幸福指数は、安定しています。
深山 紗夜
01|幸福指数:異常(原因不明)
幸福指数が92パーセントを超える人間は、
この社会では「要観測対象」に分類される。
理由は単純だ。
不満も不足も見当たらないのに幸福な人間は、
システムの想定から外れる。
そして今日、その「想定外」が、また一人更新された。
「現在、あなたは社会的接触頻度が基準値を下回っています。」
「はい。今週は読書量を増やしているので」
「……読書は代替になりません」
「なります。私の場合は」
オペレーターの指が、一瞬止まった。
端末越しでも分かるほど、空気がわずかに引っかかる。
「理由を説明できますか?」
「紙の質感と、視線移動のリズムが安定を促します」
「……それは医学的に?」
「知りません。体感です」
彼女は淡々としていた。
声に熱も、弁明の色もない。
幸福指数――92.3パーセント。
直近三週間、変動なし。
「あなたは今週、誰とも直接会話をしていません」
「しています。昨日、本屋の店員さんと」
「業務会話は含まれません」
「含めてください。私は十分でした」
オペレーターは小さく息を吐いた。
マニュアルを一枚、頭の中でめくる。
「幸福指数が高すぎる場合、
原因の説明義務が発生します」
「分かっています」
「では、あなたが幸福である理由を教えてください」
少しだけ、間があった。
彼女は考えている様子ではなかった。
ただ、呼吸を一拍、整えただけだった。
「完成しているからです」
「……何が?」
「私の生活が」
オペレーターの背後で、誰かが小さく笑った気配がした。
ブースの向こう側。
同じフロアで別の案件を担当している同僚だろう。
「冗談ではありません」
「冗談ではありません」
声は重ならなかったが、温度は同じだった。
「あなたは未婚、同居者なし、
交友関係も極端に少ない」
「はい」
「一般的に、それは幸福指数を下げる要因です」
「一般的には」
彼女は、そこで初めて少しだけ首を傾けた。
「でも私は、起きて、光を浴びて、
本を読んで、音楽を聴いて、歩いて、眠ります」
「それは――」
「全部、自分で選んでいます」
オペレーターは口を開きかけて、閉じた。
反論の語彙が、見つからなかった。
「孤独を感じることは?」
「ありません」
「将来への不安は?」
「あります。でも不幸ではありません」
「誰かに理解されたいとは?」
「いいえ」
端末の数値が、ぴくりと揺れた。
92.3から、92.5へ。
「……数値が上がっています」
「よかったです」
その言い方が、あまりにも自然で、
オペレーターは一瞬だけ目を伏せた。
「あなたは、
誰にも好かれていない可能性があります」
沈黙。
「はい」
肯定だった。
「それでも?」
「それでも、です」
彼女は椅子に深く腰掛けているわけでもなく、
前のめりでもなかった。
ただ、そこに座っている。
「幸福は、内側で完成します」
それは教義でも、主張でもなかった。
事実の報告だった。
「……分かりました」
オペレーターは、処理を進めるしかなかった。
「本件は経過観測とします」
「ありがとうございます」
「ただし、
次回もこの数値を維持した場合、
追加ヒアリングが入ります」
彼女は少しだけ考えてから、頷いた。
「その場合、
明日はデジタルデトックスの予定があるので
端末はすべて自宅に置いていきます」
「……連絡が取れませんが」
「大丈夫です」
「何が?」
「私は、困りません」
通信が切れる。
オペレーターは椅子に深くもたれ、
天井を仰いだ。
「……なんなんだよ、あの人」
隣のブースから声が飛ぶ。
「幸福指数?」
「92超え」
「誰かに依存?」
「なし」
「宗教?」
「なし」
「じゃあ危険じゃん」
オペレーターは、小さく笑った。
「いや……たぶん逆だ」
「何が?」
「完成してる」
その言葉を、
システムはまだ分類できない。
幸福指数は、安定したまま、
今日も更新されている。
幸福指数は、安定しています。 深山 紗夜 @yorunosumi
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