第2話 幼馴染

「司くん、起きて」


聞き覚えのある声がして、意識が浮上する。瞼が重い。


何時間寝た?……三時間か。


「司くん。朝だよ。学校」


カーテンが開く音。眩しい。


「……陽菜か」


「陽菜だよ。さっきおばさんとすれ違った。『司を起こしてあげて』って」


目を開けると、幼馴染の顔があった。家守陽菜やもり ひな。茶髪のポニーテール。呆れたような、心配したような、いつもの表情。


「また夜更かしでしょ」


「……してない」


「嘘。目の下、クマすごいよ。まぁ、いつものことだけど」


陽菜が机の上に包みを置いた。おにぎりとお茶。


「おばさんから。『朝ごはん食べさせて』って」


「……ああ」


おにぎりを一つ取って、頬張る。鮭が入っている。うまい。


母さん、忙しいのに作ってくれたのか。正直、ありがたい。でもそれを口に出すのは、なんか違う。


陽菜は俺の家から徒歩一分、三軒隣に住んでいる。幼稚園の頃からだったか、こうやって世話を焼かれている。


普通なら問題になる。この世界では、男の家に女が出入りするなんて大事件だ。


でも陽菜は「幼馴染だから」で全部済ませる。周囲もそれで納得している。


納得しているのか?麻痺しているだけじゃないか?まあ、俺には都合がいい。


「そろそろ支度しなよ。遅刻するよ」


「分かった」


おにぎりをもう一つ頬張り、お茶で流し込む。


陽菜は詮索してこない。それがありがたい。



五月も半ば。GWの余韻も消えた、気だるげな朝。


登校中、何人かの女子とすれ違った。視線を感じる。だが、それは好意じゃない。


近づいてきた二人組が、俺を見るなり歩幅を揃えて進路を変える。会話は続いているのに、空気だけが少し冷える。嫌悪。警戒。あるいは失望。


男女比1:10。この世界では、男というだけで価値がある。清潔感があって、従順で、守ってあげたくなるような男なら、女子からちやほやされる。


俺はその真逆だ。引きこもり生活による不摂生な体型。目の下のクマ。着崩した制服。女子から見れば「守ってあげたい」どころか「近寄りたくない」対象なんだろうな。


「気にしないの」


隣を歩く陽菜が言った。


「気にしてない」


「嘘。顔に出てるよ」


「お前は気にならないのか。俺と一緒に歩いてると、変な目で見られるだろ」


陽菜が首を傾げる。


「だって、司くんは司くんでしょ?小さい頃から知ってるもん。今更だよ」


こいつは昔からこうだ。俺がどんなに変わっても、変わらない。


……なんだよ、その返し。反則だろ。


「ねえ、司くん。ボタンくらいちゃんと留めなよ」


陽菜が俺の制服に手を伸ばした。第二ボタンを留められる。


「っ——」


近い。顔が近い。シャンプーの匂いがする。待て、問題はそこじゃない。


「何?」


「お前、それ」


普通、男子のボタンに触るか?この世界じゃ、それだけで大事件だろ。


陽菜は不思議そうな顔をしている。


こいつ、自覚がないのか。いや、あるんだろう。でも俺相手だと感覚がバグってるんだよな。幼馴染すぎて。


「ほら、急ぐよ。遅刻する」


陽菜が俺の腕を掴んで駆け出す。周囲の女子が、ギョッとした顔でこっちを見た。


「あのキモ男、家守さんに腕引っ張られてる」とか思われてるんだろうな。否定できないのが辛い。



校門が見えてきた。


鳳学園。都心の文教区にある国立の中高一貫校だ。エリート校だが学費は安い。税金様々、ってやつだ。


俺がこの学校に入れたのは、理系の成績がよかったから。数学と物理は、なぜか考えなくても解ける。前世で似たようなことをやっていたんだろう。


陽菜は「司くんと同じ学校に行く」と中学3年間ずっと勉強していたらしい。本人は言わないが、母さんから聞いた。


……なんでそこまでするんだよ。


教室に入る。陽菜は自分の席に向かった。俺は窓際の一番後ろの席に座った。


鞄を置く。


1年C組、彩城麗奈。今日、仕掛ける。


「待っていろ」


誰にも聞こえない声で呟いた。


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