


 そもそも、呼ばれない。


 理由ですか。

 まあ――時代でしょうな。


 願いはスマートフォンに話しかければいい。

 欲望はサブスクリプションで定期配送。

 魂なんぞ、最初から安売りされている。


――いや、安売りしているなら、なおさらこちらに回してほしいところですが。


 そんな契約氷河期の真っ只中。

 久々に、ほんとうに久々に、召喚円が光ったのです。


 床に描かれた魔法陣。

 古式ゆかしい蝋燭。

 血文字――ではなく、どう見ても朱肉。


 この時点で、わたくしは察しました。

 これは儀式ではない。

 書類仕事だ。


 嫌な予感は、だいたい当たるものです。


 そして現れたのが、この老人。


 杖をつき、腰を曲げ、白髪を撫でつけた、いかにも「年金と文句で生きてます」といった顔。


「――ほう。今回は君かね」


 その一言で、背中の翼が一枚、ひくりと動きました。


“今回は”。


 悪魔は、この単語に弱い。


「前の悪魔は、もう少し愛想が良かったんだがねぇ」


 出ました。

 前任者比較。


 わたくし、内心で深くため息をつきました。


「ええと……召喚者様。まずはお名前と、ご希望の願いを――」


「久我山恒一」


 即答。

 しかも間髪入れず、


「で、契約の条件なんだが」


 話が早いようで、嫌な早さです。


「まず確認しておきたいんだがね。魂は必須かい?」


 来ました。

 初手でそこを聞いてくるタイプ。


「通常は……ええ、通常は魂、もしくはそれに準ずる代価を――」


「昔はさ」


 被せてきました。


「昔はもっと柔軟だったんだよ。魂じゃなくて、寿命の一部とか、運勢とかねぇ」


 昔は〜じゃなかった。

 こちらの胃が痛くなる定番フレーズ。


「前任者はね、『今回はサービスで』って言ってくれたよ?」


 サービス。


 悪魔契約における、最も聞きたくない単語です。


 わたくしは咳払いを一つして、懐から一冊の書類を取り出しました。


「ではまず――

 悪魔契約に関する重要事項説明をさせていただきます」


 そう。

 地獄もコンプライアンスの時代。


 契約書は、表紙込み三十七枚。

 文字は細かく、注釈は赤字、但し書きは脚注。

 思えばここで気づいておくべきでした。


 久我山はそれを見て、にやりと笑いました。


「分厚いねぇ。新聞契約の“説明”みたいだ」


 その一言で、わたくしは悟ったのです。


――ああ。

 この老人、営業職だ。


 しかも。


 一番、面倒なタイプの。


 幕開けは、ここまでといたしましょう。


 この時点では、まだわたくしも知らなかったのです。

 この久我山恒一という老人が、筋金入りの『クレーマー』だということを。


 次は、契約書の細則という名の地獄。

 どうぞご期待ください。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

2026年1月17日 20:00
2026年1月18日 20:00
2026年1月19日 20:00

悪魔契約に関する重要事項説明 さかもと まる @sakamoto_maru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画